【7月】古代史べんきょう会について

 

6月開催の縄文べんきょう会が大好評につき、また古代史日和3周年になりますので、この回はいつもより1時間長く開催いたします!

べんきょう会詳細

 
日時 7月29日()13:10~16:00
テーマ 弥生時代に流れる縄文の息吹(いぶ)き【2】
講師 志村裕子先生
場所 池袋駅徒歩2分
受講料

会員さま 2,000円
一般の方 4,000円(入会金+参加費)
一般の方 4,000円(入会しない)

入会金

初めての方は、別途入会金2,000円
※当日入会特典あり

定員 10名 
持ち物 筆記用具、飲み物
その他

開催場所は、お申し込み時にメールでお伝えします

 

募集開始までもう少しお待ちください。

内容

「邪馬台国ってどこ?」「大和朝廷が国家統一できたのはなぜ?」

……突き詰めていくと、弥生時代・古墳時代まで、連面と流れる縄文人の姿が彷彿としてきます。

そして縄文と弥生は、共存してきたようにみられるのです。

7~8世紀に編纂された『古事記』『日本書紀』の神話も、丹念に読んでいくと、縄文アニミズムの自然神や祭祀が浮かんできます。

縄文とは何か?弥生とは何か?日本列島各地の状況を見ながら、東日本縄文人の北部九州へ進出説なども、考えてみたいと思います。

 

弥生時代に流れる縄文の息吹(いぶ)き【2】

・縄文土器の編年史
・縄文時代の動植物
・東日本勢の北部九州への進出説
・初期天皇時代のヒスイとヌナカワの輝き
・ヌナカワの古典・考古学・神社・祭祀
・お墓と古墳の副葬から知るヒスイの重要性
・建御名方命と洩矢神
・シルクロードの玉(ぎょく)とラピスラズリ

※内容は一部変更になることがありますが、テーマの範囲内です。

縄文Q&A

第1回の縄文べんきょう会後、参加者された方から質問をいただき、志村先生にお答えいただきました。

この回のべんきょう会で、お伝えする内容もありますが、それも含めて、せっかくですので、共有しますね!

Q:縄文時代を形成するのはどんな民族ですか?

縄文時代を形成する民族はどんな民族が考えられますか?

長い縄文時代においてアイヌや北方から、もちろん、韓国系など、南方系、色々入ってきて混ざっていったと思うのですが、整理がつきません。知りたいです。

A.これについては、この回の「東日本勢の北部九州への進出説」の中で、お話する予定ですので、お楽しみに^^
2016年版の勅使河原彰氏の『縄文時代史』、2017年版の斎藤成也氏の『日本人の源流』、同じく2017年版の瀬川拓郎氏の『縄文の思想』の3冊を手がかりに、日本民族の遺伝子や言葉について考えたいと思います。
 
もちろん流動的なテーマですので、これからの課題もふくめて、長い縄文時代においてアイヌ系・韓国系・南方系……との関係を、いちおう整理してみます。

■紹介した本について補足
『日本人の源流』『縄文の思想』は、縄文時代を持ち上げるあまり、どうも左翼イデオロギーがかった思考の部分が多いのかしら?と思います。
弥生時代からの、国家統一や天皇制への反動です。
そういうところがありがち、ということを念頭において読んでみると、どの著作も参考にすべきところは大いにあると思います。

 

Q:言葉についても教えてください。

多種な方言は、縄文時代あたりから受け継がれている部分もありますか?

A.出雲方言との青森県方言は関連性があり、それは縄文時代あたりから受け継がれていると指摘されています。

 

Q:縄文時代も男尊女卑はありますか?

A.縄文時代は男尊女卑でなく、母としての女性のステータスが高かったのではないかと考えています。

 

Q:なぜ、土器、土偶を壊すのですか?

土器や土偶を壊す意味は何でしょうか?(平原遺跡の鏡も割ってから埋葬してたと思うのですか、壊して埋葬などというのは縄文から弥生まで位ですか?)

A.祭祀に使われる土器、土偶を壊すのは、祈願成就の「身代わり」なのかと思いますが、これについてはカグツチとイザナミ神話で考える考え方があり、紹介したいと思います。
 
たしかに古墳に副葬するときに鏡もこなごなに壊しますよね。そのルーツを考えるに、やはり縄文土偶にさかのぼって考えてみたくなります。

 

Q:名前になぜ乳母の姓がつけられるのですか?

6月の勉強会にて『古事記』に出てくる名前の方をみると、母方や、乳母の姓?が使われると志村先生が話されていました。

時代が変わっても大海人皇子も乳母の姓?がつけられていますが、そもそもなぜ乳母なんですか?母方という意味ですか?

当時の乳母は母方の方が必ずなるものですか?

A.古代は「妻問婚(つまどいこん)」なので、女系ではないけど、「母系社会」とみられます。
そして子供は母方一族で育てる、姉妹のどちらの子供も、同じ一族の子供という意識だったようにみられるのです。
 
第11代垂仁天皇には、丹波道主命(たんばまちぬしのみこと)の娘4人が嫁いでいます。
遠方の豪族同士の場合、母方で育ててから差し出したり、あるいは、子供を生んで母は実家に帰ってしまうような例がしばしばみられます。すると、乳母が必要になります。
 
後代に、授乳すると体力がおちるので乳母が授乳したのとは、古代の乳母の役割はちがっているようです。

鋭く、また興味深いご質問をいただき、ありがとうございました^^