新元号「令和」の典拠になった『万葉集』とは?

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こんにちは!yurinです。

このたび新元号「令和」が公表されました。とても美しく気品がある元号です。

『万葉集』からの典拠ということで、日本の古典を学んできた者の冥利につきます(感涙)

 

太宰帥(だざいのそち)大伴旅人(おおとものたびと)が催した梅花の宴は、筑前国守の山上憶良(やまのうえのおくら)との交流によってなされたものです。

青空と梅

序文を書いた人物として山上憶良の説もあります。

山上憶良の万葉歌碑が福岡県嘉麻(かま)市にあります。

 

先日、遠賀川源流の福岡県嘉麻(かま)市で「ラーニングカフェ勉強会“神々のふるさと遠賀川から邪馬台国へ”」の講師として訪れて地元の方々と交流してきました。

神話の里嘉麻(かま)市から日本の古典のルネッサンス!をアピールしたばかりで、重ねてこの地域の歴史の重みを感じご縁を喜んでいます^^

天皇から庶民まで日本列島の広域から収集された歌

新元号「令和」の典拠になった『万葉集』は、奈良時代の延暦2年(783)年頃、大伴家持(おおとものやかもち)によって編纂されました。

家持の父が大伴旅人(おおとものたびと)です。

 

『万葉集』は現存最古の歌集、20巻、4536首の歌が納められています。

五七五七七の短歌と五七調の長歌がほとんどですが、文字数の増減やその他の形式の歌もあります。

 

第16代仁徳天皇の磐媛(いわのひめ)皇后や第21代雄略天皇の作という古い時代の歌を含みます。

天智・天武天皇の父の第34代舒明天皇の時代からの「万葉時代」(『万葉集』の歌が詠まれた時代)を中心に、天平宝字3年(759)までの歌です。

 

作者層は天皇・皇族から農民まで幅広い階層に及び、読まれた地域も「東歌(あづまうた、都から離れた東国の歌)」に詠まれた地域を含む日本列島の広域に渡っていました。

 

内容は部立(部立て)と呼ばれる分類があり、相聞(そうもん、身近な人々への思い)、挽歌(ばんか、人の死を悼む)、雑歌(宮廷祭祀に歌われた)があります。

万葉人たちは春・夏・秋・冬の四季おりおりの自然に合わせて、素直で素朴な真情を歌にしました。

和歌の始まりは須佐之男命(すさのおのみこと)

和歌は『古事記』で須佐之男命(すさのおのみこと)が読んだ歌が始まりとされます。

八雲(やぐも)立つ 出雲八重垣(いずもやえがき) 妻籠(つまご)めに 八重垣作る その八重垣を

(雲が次々と立ち昇る。雲が湧き出るという名の出雲の国に、何重もの垣根を巡らすように、雲が立ち昇る。私も妻を守るために何重にも垣根を作った、その八重垣のように)

初めてこの歌を読んだ印象は、自分の奥さんを垣根の奥深くに閉じ込めるなんて、ずいぶん古くさい時代を感じさせました。

 

ですが八岐大蛇(やまたのおろち)の物語としっかり向き合うと、スサノオノミコトが勝ち目の低い戦いの勝負!に出た時、妻を必死に守ろうとした気持ちが切実になってきました。

その妻を守ろうとした真情を懐かしんで、須佐之男命は歌にしました。

このような『万葉集』には収録されない古い時代の『古事記』『日本書紀』の歌を『記紀歌謡』と呼んでいます。

 

和歌の文化はさらに古い時代にさかのぼるとみられます。

現在の新年の宮中の歌会始めに継承され、庶民レベルでも身近で、四季の自然とともにある日本文化を象徴しています。

大伴旅人の「酒を讃(ほ)める歌」

大宰府で梅花の宴を催した大伴旅人は、感受性強く内向的な息子の家持と比べて、お酒大好きで豪放磊落(ごうほうらいらく)なイメージがあります。

 

「酒を讃(ほ)める歌」13首を読んでいます。

験(しるし)なき このを思わずば 一杯(ひとつきの) 濁れる酒を 飲むべくあるらし

3-338

(どうしようもない物思いに沈むくらいなら、一杯の濁り酒を飲んでいた方がいいだろう)

 

賢(さか)しみと もの言うよりは 酒飲みて 酔(えい)泣きするし まさりたるなし

3-341

(偉そうにものをいうよりは、酒を飲んで酔って泣く方が優っているようだ)

 

なかなかに 人とあらずは 酒壺に 成りにてしかも 酒にしみなむ

5-343

(中途半端に人間であるよりは、いっそのこと酒壺になってしまいたいものだ。そうしたらずっと酒に浸っていられるだろう)

 

あな醜(みにく) 賢しらおすと 酒飲まぬ 人をよく見れば 猿にかも似る

3-344

(ああ、みっともない。まじめぶって酒を飲まない人をじっとみると、猿に似ている)

 

価(あたい)無き 宝とういうとも 一杯(ひとつきの)濁れる酒に あにまさめやも

5-345

(仏法で至宝の玉というものがあるようだが、それも一杯の濁り酒にまさることがあろうか、まさりはしない)

……

上等なお酒にかぎらず、お酒を楽しんでいる旅人の様子が伺われます。

当時盛んであった仏教の経典への反発もあったのでしょうか。

 

そうはいっても酒で身を崩す!?ようなことはせず、あくまで名門大伴家の家長、大宰府の長官という重責を果たす中で「お酒を楽しむ」というスタンスが、いいですね~~。

そして13首の中に「酔(えき)泣き」する歌が4首あります。お酒を飲んで泣いてしまうんですね。

『古事記』で日本武尊(やまとたけるのみこと)は妻を偲んで泣き、『源氏物語』の光源氏もよく泣きます。

梅花の宴でも日本男子の心優しい?姿を見てしまいます^^

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