こんにちは!yurinです。
糸島市は、古く半島部は「志麻(しま)郡」、内陸部は「怡土(いと)郡」でした。
天照大神をお祭りする伊勢志摩地方を想起します。
志摩桜井神社には、二見浦や夫婦岩まであります。
古代史カフェ会で話題になりました。
こちらの夫婦岩の方が、三重県二見浦の夫婦岩よりも、大きさも重みも感じた、という感想があがっていました。
雷山川と瑞梅寺川という河川の間のお墓、しかもいにしえは河川の合流点のような地であり、大和朝廷の先祖を祭るにふさわしい地であるように思われました。
ここは天照大神=卑弥呼の母の里であり、出身地であったのでしょうか。
故郷を離れた皇族たちが、出身地に葬られるというのは、しばしばありました。
その後、天照大神=卑弥呼ゆかりの朝倉市の麻氐良山(まてらやま)にも、神霊をうつしてお祭りしたものと思われます。
平原古墳には最高レベルの副葬品
背振山を代表する雷山(955m)から流れる雷山川、井原山(958m)から流れる瑞海寺川の間に、有名な平原(ひらばる)遺跡・三雲遺跡・井原鑓溝(やりみぞ)遺跡などがあります。
平原古墳は、地名となっている曽根遺跡群の「平原1号墳」といわれる古墳です。
「曽根」は大阪府泉市の池上曽根遺跡、曾根神社、物部氏を想起します。
古代史学者の安本先生が『卑弥呼の墓は、すでに発掘されている!!~福岡県平原王墓に注目せよ~』で、卑弥呼で天照大神のお墓として取り上げています。
平原古墳(1号墳)を見て、まず驚くのは「小さいこと」です(大汗)!
えっ、これが卑弥呼のお墓!?と、お墓だけ見れば、まず驚くのではないでしょうか。
吉野ヶ里遺跡の墳丘墓、まして奈良県桜井市の箸墓古墳と比べたら、ほんのささやかな小豪族のお墓にしか見えませんから(汗)
……ところが、ところが、古墳の価値は、いったい何で決まるのでしょうか!?
実は、平原古墳から出土した副葬品の見事さは、群を抜いて秀逸で、他の追随を許さないのです。
まず鏡の数だけ見ても、大型内行花文鏡・内行花文鏡・方格規矩(ほうかくきく)鏡など40面に達します。
内行花文鏡
これは一か所からでは、奈良県の桜井茶臼山古墳に継ぐ鏡の出土数です(スゴッ)
まして大型内行花文鏡などは、他の古墳でいっさい見られない逸品なのです。
伊勢内宮のご神体で、三種の神器の一つになっている「八咫(やた)の鏡」の原型ともされるのでした(大拍手)
以下の出土品が国宝に指定されています。
銅鏡 40面
メノウ・ガラス製の勾玉・管玉などの玉類
鉄素環頭太刀 一振
まさしく傑出した鏡・玉・剣という、前期古墳を象徴する最高レベルの副葬品です。
いま出土している古墳の中で、まさしくこれほどの副葬品を伴った古墳は稀有で、卑弥呼と天照大神のお墓としても、遜色ないものです。
平原古墳に関して、古代史日和のメンバーでもあるうららさんが動画を作ってくれています。
合わせてご覧くださいね。