こんにちは!オオクです。▼関連記事6世紀古墳で東日本最大級の七輿山(ななこしやま)古墳武蔵国造の乱の後、現在の群馬県藤岡市にあたる緑野(みどの)に屯…
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古墳・遺跡

6世紀古墳で東日本最大級の七輿山(ななこしやま)古墳
こんにちは!オオクです。今回は、群馬県藤岡市で今注目の古墳、伝説や規格なども興味深い七輿山(ななこしやま)古墳について紹介します。令和2年1…

西都原古墳群とは?古墳時代を通じて築かれた古墳群
こんにちは!yurinです。西都原古墳群(西都市三宅)は一ツ瀬川右岸の標高60mに位置し、4世紀前半から7世紀前半にかけて連続して築造された大古墳群です。…

西都原古墳群の女狭穂塚(めさほづか)の被葬者は?
こんにちは!yurinです。『日本書紀』に「筑紫日向可愛之山陵(つくしのひむかのえのやまのみささぎ)」と記される瓊瓊杵尊の陵墓は、南九州に数ヶ所伝えられてい…

神武天皇が築いた配石遺跡は縄文の精神
こんにちは!yurinです。筑紫の島、すなわち九州地方の勢力を結集した神武天皇は、いよいよ畿内大和へ遷都します。筑紫の島を離れるのは、神武天皇にとって相…

決戦!奴国VS邪馬台国【2】吉野ヶ里・平塚川添遺跡の追憶
こんにちは!yurinです。決戦!奴国VS邪馬台国【1】吉野ヶ里・平塚川添遺跡の追憶のつづきです。筑後川に注ぐ宝満川を隔てた朝倉市に…

決戦!奴国VS邪馬台国【1】吉野ヶ里・平塚川添遺跡の追憶
こんにちは!yurinです。佐賀県東部、有名な吉野ヶ里遺跡の「よしの」は、芳野(よしの=かぐわしい野)にふさわしく、福岡県境の標高1000メートルほどの背振…

釈迦堂遺跡は縄文前期から奈良時代におよぶ複合遺跡
こんにちは!yurinです。こちらの記事では、桃源郷が広がる縄文遺跡の釈迦堂遺跡と桃の実のお話でした。この記事では、釈迦堂遺跡の出土…

南アルプスを見渡す縄文の釈迦堂遺跡と桃の実
こんにちは!yurinです。縄文ヒスイがキラリと輝き、天皇名に取り入れられるほどの越(こし)の「ぬなかわ」でした。「ぬなかわ」と同じ…

物部守屋の子孫を祭る諏訪の古墳
こんにちは!yurinです。「物部守屋の子孫が、諏訪大社の神長官守矢家の養子に入ったという説がある」と長野県の地誌で数十年前に知ったときは、実に意外でした!…

石室日本最大級の森将軍塚古墳の被葬者は誰?
こんにちは!yurinです。長野市の南、千曲川(ちくまがわ)と犀川(さいがわ)が合流する川中島を見下ろす支脈の先端に築かれたのが、森将軍塚古墳です。※千…