『古事記』『日本書紀』は縄文時代までさかのぼるとわかる

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こんにちは!yurinです。

『古事記』『日本書紀』に登場する皇族の方々の足跡を追って、旅を続けると、縄文時代のアニミズム信仰に遡る神々をお祭りする神社にも出会いました。

(12)景行天皇・日本武尊 ⇒ 風の神「シナトベ」千葉県市原市姉崎神社

四道将軍の大彦命 ⇒ 大願を成就する「オモダル」「アヤカシコネ」富山市鵜坂神社

(11)垂仁天皇 ⇒ 木の精「ククノチ」兵庫県豊岡市久久比神社

天皇家の方々は、日本古来の古い神々を大切にお祭りする方々でもあったことがわかります。

富山市鵜坂神社

縄文アニミズムの神々を祭る皇族たち

『古事記』『日本書紀』を探究し始めた頃、7、8世紀に編纂された書物の中に弥生時代の伝承も含まれている可能性があると知り、それだけでもとても驚きました!

神武天皇の古墳の記述があるのですから、古墳時代に記述に遡ることは確かですが、弥生時代の記憶まで刻まれるのは、考えてもみませんでした。

 

神話の時代の高天の原には、田があり稲穂がなびいています。

天照大神(あまてらすおおみかみ)と素戔嗚尊(すさのおのみこと)は、勾玉(まがたま)を大切そうにやりとりします。

伊奘諾尊(いざなぎのみこと)は、国土の統治を任されて、天つ神から「天の瓊矛(ぬぼこ=玉飾りの矛)」を授かります。

矛とか勾玉とか、7、8世紀の宮中人たちが神宝としたとは、とても思えないような遺物の名称が出てきます。

古墳の副葬品を見ると、「鏡・玉・剣」などが尊重されるのは、畿内大和では前期古墳までです。

神話の時代の神宝は、考古学の本を読むと、弥生時代にもっとも尊ばれた神宝です。

それで弥生時代の歴史や考古学の本も参考にしながら、『古事記』『日本書紀』の探究を深めました。

縄文時代まで遡り『古事記』『日本書紀』がわかってきた!

古墳時代 ⇒ 弥生時代とさかのぼって『古事記』『日本書紀』の探究をすすめていくうちに、それでもまだ上手く説明できないことがでてくるのでした(大汗)

先に書いた第二代綏靖天皇の名称「神渟名川耳尊(かみぬなかわみみのみこと)」もその一つでした。

後世に見られない名称です。

しかも地方から取り入れられた唯一の天皇名です!

ようやく「ぬなかわ」が、縄文時代以来のヒスイの産地の名称とわかります。

 

実際に考古学の発掘状況を見ると、縄文時代には、東日本で「大珠(たいしゅ)」が盛行します。

そして弥生時代になるとヒスイは、北部九州で「勾玉」というスタイルで、ピークとなります。

古墳時代になると、ヒスイの分布は九州から畿内へ移り、畿内周辺で盛行します。

神武天皇や饒速日命の東遷など、北部九州の筑紫勢力の再度の東遷、という事実に対応します。

縄文時代から弥生時代へ継承される精神と文物

よほどの当時の人々のヒスイへの思いの深さが偲ばれます。

考古学的事実と、初期天皇の時代背景は一致しています。

しかし古墳時代の前期をピークに畿内のヒスイは衰退し、畿内の後期古墳からヒスイ製品は出土しなくなります。

むしろ地方でみられるようになるのです。

 

畿内の人々のヒスイへの憧憬は、衰退してしまいました。

仏教の伝来により、ヒスイの宗教性が、薄らいでしまったものとみられます。

 

このような時代になってから、天皇名として創作されたとするよりも、やはり畿内大和でヒスイが一番盛行した時に天皇名にまでなった、と考えるのが自然です。

このように「ヒスイの分布」という考古学状況を見ると、縄文時代から弥生時代に途切れていないことがわかります。

古典の記事を裏付けます。

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