『源氏物語』からさかのぼって古代人の心を知る【2】

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『源氏物語』からさかのぼって古代人の心を知る【1】のつづきです。

3.『風土記』の中の天皇と皇居

各地方それぞれの『風土記』でも『古事記』『日本書紀』の天皇や皇居が記されます。

『常陸国風土記』

美麻貴天皇馭宇之世
(みまきのすめらみことのあめのしたしろしめししみよ)

(=御間城入彦五十瓊殖天皇、みまきいりひこいにえのすめらみこと、第10代崇神天皇)

 

難波長柄豊前大宮臨軒天皇之世
(なにわのながらのとよさきのおおみやにあめのしたしろしめししすめらみことのみよ)

(=第36代孝徳天皇)

 

石村玉穂宮大八洲所馭宇天皇之世
(いわれのたまほのみやにおおやしましろしめししすめらみことのみよ)

(=第26代継体天皇)

 

淡海大津朝(おうみおおつのみかど)

(=第38代天智天皇)

 

伊久米天皇之世(いくめのすめらみことのみよ)

(=活目入彦五十狭天皇、いくめいりひこいさちのすめらみこと、第11代垂仁天皇)

 

倭武天皇(やまとたけるのすめらみこと)

(=日本武尊、第12代景行天皇皇子)

 

播磨国風土記

穴門豊浦宮御宇天皇
(あなとのとゆらのみやにあめのしたしろしめししすめらみこと)

(=第14代仲哀天皇)

 

志賀高穴穂宮御宇天皇之世
(しがたかあなほのみやにあめのしたしらしめししすめらみことのみよ)

(=第13代成務天皇)

 

大長谷天皇之世(おおはつせのすめらみことのみよ)

(=第21代雄略天皇)

 

宇治天皇之世(うじのすめらみことのみよ)

(=第15代応神天皇の皇子の莵道稚郎子うじわきのいらつこのみこ)

 

出雲国風土記

纏向日代檜代宮御宇天皇
(まきむくのひしろのみやにあめのしたしろしめししすめらみこと)

(=第12代景行天皇)

 

志紀嶋宮御宇天皇之御世(しきしまのみやにあめのしたしろしめししすめらみことのみよ)

 (=第29代欽明天皇または、第21代雄略天皇)

 

肥前国風土記

纏向日代宮御宇大足彦天皇
(まきむくのひしろのみやにあめのしたしろしめししおおたらしひこのすめらみこと)

(=大足彦忍代別天皇、おおたらしひこおしろわけのすめらみこと、第12代景行天皇)

 

豊後国風土記

飛鳥浄御原宮御宇天皇御世
(あすかのきよみはらのみやにあめのしたしらしめししすめらみことのみよ)

(=第40代天武天皇)

 

……などまだまだ続きますが、かいつまんで取り上げました。

つまり、日本列島の広範囲にわたり、天皇の名称や皇居の場所が知れ渡り、
それを基準にして各時代を語り継いでいることがわかります。

そして第12代景行天皇は、関東から九州までの風土記に登場し、
まさに日本のアレクサンダーというべき大帝であったことが『風土記』からもあきらかです。

()は『日本書紀』の表記を記しましたが、『古事記』ではまた別の表記があります。

 

『風土記』では、『日本書紀』の天皇の呼称の一部だけで書き表したり、別表記であったり、
『古事記』『日本書紀』では天皇に即位していない日本武尊・莵道稚郎子が「天皇」であり、
それぞれ微妙に違うところにこそ真実味が感じられます。

4.日本武尊(やまとたけるのみこと)に通じる「もののあわれ」

江戸時代の封建社会では、主君への命がけの忠誠や男尊女卑の夫婦関係など、
中国の儒教道徳に束縛されるものでした。

そうした時代にかかわらず、『源氏物語』に流れる、
人が本来もっているありのままの真情を「もののあわれ」という言葉で現したのが、
国学者の本居宣長です。

 

そして『源氏物語』を流れる「もののあはれ」は、
『古事記』『日本書紀』を代表する人物の日本武尊(やまとたけるのみこと)にもうかがわれます。

東征の進軍を続ける日本武尊は、周囲のいさめる声を振り切って、
走水(はしりみず)の海(東京湾の浦賀水道)へ出航します。

しかし突如とした暴風雨に襲われてしまいました。

日本武尊の凱旋を心から願う弟橘媛(おとたちばなひめ)は、
我が身を犠牲にして入水し、海神(わたつみ)の怒りを鎮めたのです。

かけがえのない妻を犠牲にしてしまいました。

 弟橘媛を祭る橘樹神社

千葉県茂原市

弟橘媛の古墳のある橘樹神社

千葉県茂原市

東征が成功して帰路に向かうほどに、彼女の犠牲の大きさに心を痛めて、
「わが妻よ」と嘆く、ヤマトタケル

日本武尊の終焉地にほど近い弟橘媛生誕地の忍山神社

三重県亀山市

今も昔もかわらずに通う二人の男女の真情は、
まさに光源氏と女性たちが織り成す物語へと真っ直ぐつながっていくものです……

 

もともと医者でありながら、和歌の達人として知られていた宣長のもとに
集まった人々は当初は「和歌を教えてもらいたい」との願いからでした。

 

『古今集』『新古今集』『万葉集』などの和歌の世界からスタートして、
何十年もかけて、ついに「古事記」の世界へ到達して成就したのが、
不朽の『古事記』の注釈書、『古事記伝』44です。

 

男女の愛を歌う相聞歌(そうもんか)人の死を嘆く挽歌(ばんか)……

そこには儒教道徳を越えた「もののあわれ(人の真心)」があり、
そこにこそ古代人の本質を見たのです。

 

『源氏物語』→『古事記』『日本書紀』
『魏志倭人伝』→『古事記』『日本書紀』

その入り方で、古典の見方、味わいが違ってくるようです。

「源氏物語からさかのぼることで、古代人の心がわかった」
という安本先生のお言葉がとても深く染み入ります。

 

<参考:和歌>
「橋姫の心をくみて高瀬さす 棹(さお)のしづくに袖ぞ濡れぬる」
(橋姫のようにひっそりとこの山里で暮らしているあなたを思い、涙で袖が濡れてしまうのです)

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