南アルプスを見渡す縄文の釈迦堂遺跡と桃の実

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こんにちは!yurinです。

縄文ヒスイがキラリと輝き、天皇名に取り入れられるほどの越(こし)の「ぬなかわ」でした。

 

「ぬなかわ」と同じく、時代を越えて美しいものは美しい、と感じさせてくれたのが、山梨県笛吹市の釈迦堂遺跡です。

遺跡の周囲は、桃畑です。4月の開花時期に訪れると桃源郷の世界が広がります。

遺跡の立地する高台から、雪を抱いた南アルプスの山並みの眺望が広がります。

黄泉(よみ)の軍勢を追い払う桃の実

桃といえば、奈良県桜井市の纒向(まきむく)遺跡の「桃の種」の年代は、卑弥呼の時代の全盛期に向かう直前にプツンと断絶!しているようです。

纒向=邪馬台国の説明は難しいのではないでしょうか^^?

一方、岡山県では、縄文時代の終わり頃の桃の種が出土しています。

「桃太郎」ゆかりの地です。

縄文時代の前期の関東・九州地方、後期には東海地方でも桃の種は出土していて、弥生時代になると飛躍的に出土数も遺跡も増加します。

 

桃は『古事記』の神話に出てきます。

伊奘諾尊(いざなきのみこと)は、黄泉(よみ)の国を訪問し、伊奘冉尊(いざなみのみこと)に絶縁!を言い渡します。

その理不尽な申し出に怒った、伊奘冉尊(いざなみのみこと)が差し向けた軍勢に追われてしまうことになります。

八(やくさ)の雷神(いかづちのかみ)に、千五百の黄泉軍(よもついくさ)を副(そ)えて追わしめき。

(そこでイザナキノミコトは、八柱(やはしら)の雷神に、1500人もの大勢の黄泉(よみ)の国の軍勢を従わせ、追撃させる。)

 

ここに佩(は)かせる十拳剣(とつかのつるぎ)を抜きて、後手(うしろで)にふきつつ逃げ来ます。

(イザナキノミコトは、身に着けておられる十拳(とつか)の剣(こぶし10個分もあるほどの長い剣)を抜いて、うしろ手に振りながら(相手を追い払う呪術)逃げて来られた。)

 

なお追いて、黄泉比良坂(よもつひらさか)の坂本に到りし時、その坂本なる桃子(もものみ)三つを取りて待ち撃ちしかば、ことごとに逃げ返りき。

(さらに追われて、現世と黄泉(よみ)の国の境界にある黄泉比良坂(よもつひらさか)のふもとにたどりついた。そこでイザナキノミコトは、坂のふもとの地になっていた桃の実3つを取り、待ち受けて投げつけると、黄泉(よみ)の軍勢はことごとく退散した。)

伊奘諾尊(いざなきのみこと)が、道端にあった桃の木を投げつけると、追手の人々は退散し、危うく難を逃れたのです!

桃の実は邪鬼を払うという信仰があったようです。

桃源郷に広がる縄文遺跡

伊奘諾尊(いざなきのみこと)は、桃の実に感謝しました。

「汝(なれ)、吾(あ)を助けし如く、葦原中国(あしはらのなかつくに)にあらゆるうつしき青人草(あおひとくさ)の、苦しき瀬に落ちて思へ悩む時に助くべし」と告(の)りたまいて、名を賜いて「おおかむつみのみこと」と号(い)いき

(「あなたが私を助けたように、この葦原の中つ国(出雲地方を中心とする本州付近)に生きるあらゆる現世の人々が、つらい目にあい苦しみ悩んでいる時、いつも助けるように」と、おっしゃられて、桃の実に「大神つみの命(みこと)」という神名を授けられた)

 

イザナキと桃の神話と、各地の遺跡の発掘状況からは、桃を神聖なものとする思想は、古来からあったとみられます。

さらに後の時代に、中国の桃の節句(せっく)=ひな祭りの思想とも重なり、桃の実は「大神つみ命(みこと)」とよばれるほど尊重されたのです。

 

纒向遺跡の何千個もの大量の桃の種は、三輪山の神さまへのお供えのために、岡山方面から集められたのでしょうか。

古代の桃は今の半分ほどの大きさのようです。

 

福岡県直方市の多賀神社は、伊奘諾尊(いざなきのみこと)・伊奘冉尊(いざなみのみこと)を祭る古い由緒の神社で、このブログでも紹介しました。

伊奘諾尊ゆかりの神社にふさわしく、桃の実のお守りもおいてありました!

桃は食べて美味しいばかりでなく、花も美しく甘く芳しい香りですね。

 

釈迦堂遺跡からは、まだ桃の種が出て来た話しはないようですが、山梨県の他の遺跡から、弥生時代の桃の種は出土しています。

あたり一面の桃の畑から神話の世界が広がります。

南アルプスの北岳を眺望

釈迦堂遺跡は、中央自動車道の釈迦堂パーキングエリアに隣接します。

駐車場から、丘の上へ階段をあがると、博物館と遺跡があります。

遺跡に関心なくても、桃の花の開花時期は、早朝から多くの方々が訪れていました。

ですから訪れる季節として、桃の花の咲く4月は、オススメです。

今年は開化時期が早く、しかも前日の強風で、4月半ばに訪れた時、すでに桃の花の大半は散っていました。

 

ですが、紅白ピンクの花桃、黄色の菜の花、白い水仙など、花の彩りが大変美しく、ケヤキの萌黄色の芽吹きも目にしみる鮮やかさです。

甲府盆地を見下ろす遺跡のある高台に立地し、雪を抱いた南アルプスの眺望が広がります。

左端の方に、真っ白な北岳(標高第2位、3193m)が望めました!

なかなかお目にかかれない山なので、この山が見えるのと、うれしいんですよね~~^^

縄文人の自然崇拝の心に感動させられます。

 

ヒスイや奴奈川姫を探究される考古学者の土田孝雄先生は、縄文遺跡の立地について「生命線としての水」を強調するとともに、次のようなことも加えて述べています。

また遺跡に共通していえることは、景観のよいところに立地しているという点である。

西頸城(にしくびき)地方は、山と川と海に囲まれているので自然景観に恵まれ、四季折々その美しさを表現してくれるところである。

遺跡に立ってみると、日本海や姫川が見おろせ、四囲を見渡すに都合のよい台地面や段丘であったりする。

 

山嶽や小高い丘陵地は、天の神々や精霊の地として選ばれ祭祀も行われた。

宗教的な神話や伝説など後世につけ加えられたものもあるが、その根底には古代人のアニミズム信仰の源流を見ることができるのである。

『翠の古代史―ヒスイ文化の源流をさぐる』より引用

 

まさしく釈迦堂遺跡もまた「景観のよいところ」の立地です。

海こそありませんが、笛吹川・釜無川の流れる甲府盆地を見渡し、その向こうに雪を抱いた南アルプスを眺望します。

 

背後は大和の三輪山のような秀麗な山に抱かれています。

はるか何千年前にこの風景を仰いで、美しいものは美しいとこの地で暮らした縄文人たちが、身近に感じられます。

 

桃の花は、近代現代になって加わったものですし、博物館周囲の花や木々の彩りも今の人々の心づくしです。

古代から継承される自然崇拝の心を想起させてもらえます。

こうした地に目を向けさせてくれる、古代の神々の声が聞こえてくるように思われ、しばしたたずんでいました。

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