楽しく学んでいただける邪馬台国ブログを集めたページです。

あなたの邪馬台国論を次のステージへ。

これから邪馬台国のことを知りたい方も、自分の説はほとんどできていてあと一押しほしい方も、邪馬台国初心者~上級者の方まで!

邪馬台国を知るためには、『魏志倭人伝』と考古学だけでなく、いろいろなアプローチの方法があります。

ぜひそれも知っていただければと思います。(記事は随時追加していきます)

kaori

「邪馬台国は専門じゃないですから……」と、正面から向き合わない専門家オーソリティーより、邪馬台国と正面から向き合う古代史の先生の方に惹かれますよね~??

……なので、たとえ間違えはあっても、「邪馬台国はここだ!」のひな型を、私も一つ!提示したいと思います。

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結論:邪馬台国は筑紫にあった

自然から邪馬台国を考える

北部九州の筑紫の国には、遠賀川・筑後川・那珂川を中心に、地域を象徴する山河や島々という自然とともに、神話の中の天照大神の一族の神々をお祭りする様相が顕著です。

『魏志倭人伝』を合わせて「筑紫邪馬台国」としてふさわしいのではないでしょうか。

天皇家の先祖が、古典に書かれている通りに「筑紫」という地域に特別な由緒があったであろうことが偲ばれます。

筑紫とは?

邪馬台国時代の都

邪馬台国時代、都が遷都されていました。

伊奘諾尊時代

邪馬台国の周りの国

『魏志倭人伝』には、邪馬台国のほか、奴国、伊都国、対馬国などたくさんの国がでてきますよね。

邪馬台国の周りの国々を知ることでも、邪馬台国が見えてきます。

奴国

伊都国

投馬国

不弥国

 

狗奴国

 

邪馬台国畿内説

邪馬台国には大きく、九州説、畿内説がありますが、畿内説の「ここがおかしい」をとりあげます。

畿内説への疑念