みちのく古鏡への思い【1】のつづきです。
目次
3.日本武尊は船に大鏡をかかげる
『日本書紀』には、入の沢遺跡のある宮城県に、
日本武尊が足跡を残したとみられる記述があるのです。
『日本書紀』の第12代景行天皇の段に、
日本武尊(やまとたけるのみこと)、すなわち上総(かみつふさ)よりうつりて、
陸奥(みちのく)の国に入りたまふ。時に大きなる鏡を王船(みふね)に掛けて、海路(うみつぢ)より……
蝦夷(えみし=大和政権に従わない人々)の境に到る。蝦夷(えみし)の賊首(ひとごのかみ)、嶋津神(しまつかみ)、
国津神(くにつかみ)、竹水門(たかのみなと)に屯(たむろ)して、防がむとす。
しかるに、遥(はる)かに王船(みふね)を視(み)て、
予(あらかじ)め其(そ)の威勢(いきおい)を怖(お)じて、
心の裏(うち)に、え勝ちまつるまじきことを知りて、悉(ふつく)に弓矢を捨てて、望み拝みて………
蝦夷(えみし)ども、悉(ふつく)に慄(かしこま)りて、すなわち裳(きもの)を褰(かか)げ、浪を分けて、
自(みずか)ら王船(みふね)を扶(たす)けて岸に着く。
よりて面縛(ゆわ)いて服罪(したが)う。
その罪を免(ゆる)したまう。
よりて、その首師(ひとごのかみ)を俘(とりこ)にして、
従身(みともにつか)えまつらしむ。蝦夷すでに平(む)けて日高見国より還(かえ)る。
以上が『日本書紀』の本文です。
福岡県宗像市みあれ祭の写真※王船=船団のイメージ
4.鏡は大和王権の象徴
竹水門(たかのみなと)の所在地は、所説ありますが、
吉田東吾の『大日本地名辞書』では、宮城県宮城県七ヶ浜町としています。
のちの大和政権の東北地方の拠点になった多賀城に近く、竹(たか)は多賀にも通じます。
七ヶ浜にある君ヶ丘は、日本武尊遠征の副将軍であった
吉備武彦(きびのたけひこ)にちなんで「きびがおか」とよばれていました。
先ほどの『日本書紀』を、訳文にしてみます。
日本武尊は、千葉県を出ていよいよ東北地方へお入りになられた。
その時に大きな鏡を御座船にかかげて、海路で蝦夷との境界にたどり着いた。
蝦夷の首長をはじめ、島々や内陸で信仰する神々を奉じる人々は、
竹水門(たかのみなと=宮城郡七ヶ浜町付近)に集結して、防御を固めていた。
しかし、はるかに日本武尊の乗る御座船や船団を見て、
その勢力に恐れをなし、とても勝ち目はないことがわかった。
ことごとく、弓矢を捨てて……かしこまり、
着物の裳裾を上げて海へ入り、浪をかきわけて、御座船を守って岸に辿り着いた。
そうしておのずから縄をかけてもらう仕草をして平服した。
日本武尊は、今まで抵抗してきた彼らの罪を許した。
その首長を捕虜として、従わせた。
蝦夷は平定され、日高見の国から帰路についた。
日本武尊が「鏡をかかげた船団」を堂々と率いて、
蝦夷を戦わずして従わせたという記述があるのです。
東北地方の神社や伝承は、四道将軍や日本武尊の遠征を伝えています。
さらに入の沢遺跡での考古学の発掘成果は、
鏡を奉じる大和政権が、4世紀末頃、少なくても一時期は、宮城県に進出した、
という『古事記』『日本書紀』の日本武尊の記述を裏付けているものにほかならない、
という思いを強くしました。
5.古鏡にたくした人々の思いを偲ぶ
「きっと先祖からいただいた、家宝の鏡を大切に大切に、しまっておいたんでしょうね……」
江戸博物館の学芸員の方の言葉は、まさしく心に響くものでした。
はるばる大和からみちのくへ遠征におもいた皇族が、
大和を旅立つときに、授けられたとみられる宝物の内行花文鏡です。
宮城県 入の沢遺跡の出土品
西方の九州地方では、弥生時代の『魏志倭人伝』の邪馬台国時代に流行した鏡なのです。
その鏡を、遠征に際して授かり、大和を偲ぶ形見の家宝として大切に納め、
守護神ともして子々孫々に伝えたのでしょう。
日本武尊からみちのくの統治を託された一族か、家臣だったのかもしれません。
学芸員の方の言葉から、その思いにたどりついて、
目頭があつくなるような感動が湧いてきたのです……
おりしも、古代史Cafe会で、山形県鶴岡市からのお土産の「鏡」のお菓子をいただきました。
「古鏡せんべい」という、軽いクッキータイプのスイーツです。あとを引きます(笑)
出羽三山(月山・湯殿山・羽黒山)の中の、
羽黒山山頂の鏡池から発見された古鏡を型取ったものです。
「羽黒鏡」とよばれて、平安時代から江戸時代の銅鏡190面は、
国指定重要文化財になっています。
鏡池は、山頂に満々と水をたたえる神秘な池で、羽黒信仰のご神体ともいう池です。
その池に、いにしえより、多くの人々によって、鏡が奉納されたそうです。
とても奥ゆかしい感じがします。
「神もとからのおくりもの」とある、勾玉クッキーも合わせていただきました。
考えてみれば、ヒスイの勾玉は「越(こし)」といわれた地域の神宝でした。
東北地方をあらわす「みちのく(陸奥)」という地名と、そのみちのくの古鏡から
なんとも懐かしく奥深い精神世界が広がっていくような気持ちがしています。