邪馬台国ブログを集めたページです。
あなたの邪馬台国論を次のステージへ。
これから邪馬台国のことを知りたい方も、自分の説はほとんどできていてあと一押しほしい方も、邪馬台国初心者~上級者の方まで!
邪馬台国を知るためには、『魏志倭人伝』と考古学だけでなく、いろいろなアプローチの方法があります。
ぜひそれも知っていただければと思います。(記事は随時追加していきます)
kaori
*
「邪馬台国は専門じゃないですから……」と、正面から向き合わな
……なので、たとえ間違えはあっても、「邪馬台国はここだ!」の
yurin
結論:邪馬台国は筑紫にあった
目次
自然から邪馬台国を考える
北部九州の筑紫の国には、遠賀川・筑後川・那珂川を中心に、地域を象徴する山河や島々という自然とともに、神話の中の天照大神の一族の神々をお祭りする様相が顕著です。
『魏志倭人伝』を合わせて「筑紫邪馬台国」としてふさわしいのではないでしょうか。
天皇家の先祖が、古典に書かれている通りに「筑紫」という地域に特別な由緒があったであろうことが偲ばれます。
筑紫とは?
邪馬台国時代の都
邪馬台国時代、都が遷都されていました。
伊奘諾尊時代
邪馬台国の周りの国
『魏志倭人伝』には、邪馬台国のほか、奴国、伊都国、対馬国などたくさんの国がでてきますよね。
邪馬台国の周りの国々を知ることでも、邪馬台国が見えてきます。
奴国
伊都国
投馬国
不弥国
狗奴国
邪馬台国畿内説
邪馬台国には大きく、九州説、畿内説がありますが、畿内説の「ここがおかしい」をとりあげます。