こんにちは!yurinです。
いよいよ来月には新天皇の即位式「大嘗祭」が行われます。
天皇が即位するには、大がかりな祭祀が行われてきました。
そして天皇として即位するには三種の神器といわれる宝物が必須だったのです。
天皇が天皇である証しです。
八咫(やた)の鏡、八坂瓊(やさかに)の勾玉、そして天叢雲(あめのむらくも)の剣です。
日本武尊(やまとたけるのみこと)が東征の時に火難に遭い、この剣で燃える草を薙(な)ぎ払い火を鎮めたことから「草薙(くさなぎ)の剣」と呼ばれるようになりました。
この剣の由緒を探ると、出雲での素戔嗚尊(すさのおのみこと)の偉大さが認識されます。
目次
天の岩戸の前に捧げられた鏡と玉
『古事記』『日本書紀』の神話の意味についてはさまざまな見解がありますが、その一つとして「三種の神器の由緒書き」という側面を取り上げたいと思います。
天皇が天皇である証(あか)しの三種の神器。
古代において同じ血筋で同じくらいの勢力の人物がそれぞれ「天皇である」と自称すると、判定は難しい場合があったでしょう(大汗)
…ですが~「三種の神器」を持っているお方こそ天皇である~といえばだれも異を唱えることはできなかったものとみられます。
それほど重い意味をもつ宝物です。
その三種の宝物はどうして特別な宝物になったのか?については、『古事記』『日本書紀』神話に書いてあります。
八咫の鏡は天照大神が岩戸にお隠れになった時に、石凝姥命(いしこりどめのみこと)が懸命に製作し、岩戸の前の真榊(まさかき)に取りかけた宝物でした。
大型内行花文鏡
伊都国歴史博物館、日田市シンポジウム掲示板資料より
八坂瓊(やさかに)の勾玉は玉祖命(たまのおやのみこと)が製作して、同じように真榊に飾られました。
天の岩戸以前の天の安河(やすのかわ)の誓約(うけい)でも、天照大神が八坂瓊(やさかに)の勾玉を身に着けている様子が記されます。
八坂瓊(やさかに)の勾玉は大きなヒスイの勾玉で、「五百箇御統(いおつみすまる)」とありますから、ヒスイをポイントにした美しい首飾りとみられます。
糸魚川市 天津神社 ご奉納 ヒスイ首飾り
天の岩戸の前には、優れた素材を用いて懇親の思いで製作された格別な宝物が奉納されたとみられるのです。
奈良県磯城郡田原本町には、石凝姥命(いしこりどめのみこと)を祭る鏡作坐天照(かがみつくりにますあまてるみたま)神社があります。
また玉祖命(たまのおやのみこと)を祭る玉祖神社(山口県防府市大崎)があります。
周防国一宮です。
玉祖神社の関係者のお話しによると、
「先祖は九州から来たと伝えられ、出雲勢力と拮抗する関係の中で、高天の原の勢力の最前線に派遣されたとみられる」
ということでした。
玉祖神社についてはこちらのブログに書きましたので、ご興味ある方はお読みくださいね。
鏡・玉を捧げる祭祀イメージ
吉野ケ里遺跡
素戔嗚尊が八岐大蛇を斬った体内から出て来た天叢雲(あめのむらくも)の剣
三種の神器の鏡と玉の由緒は「天の岩戸」ですが、残りの「天叢雲(あめのむらくものつるぎ)または草薙(くさなぎ)の剣」の由緒は天岩戸とは関係ありません。
高天の原での乱暴狼藉によって出雲に追放された素戔嗚尊(すさのおのみこと)は、ひとたび出雲に入ると、一転して出雲の人々からは信頼されて生き生きと活動します。
毎年、高志(こし=越)からやってきては八岐大蛇(やまたのおろち)の人身御供(ひとみごくう)として捧げられる少女たちを救うために勇気を奮って立ち上がったのでした!
やって来た八岐大蛇に「八鹽折(やしおおり)のお酒(何度も醸した上等酒)」をふるまい油断させ、酔って寝てしまったところを十拳剣(とつかのつるぎ)で斬りつけました。
そして大蛇をずたずたにして尾を切りつけた時に刃がこぼれたのです。
そこから「都牟刈(つむがり)の太刀」がでてきたのでした。
とても尋常なものとは思われず、素戔嗚尊(すさのおのみこと)は天照大神に献上しました。
天叢雲の剣は、銅剣説と鉄剣説があります。
都牟刈(つむがり)の太刀は、稲穂を摘んだり刈ったりする時に使用する鉄鉄品の剣ではないかとされます。
後に日本武尊が火難に遭い、この剣で草を薙いだ、わけですが「薙ぐ」というのも切れ味の鋭い鉄製品を思わせます。
「天叢雲(あめのむらくも)の剣」の名称は、とても神気が強いので、ただならぬ気配を漂わせていることをたとえた尊称と見られます。
日御碕神社の神剣奉天神事
天叢雲の剣は、即座に出雲の素戔嗚尊から高天の原の天照大神に献上された、と『古事記』を読んで理解していたのでした。
…ところが、島根県出雲市の日御碕神社の神事を知ると、ことはそう簡単に出雲から高天の原の献上したのではないのではないか?と見られてくるのでした。
これについてはこちらのブログを書いたのでお読みいただければ幸いです。
出雲としては素戔嗚尊が命がけで入手した宝物中の宝物なので、高天の原に手渡したくはなかったのが本音であったと思われるのです。
出雲の古社を訪れて『古事記』神話を補うさまざまな思惑が錯綜します。
さらに気づくことは、出雲といえばまず大国主命が浮かびます。
ですが、あらためて神話を読んで出雲を訪れると、むしろ素戔嗚尊(すさのおのみこと)の偉大さが感じられてくるのでした。
そして『古事記』『日本書紀』の神話は、三種の神器の由緒書きではないかと。
日御碕神社付近の日本海日御碕
…………
このような由緒の三種の神器の一つ「天叢雲(あめのむらくものつるぎ)の剣」と素戔嗚尊(すさのおのみこと)。
古代史のロマンがふくらみますね^^
古代史日和勉強会では、大嘗祭を前に「出雲ご縁結び2~スサノオ尊と鉄を巡る物語」 を企画しました。
ご興味のある方はぜひお気軽に足をお運びください。お待ちしております。
→この勉強会は終了しました