石室日本最大級の森将軍塚古墳の被葬者は誰?

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こんにちは!yurinです。

長野市の南、千曲川(ちくまがわ)と犀川(さいがわ)が合流する川中島を見下ろす支脈の先端に築かれたのが、森将軍塚古墳です。

※千曲川は信濃川の長野県での呼称です

長野県千曲市森にあり、東国屈指の前期古墳です。

森将軍塚古墳は、神武天皇皇子、神八井耳命の子孫で信濃の国造(くにのみやつこ)が被葬者とされます。

森将軍塚古墳の被葬者は信濃の国造

「杏の里」で有名な千曲市森の里。

春の訪れは早く、あいにく杏の花は咲き終わっていましたが、桃・山桜と萌黄色の新緑をバックに、高く掲げられた鯉のぼりが泳いでいます。

山上に森将軍塚古墳を、仰ぎます。

雪の季節には、麓から古墳がよくわかります。

よくぞ、あのような山上に古墳を築いたもの、と古代の人々の労力と作業に頭が下がります。

そのような自然地形を利用して築造されたので、全体の形は少し「くの字」に折れ曲がっているようです。

 

古墳の被葬者について、日本の古典を参考にしない近年は「大和政権から認知された地元の豪族」という見解が一般的です(大汗)

ですが、少し前の参考文献や地元の伝承からは、信濃の国造の建磐龍命(たけいおたつのみこと)と言われてきました(大拍手)

 

『先代旧事本紀』「国造本紀」には次のように記します。

科野(信濃、しなの)の国造

瑞籬(みずかき)の朝(みかど)の御代に、神八井耳命(かむやいみみのみこと)の孫の建五百建命(たけいおたつのみこと)を国造に定められた

瑞籬(みずかき)の朝(みかど)は、磯城瑞籬(しきのみずかき)の宮を置いた、10代崇神天皇です。

三輪山山麓の磯城(しき)郡で、有名な纒向(まきむく)遺跡も近いです。

国の史跡に指定「森将軍塚古墳」の石室は日本最大級

川柳将軍塚古墳と倍塚(ばいちょう)の姫塚古墳、森将軍塚古墳と有明山将軍塚古墳・倉科将軍塚古墳・土口将軍塚古墳は、国の史跡に指定されています。

付近にはその他多くの古墳群があり、この地域がいかに初期大和政権から重要視されていたか、うかがわれます。

 

森将軍塚古墳の石室は、長さ7.6m、幅2m、高さ2.3mという長大さは、日本最大級です。

内部は盗掘によって棺は残っていませんが、石室の大きさから巨木を2つに割った、割竹形木棺であったと考えられています。

壁の内側全面に赤色に塗装されています。

 

盗掘をまぬがれて、三角縁神獣鏡の破片、ヒスイ製勾玉、碧玉製管玉、剣、刀、槍、矢じり、鎌などが残されていました。

墳丘には石積がなされ、三角形の穴のある円筒埴輪、朝顔形埴輪、壺形埴輪、家型埴輪が巡らされています。

発掘調査に基づき、正確に再現されています。

森将軍塚古墳のある一画に県立博物館が建てられて、「科野(信濃、しなの)の里歴史公園」として整備されています。

古墳の出土品にご興味のある方は、足を運んでみてくださいね。

被葬者は四道将軍?

川柳将軍塚古墳についてはこちらのブログで書きましたので、合わせてお読みいただければうれしいです。

森将軍塚古墳とは、千曲川を隔てて対岸に築かれています。

川柳将軍塚古墳に、四道将軍の大彦命の墓の伝承がありました。

 

古墳のある山には、式内社の布施神社が鎮座して、大彦命・孝元天皇・彦太忍信命(ひこふつおしのまことにみこと)の親子兄弟が祭られています。

それで当初に、千曲川対岸の森将軍塚古墳の方は、大彦命の子で同じく四道将軍の武渟川別命(たけぬなかわわけのみこと)と考えたのでした。

……ですが、調べてみてもそうした伝承は全くなく、被葬者は信濃の国造(くにのみやつこ)の建磐竜命(たけいおたつのみこと)の墓というものでした。

建磐竜(たけいおたつ)は、神武天皇の皇子の神八井耳命(かむやいみみのみこと)の子孫です。

森将軍塚古墳が、なぜ大彦命の子孫の阿倍氏のお墓でないのか、腑(ふ)に落ちないところでした。

 

……ですが幸運にも、その疑問を氷解させて下さるお方と出会えたのです!

以前ブログでも紹介した「神武天皇の皇子の神八井耳命のご子孫」大平武子氏です。

神武天皇の皇子の神八井耳命の後裔の島田臣(しまだのおみ)のご子孫として、かの稗田阿礼(ひえだのあれ)のごとくに、古代からの信濃の歴史を語ってくださいました^^

 

建磐竜命(たけいおたつのみこと)は、大彦命の北陸遠征に従軍し補佐して、その功績と神武天皇以来の血筋から「信濃の国造」として、この地を統治した、ということです。

『日本書紀』に四道将軍が派遣されたのは、第10代崇神天皇の時代とされますから、信越方面を平定し、遠征に従軍した功労者として信濃の国造に委任するのももっともです。

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