『古事記』『日本書紀』とはまた違ったヤマトタケル像を教えていただきました。(kaori)
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『常陸国風土記』多珂郡(たかのこおり)道前(みちのくち)
倭武天皇(やまとたけるのすめらみこと)が、「あづま」
野の幸・海の幸豊かな様子を耳にします。
そこで、
この時、天皇は野山の狩で、
一方、海での漁をした皇后は、わずかの時間で、
今日の遊びは、朕(われ)と家后(きさき)と、
おのおの野と海とに就(つ)きて、同(とも)に祥福(さち) を争えり。 野の物(もの)は得ざれども、
海の味わいはことごとに飽き喫(くら)いつ」とのりたまいき。
後の代、跡(あと)を追いて、飽田(あきた)と名づく。
(「今日のゲームは私と后が、それぞれ野と海に行って共に「幸」
野のものは得られなかったが、
後世そのあとを思って、飽田(あきた)
私の好きな話です。
走水の凜とした弟橘媛もいいのですが、夫より有能で、かといって勝ち名乗りを挙げることもせず、微笑んでいる橘皇后と、妻に負けてもひがみもせず、
「飽きるほど食っちゃったよ~」と笑っている倭武天皇(ヤマトタケル)は『古事記』『日本書紀』の悲劇的な伝承と違って、穏やかで幸せな日々が伝えられていて、良かったなあと思います。
『常陸国風土記』のヤマトタケルは土地に根ざした英雄の姿なのでしょうね。
(大阪府在住 水無瀬ゆうさん)
yurinより返信コメント
さっそくにヤマトタケルへの暖かい思いをお送りいただき、
大阪にお住まいで『常陸国風土記』に興味を持ってくださり、
ここに登場する橘皇后は、香島郡に「大橘比売命(
そこからまたさまざまなシチュエーションが考えられるところです
旧多珂郡の日立市は、山も近づき、海の幸も豊かです。
『常陸国風土記』をもとに、ヤマトタケルの足跡をたどると、
そういうヤマトタケルに、同じく共感します(^o^)v
大阪にお住まいと伺いましたので、『
『
関西方面ならではの、