こんにちは!yurinです。
高天の原で大きな采配をふるうのが、阿智神社の祭神の思兼命(おもいかねのみこと)です。
『古事記』神話の「天の岩戸」「出雲の国譲り」で、本領を発揮する様子が記されています。
それでは「天の岩戸」神話とは、どのような意味を持つのでしょうか。
今回は、『日本書紀』『万葉集』から天の岩戸について考えてみますね。
岩戸にこもるとは?
『日本書紀』神代、天照大神は、素戔嗚尊(すさのおのみこと)の乱暴なふるまいにお怒りになり、岩戸を固く閉じて岩屋にこもってしまいます。
この時に天照大神(あまてらすおおかみ)、驚きたまいて、梭(ひ=機織の道具)をもて身を傷(いた)ましむ。
(この時に天照大神は、とても驚かれて、機織の器具で身体を傷つけてしまいました。それで大変お怒りになられ、天の岩屋に入り、岩戸を閉ざしてお隠れになってしまったのです。)
これに由(よ)りて、怒りまして、すなわち天の石窟(いあわや)に入りまして、磐戸(いわと)を閇(さ)して幽(こも)り居(ま)しぬ。
六合(くに)の内常闇(とこやみ)にして、昼夜の相代(あいかわるわき)も知らず。時に、八十万(やおよろず)の神たち、天の安の河辺(かわら)に会(つど)いて、その祈るべき方(さま)を計(はから)う。
(国中が真っ暗闇になり、昼も夜も区別はつきません。
それで多くの神々たちは、天の安川の河原に集まり、どのようにお祈りしたらよいか、相談しました。)
故(かれ)、思兼神(おもいかねのかみ)、深く謀(はか)り遠く慮(たばか)りて、遂(つい)に常世(とこよ)の長鳴鳥(ながなきどり)を集めて、互いに長鳴きせしむ
(そこにオモイカネの神が、深謀遠慮をめぐらせ、永遠の国からやってきたという鳴き声の長い鶏を集め、それぞれ長鳴きをさせました)
天照大神は素戔嗚尊(すさのおのみこと)の乱暴狼藉に耐えかねて、心身傷つき、岩屋にこもってしまったのです。
「岩戸に隠(こも)る」というのは、古代では「貴人の死」を意味します。
『万葉集』に次のような歌があります。
豊国(とよくに)の 鏡の山に 石戸たて 隠(こも)りにけらし 待てど来まさず
巻3-418
(豊の国(福岡県北西部と大分県)の鏡の山に、岩戸を閉じてお隠れになってしまったようです。いくら待ってももどっていらっしゃることはないのです)
この歌は、河内王(かわちのおおきみ)を、豊前の国の鏡山に葬った時、手持女王(たもちのひめみこ)が詠んだ歌、という前書きがあります。
岩戸を閉じてお隠れになる ⇒ 尊い方の死
を現していることがわかります。
さらに「鏡」について、 古代史学者の安本先生は「死者にお供えする花輪のようなもの」と、おっしゃいますが、まさしくそのイメージを彷彿とさせるものです。
平原古墳の内行花紋鏡