神武天皇についてサイコーの講演会【1】「歴史の真実はシンプルなもの」

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こんにちは!yurinです。

10月21日(土)、22日(日)は、台風、選挙、古代史日和の勉強会の参加、邪馬台国の会の講演会の参加……と嵐のように過ぎ去っていきました。

台風一過の晴天。

実に久しぶりのすがすがしい秋晴れが続いて、邪馬台国の会の特別講演会の成功を象徴するようです!

邪馬台国の会の当日は、台風のため大雨でしたが、「こういう天候の日に足を運んで下さる方々は、どうしても聞きたいと思って来てくださる方ですね。」とは、安本先生の第一声。

この日は福岡県から河村先生をお招きしての、特別講演でした。

安本美典先生と河村哲夫先生、それぞれの得意分野を存分に発揮なされて、お二人の先生ならではの絶妙なコラボレーションからなる「神武天皇」でした!

邪馬台国も神武天皇も、これでスッキリ。

邪馬台国の会でも記憶に残る、サイコーの講演会の一つであったことは間違いないです(拍手)

1.迷走を導く神武天皇と金鵄ヤタガラス!?

ほんとうは講演会終了後に記念撮影……という流れですが、あいにくの台風21号の接近で、天候は悪化の一途で、福岡の河村先生の講演終了も早まるかもしれないようでしたし、講演会も場合によっては、早めに切り上げられるかもしれない、という状況でした。

それで、早くから講演会の前にお手伝いに来て下さっている、理事の藤江さんと古代史日和・カフェ会の女性陣とともに、お二人の先生を囲んで記念撮影しました!

撮影前に「ちょっと櫛を入れて来ますから」と、安本先生もうれしそうに身づくろいに行かれ(微笑)……

安本先生も、信頼する河村先生、華やかな女性陣に囲まれて笑顔がこぼれます。

 

・・・・と、申しますのも、ここのところ邪馬台国の会は、会員数が増えて大きな歴史団体になったものの、一方で多くの団体との円滑な協力関係も築かなくてはならなくなったようなのです。

そうした中で、最近は種々雑多な説を唱える先生方も、講演されるようになっています。

安本先生が創立し、拡張してきた会ですが、これまでも反対の学説の先生もお呼びして、お話しをお伺いしたことはもちろんありましたが………

その都度、安本先生は、是々非々で反論すべきは反論し、賛成すべきは賛成していらっしゃいました。

種々雑多な古代史像に対する、安本先生のお考えをお伺いできるのは、大変有難く貴重なことだと思っています。

なにしろ巷(ちまた)には、実にさまざまな古代史本、古代史情報が溢れています。

1冊の本を手にしても、読んでいるうちに翻弄されて、迷路に入るばかり(大汗)

この本はどこまで信じていいのか、どこを取捨選択すればいいか?

 

もちろん安本チルドレンになって、何もかも鵜呑みにするわけではないですが、そうした安本先生のお考えも踏まえて、さまざまな書物の古代史情報を取捨選択しながら、自分なりの真実の古代史像構築のために探究を重ねたいものだと考えています。

何十年も前から、安本先生の古典のご講義を通じて、さまざまな書籍に関する安本先生のご見解はおおよそ理解してきました。

ですが、仕事もありお忙しい日常の方々、遠方にお住まいで、講義を受講できない方々には、書籍ばかりでなく、講演会もまた、先生のお考えをお伝えできる絶好の機会です。

 

ここ数ヶ月、モヤモヤしていたのですが、まさに「金鵄(きんし)ヤタガラス来たる!」と、河村先生が、神武天皇の皇軍を助けて、熊野山中を導いたヤタガラスに思えるほどでした。

……もっとも迷走していたのは、兵士たちばかりで、主人公の神武天皇には「めざす道」への迷いはなく、ヤタガラスが来るのも、もとより折り込み済みだったのでしょう。

2.日本の古典の資料的価値にもとづいて

『日本書紀』で、「金鵄(きんし)」は、神武天皇の大和入りをはばんで、抵抗する長髄彦(ながすねびこ)の戦いの中で、おりから飛んできて、神武天皇の弓にとまったのです。

その霊力ある輝きに長髄彦の兵士たちは目がくらんでしまいます。

そして天皇軍は勝利することができました。

 

この「金鵄(きんし)」を、先に熊野山中の神武天皇軍を導いた八咫烏(やたがらす)と合わせて、「金鵄(きんし)ヤタガラス」と讃(たた)えます。

京都の下鴨神社の祭神で、賀茂建角身(かもたけつのみのみこと)の化身とされます。

下鴨神社

明治時代には、陸軍海軍の武人で功績あった軍人に下賜される「金鵄勲章(きんしくんしょう)」もあったのです。

 

安本先生は2か月続けて、神武天皇の年代論と、神武天皇を含む初期天皇の系図について、検証されました。

日本書紀の年代こそ、信頼性は欠けるけれども、その他の記事内容は大いに信頼できる、資料的価値が高い、ということです。

三種の神器を継承した人物として、125代の天皇の代数や名称、天皇の母としての皇妃の記事の信頼性は高いというものです。

 

天皇の平均在位年数は、古代において10年ほどで、時代がさかのぼるほどに短くなる。

どの古典も、神武天皇の東征は天照大神の時代のあと。

すなわち天照大神の時代には、大和に都が遷っていない、と。

神武天皇を祭る橿原神宮

3.誰にも理解できる「再現性」とは?

安本先生は、一貫して主張してきた論を、本日ももっぱら数理的アプローチによって主張されます。

それは7月に邪馬台国の会で講演された足立倫行(あだちのりゆき)氏、そして足立氏が支持して礼賛する宝賀寿男氏の年代論「推定系図」なるものが、やはり相当に矛盾して問題がある、とお考えになったからと拝察します。

そして宝賀氏の弁護士という職業をふまえて、「言葉」を尽くす手法に対するには、「数」という客観的方法によって論を展開するのが、最も効果的と認識されたのです。

 

言葉を尽くせば、古代史の真実に近づけるのでしょうか?

いいえ、むしろ安本先生が、時におっしゃるように

「歴史の真実はシンプルなもの」

「言葉を尽くさなくてはならないのは、矛盾を説明することを積み重ねているから」

「何ページか読んでごちゃごちゃしてくるのは、読む側の頭が悪いのではなく、書く方に問題があるので、その先は読まなくていい」

というお言葉にホッとします(微笑)

 

安本先生は

『古事記』にも『日本書紀』にもない、現代の宝賀寿男氏の本にしか記されていない系図が、創出というか想定される。そしてそれが出発点になって議論が進む

宝賀氏の方法では、立場や前提により推定値がかなり動き、『再現性』がない

と資料に書いていらっしゃいます。

 

他の方の講演会のあとに2回も続けて、こうした反論の講演をなさるのも異例です。

……もっとも古田武彦氏とは、よほど思うところがあったのか、あの時も延々と反論を続けましたが……(大汗)

 

河村哲夫先生が、北部九州の神武天皇の豊富な現地情報とともに、合わせて宗像氏や阿曇氏の系譜が記される、国宝の『海部氏勘注系図』の資料的価値を認める論を展開してくださいました。

『古事記』『日本書紀』の神武天皇の記事を補い合う現地情報は驚くほどでした。

河村先生の聴衆を引き付けてやまない、ウィットに富んでテンポいい語り口に、引き込まれます。

つづく

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