飯塚市熊野神社の立岩に圧倒~日本人の自然信仰のDNA~

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こんにちは、yurinです。

沖ノ島写真展では、見る物を圧倒し、威圧せずにはおかない、
巨岩の磐座(いわくら)でした!


※クリックで拡大します

 

このような神々が降臨するという磐座(いわくら)は、
絶海の孤島だけにあるのではなかったのです。

1.筑紫の国のど真ん中の磐座(いわくら)

福岡県飯塚市立岩(たていわ)の熊野神社の磐座(いわくら)です。

熊野神社

熊野神社入り口すぐの磐座(いわくら)

しかも神武天皇ゆかりの磐座でした!

2年半ほど前に筑紫の国のど真ん中の、市街地の神社で、お目にかかりました。

 

飯塚市は、古代の筑紫の国の内陸部のほぼ中央に位置します。

「筑豊(ちくほう)」と呼ばれることが多いようです。

北部九州東側の筑紫の国と、豊(とよ)の国(福岡県北西部と大分県)の
頭文字を合わせての呼称です。

明治時代に、これらの地域が「石炭産業」によって興隆を極めた頃の呼称からきています。

 

遠賀川の中流にあたり、建花寺(けんげじ)川・庄内川・穂波川が遠賀川本流に合流し、
嘉穂盆地の中、川筋に添って道や集落が開かれる様相は、畿内の大和川に似ています

 

かつては立岩に隣接する柏森(柏の字で、かやのもり)の集落とともに一つの村をなし、
古代からあった地名のようです。

伊勢の夫婦岩は「たていし」とも「たていわ」ともよばれますし、
柏森(かやのもり)は、飛鳥川源流の甘南備(かんなび)の
の森(かやのもり)と同じ地名です。

甘南備(かんなび)は、神がおられる聖地という意味です。

 

伊勢の夫婦岩(立石)

 

地名を耳にしただけで、何かしらいにしえのロマンが湧いてくるようなスポットです!

あの麻生副総理はこちらのご出身で、「麻生~」という文字をしばしば目にしました。

 

2.立岩遺跡の守護神の熊野神社

福岡県飯塚市には、有名な弥生時代の立岩遺跡があります。

遠賀川を隔てた対岸の笠置山(425m)の石材を使用した、
立岩式石包丁の製作が行われました。

福岡市西区の今山石斧とともに、北九州一円に分布し、
北部九州の開拓をリードした人々がいたとみられるのです。

石剣・石鎌・石戈など多種多様な石製品が生産されました。

 

また、弥生時代中期の堀田遺跡から43基の甕棺がみつかっています。

特に10号甕棺からは、前漢鏡6面のほか、きわめて希少で高級な絹
包まれていたとされる、銅矛、鉄剣などの副葬品がみつかっています。

 

JR九州の筑豊本線(福北ゆたか線)飯塚駅をおり、
標高40メートルほどの遠賀川右岸の丘上に、弥生時代の遺跡群があります。

 

その遺跡群への入り口の守護神のように熊野神社があります。

社頭掲示板には、立岩・柏森二村の産土神(うぶすながみ)とあります。

祭神は伊奘諾神(いざなきのかみ)・伊奘册神(いざなみのかみ)、
古くは、手力雄神(たぢからおのかみ・大己貴神(おおなむちのかみ)
・少名彦神(すくなひこなのかみ)も合わせて5神祭っていたそうです。 

社記では次のようにあります。

神武天皇御東征のとき、雷雨がにわかに起こり、山々や天地がゆらぐほどになった。

その時に、巨岩が疾風のごとく飛来して、山頂に落下した。まるで屏風を立てたようであった。

稲妻の光とともに、岩の上に神が現れて、

 

『我こそは天の岩戸の神、すなわち手力男神(たぢからおのかみ)である。この地に勢力を張っている悪鬼がおる。

熊に似て熊でなく、蜘蛛に似て蜘蛛でない。手足が八つあり、神通力を自在に発揮して、空を飛び、風を引き起こし、雨を降らせる。

まさに怪力をあやつって、(神武)天皇を困惑させようとしているのは、最も憎むべきことである。ゆえに、我が巨岩によって、その賊徒を成敗する。

我の和魂(にぎたま=穏やかな心)は、この岩上にとどまり、筑紫の守護神になるであろう。

また荒魂(あらたま=荒々しい心)は、天皇の御前(みまえ)に立ち先導して、玉体を守護するであろう』と。

 

そこで天皇は駒主命(こまぬしのみこと)に手厚く祭らせた。

37代斉明天皇の時代に二神を今の熊﨑にお移し申し上げた。熊崎祠後熊野宮という。

(太字:古代史日和)

 

悪鬼を投げる手力雄神

画:新原たか子氏

 

神武天皇の東征を助けて「筑紫の守護神」となった神社の磐座(いわくら)です。

 

3.筑紫の守護神の巨岩の磐座(いわくら)と神籬(ひもろぎ)

神社を入るとすぐ、しめ縄をめぐらせた大きな磐座があります。

やはり立岩(たていわ)というからには、それにふさわしい磐座(いわくら)があった!

と、思わず抱きついてしまいました(微笑)

 

……

ところが、実はここで終わりでなく、なんとここからが本番なのでした!

嘉麻市の「夢サイトかほ」で行われた講演会「遠賀川の神々」
聴きに来て下さった方々の中に、この神社の社家の新原たか子氏がいらして、
3人の講演者(河村哲夫先生、竹川克幸先生、私)に気づいて呼び止めてくださったのです。

 

新原氏は飯塚市資歴史資料館で、飯塚の歴史を紙芝居で語る
「日有喜(ひゆき)」の会
をしていらっしゃるそうです。

神武天皇の言い伝えの紙芝居も拝見させていただきました。

さきほどの絵画がその1枚です。

 

「ぜひ、見ていただきたいものがあります。」と、
神社の奥の院になるという古墳のような小山に案内してくださったのです。

「手入れが行き届かなくて」と、はからずもおっしゃられていましたが、
本当にこんな広い敷地では個人の限界を超えている、とつくづく思いました。

うっそうとした竹林の小道を抜けて、

ようやく小山の向こう側にたどりくと……

 

おおっ!!

3人ともかたずをのんで、張り付いてしまったのです!!

……目の前に現れた、まさに巨岩の磐座(いわくら)が……

そして巨岩をとり囲む神籬(ひもろぎ)の巨木…


※クリックで拡大します

 

先ほど神社を入るとすぐの巨岩に、思わず抱きついてしまった私ですが、
もはやそんなことできる雰囲気じゃないんです(大汗)

その圧倒的な迫力と、神々しい威圧感に、むしろ「神」を感じて、
その場に平服してしまいそうな感動でした!!

地元の竹川先生さえ、初めて見たそうです。

もちろん河村先生も!

3人とも張り付きました……(絶句)

 

神社の社殿というものがない時代に、神が降臨すると
人々が信じた磐座(いわくら)と神籬(ひもろぎ)。

 

その古代の聖域にひとたび足を踏み入れた現代人にさえ、
日本人の根底にある原始自然信仰のDNAは、
確実に脈々と受け継がれているのを実感したのです。

 

「あそこで、抱きついてる場合じゃなかったな(笑)」

と、3人とも放心した感じで山を下り、鳥居をでると、
ようやくいつもの河村先生が戻ってきて、ひとこと冷やかしを入れてくるのでした(大汗)

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