本年5月5日にアップしました「テディベア土偶が語る縄文の昔話【3】」の中で、土偶画像を提供いただいた所蔵先様を間違えるという重大なミスをしてしまいました。正しくは次の通りです。
心よりお詫び申し上げますとともにすでに一覧表を訂正させていただきました。
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こんにちは!しむちゃんナウです。
今回は、縄文のビーナスと仮面の女神、2つの国宝土偶を紹介します。
縄文のビーナスは縄文中期、仮面の女神は縄文後期の土偶です。
目次
国宝 縄文のビーナスと仮面の女神の違い
テディベア土偶は八ヶ岳西麓で生まれました。
富士見町大花遺跡と極めて近い集落で「縄文のビーナス」と「仮面の女神」も生まれました。
- 縄文のビーナス:茅野市棚畑遺跡
- 仮面の女神:茅野市中ッ原遺跡
でも時期は、縄文のビーナスは中期中葉の初め頃(約5,300年前)、仮面の女神は後期前葉頃(約4,000年前)と1,000年以上も違います。
その間にどんな変化があったか、2体の国宝土偶を見比べて下さい。
同じ地域での縄文中期と縄文後期の違いに気が付くと思います。
ビーナスは全体的に丸みを帯びていて優しさを感じますが、女神はどっしりしていて引き締まっている感じもしますね。
体もビーナスはすべすべしていますが、女神には渦巻きのような模様が沢山ついています。
縄文のビーナスの誕生と役割の終わり
いわゆる「中部高地」とは、長野県諏訪地区とその周辺から山梨県にかけての地域です。
中央高速道路では、岡谷JCから釈迦堂PAくらいまでに相当しそうです。
まさに中期の縄文のビーナスにソックリな土偶の生まれた場所に相当します。
縄文のビーナスが生まれた中期中葉は、温暖化した気候が定着し食料も豊かになり中部高地では人口も増加し多くの集落が営まれました。
山の方へ行くと最高品質の黒曜石の原産地があり、その黒曜石を求めて東北、関東、北陸、東海など様々な地域の人々が訪れ、交易交流が盛んになりました。
そういう中で環状の棚畑集落の繁栄を象徴するように縄文のビーナスが誕生しました。
雲母片(うんもへん)を混ぜた最上の胎土を使って焼き上げ、丁寧に磨き上げられた最高傑作!!
お腹がふくらんでいるので赤ちゃんがいるかも。
ハート形でちょっと釣り目でおなじみの伝統的な顔で、体全体はふくよかな優しいお母さん。
豊かな中で縄文人は何を祈ったのか?この繁栄が続くように!!子供がたくさん生まれて豊穣が続くように!!
そして役割が終わった時、ビーナスは環状集落中央部の土坑に丁寧に葬られた(仕舞われた)のです。
他の土偶とまるで役割が違うように丁寧に!!
仮面の女神の誕生
「仮面の女神」が生まれたのは、テディベア土偶と同じ縄文後期です。
中期末葉には寒冷化が進み暮らしにくくなり、この辺も集落が急減しましたが、後期前葉(約4,000年前)には回復傾向が見られるようになりました。
土偶一族も再び活動を開始しますが、姿形は中期とだいぶ異なり、関東のハート形土偶一族の影響を受けて仮面土偶一族が優勢になりました。
その頃、仮面の女神が生まれたのです。
土偶の仮面三姉妹
後期にも姉妹のような土偶が広域エリアに広がります。
同じ祭祀を行う一族連合体のようなものでしょうか?交易の結果でしょうか?
『縄文土偶ガイドブック』に著者三上徹也先生の詳細な分析に基づく次のような記述があります。
八ヶ岳の西麓長野県茅野市中ッ原遺跡から国宝「仮面の女神」が出土、南東に約40kmの山梨県韮崎市後田遺跡と南西に約30kmの長野県辰野町新町泉水遺跡からコピーのような土偶が出土しています。
製作時期は、新町泉水→後田→中ッ原の順
この3つの土偶は諏訪を核とする地域を中心とした交通の要衝に立地しており、強力なまとまりと連帯を築いた地域の範囲を示す。
おそらく地域の拠点的なムラに大型土偶が順次置かれ、人びとの結束の象徴となっていたのでしょう。
新町泉水遺跡、後田(うしろだ)遺跡、中ッ原遺跡の位置関係はこちらの地図をご覧ください。
■上記の3遺跡から出土している仮面3姉妹
長野:新町泉水遺跡(辰野町) 辰野美術館蔵 身長20.1cm |
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山梨:後田遺跡(韮崎市) 韮崎市教育委員会 ・韮崎市民俗資料館蔵 身長21.5cm |
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長野:中ッ原遺跡(茅野市) 尖石縄文考古館蔵 身長34.0cm |
やがて女神の役割を終えると、大集落の中央付近の墓坑と見られる土坑群の中の独立した小規模な土坑に横向きに丁寧に葬られ(仕舞われ)ました。
右脚だけが割られていましたがその破片も右脚の中に納めてありほぼ完形で出土しました。
長野県立歴史館特別企画土偶展の図録の解説を参考にさせていただきました。
ありがとうございます。
今回は、国宝の縄文のビーナスと仮面の女神を紹介しました。
縄文・土偶のことをもっと知りたい!深めたい!という方は、縄文ライブラリーもあわせてご覧ください。
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