日本武尊の東征にまつわる埼玉県の名水と神社の伝承

こんにちは、オオクです。

埼玉県の寄居町(よりいまち)にヤマトタケルにまつわる伝承があります。

寄居町は、埼玉県の北西部、荒川の清流が秩父の山間から関東平野に流れ出す扇状地の要に発達した町です。

埼玉県で唯一の名水百選に寄居町の「風布川(ふうっぷがわ)・日本水」が認定されています。

この日本水は「やまとみず」と読みヤマトタケルが東征の折、この地の釜伏山(かまぶせやま)の岩壁に剣を突き差したところから水が湧き出たとの由来がありますので、紹介します。

日本水(やまとみず)とは?

日本水は、釜伏山北面の「百畳敷岩」と言われる大岩壁から日量約10~70トンがこんこんと湧き出し古来より枯れることのない神秘的な名水で「日本水大神」が祀られています。その昔、日本武尊が東征の折、当山に戦勝を祈願し、喉の渇きをおぼえ、御剣を岩壁に刺したところ忽ち湧水し、尊はこの水の冷たさに一杯しか飲めなかったとの伝説により、「一杯水」との別名で呼ばれています。日本水は、風布川の源流で古くから旱魃時の農民による雨乞いのもらい水として、また、不老長寿、子授け等諸願いにご利益ある霊水として広くあがめられ、地元保存会の手で良好に保存されています。
「日本名水百選 風布川 日本水の由来」案内板より

伝承の地、寄居町へトリップ

現在、日本水の水源への立ち入りは禁止されていますが、水汲み場が設けられているようです。

この水と、ヤマトタケルゆかりの釜山(かまやま)神社へ、風のない古代史日和に自宅から寄居町へ車で出掛けました。

途中、名水百選認定の風布川(ふうっぷがわ)沿いにある「日本水(やまとみず)の森」を少し散策。

少し先の「日本(やまと)の里」でひとやすみ。ここで、寄居町の観光パンフレットなどを入手しました。

「日本の里」からくねくねとした山道を登ると、人だかりが。そこは水源からひかれている「日本水取水場」でした。

大きなポリタンクに水を汲む人たち。それまでは、車さえも会わなかったので驚き、「ヤマトタケルの水、大人気!」と呟きました(笑)

その場で飲んでみたかったですが「生水ですので必ず煮沸してご利用ください」の注意書があり断念。

ちょっとさわりましたが、冷たくてヤマトタケルが一杯しか飲めなかったほどではありませんでした。水源地ではもっと冷たいのかも。

大きめのペットボトルにお水をいただいてきました。

 

さらに山道を登っていくと「塞神峠(さいじんとうげ)」があり、ここを右に下る車道が分かれており、そちらへ行くと長瀞に行けるようでした。

塞神峠には、「関東ふれあいの道」という歩いていく道の標識があり長瀞駅まで行けるようです。登山道の趣でしたので、ヤマトタケルはこのあたりを通って釜伏山に登ったのかな、と勝手に想像。

山梨県から雁坂峠を越えて秩父に入り三峯神社、長瀞の宝登山神社からこの峠を通り風布地区に入り、釜伏山へ。

そしてその後、火打金を納めた神川町の金鑽(かなさな)神社、そして群馬へと歩みを進めたのか、などと、しばしタケルルートを妄想しました。

 

このルートについて古代史日和の「教えて!日本武尊のこと」のところの投稿者さんへのお返事でyurin先生が下記のようにヤマトタケルの心情まで深く書いていらっしゃいます。

「教えて!日本武尊のこと~⑩日本武尊が植えた桜」より抜粋

なんで諏訪の近くまできたのに(北杜市付近まで)そこから引き返して雁坂峠を超えて、わざわざ秩父や群馬へ行くような遠回りをして諏訪にきたんだろう、っていろいろ考えます。

ヤマトタケルは、諏訪に入る前に、諏訪信仰の地域を丹念に誠意を持って巡行したんじゃないかしら?と思っています。

yurin先生のこの文章が強く心に残っていましたので、ますますこのあたりの伝承と、諏訪信仰が興味深くなりました。

さらに進むと、釜山神社のすぐ近くに車をとめられるスペースがあり、ここから歩いて釜山神社へ。

ヤマトタケルの東征を伝える釜伏山、釜山神社

杉の木が続く静かな参道には、いくつものオオカミの姿の狛犬が。

秩父地方に多くみられる「大口真神」というオオカミ信仰の神社のようです。

他に参拝の人がいなかったので、静寂な中にひとり佇むと異空間に入ったような厳粛な気持ちになりました。

 

釜山神社案内板によりますと、

この神社の起源、設立については明らかではありませんが、伝説、古文書等によると、紀元504年頃、第9代開化天皇の皇子(日之稚皇子命)が武蔵国を巡幸した折、釜伏山奥の院において旅の安全と国内の平定安康を祈ったといわれています。
 その後、紀元770年頃、日本武尊が巡幸した折、この神社に立ち寄り、山頂において神様に供える粥を釜でたかれ、この釜を神体岩上に伏せ願望成就の祈りをしたと伝えられています。このことから、「釜伏山」、「釜山神社」の名が付けられたといわれています。
 また、一説によると関東平野から眺めると、山の形が釜を伏せたように見えることから、この名が付けられたともいわれています。
 釜山神社には、この世の五大要素といわれる「木火土金水(もくかどきんすい)」の霊神が祭られており、特に、火防盗難の守護を始めとして諸々に無限の幸を賜るといわれています。

神社の社殿に向かって左側に奥の院への道が続いています。

途中、釜伏山の岩石の説明板があり、この山は蛇紋岩でできており、蛇紋岩の代表的な露頭は、日本水が湧く岸壁でみることができるようです。

蛇紋岩はもろくて崩れやすい性質であるようですので、ヤマトタケルの剣も見事に突き刺さったでしょうか。

 

現在、日本水の水源は岩盤の崩落が予測されるため立ち入り禁止になっています。ヤマトタケルは厳しい道をあえて挑んできたのでしょうか。

日本水はまろやかでおいしかったです。

今、その水で珈琲を入れて飲みながらこの文章を書いています。ヤマトタケルからいただいたと思いながら・・・

日照りの時も、この水は涸れることなく人々を潤したそうです。

現在も地元団体の方々の手で大切に保存され、受け継がれています。

 

日本武尊——ヤマトタケルノミコトという、古代より愛された皇子の名前とともに。

illustrated by OOKU

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