特別展「縄文ー1万年の美の鼓動」のブログのつづきです。
30年くらい前は「漆文化」といえば、弥生時代に中国から渡来した文化とされていました。
中国の河姆渡遺跡の木製のお椀は紀元前6,200年だそうです。
「おかしいな?」……福井県若狭町の鳥浜貝塚は、縄文前期の漆の櫛が出土していましたから、どうも腑に落ちない思いだったのです。
縄文時代に中国と交流があったかしら?
漆文化は縄文時代からあった
縄文時代の日本の漆製品は、赤色・黒色もあり器種も多彩です。
そうして時は流れて国立歴史民俗学博物館が開館し、縄文時代の北海道垣ノ島遺跡(前9000年)の漆の櫛の展示があったのです。
「中国から渡来する前に日本に漆文化があったのかも?」と、考えられるようになったのです。
漆文化が、日本固有の文化として縄文時代の古い段階からあったことが認められたのは、最近になってからです。
山形県高畠町押出遺跡の「漆塗彩文鉢形土器」は前4,000~3,000年です。
昨年、古代史日和のメンバーと訪れた、東京江戸博物館の「発掘された日本列島2017」でも、押出遺跡の漆製品を目にしました。
漆の技術は縄文早期から、獲得されていたようです。
漆の木
現在「漆=ジャパン」といわれるほど、日本文化を代表する漆製品のルーツは、やはり日本でいいのかもしれません。
福井県鳥浜貝塚の「漆の枝」の放射性炭素の年代は、前12,600年だそうです。
どうでしょうか?
炭素14年代測定法も、世界レベルで活用されています。
何千年という幅を持たせた測定では、旧石器時代や縄文時代の遺物の測定には光明です。
一方で、弥生時代の230年とか、古墳時代の330年とか、はたして誤差がなくピンポイントで正確に測定できるのか、そのあたりを勉強しなくてはならないですね。
イザナキノミコトの櫛
考えてみれば、青森県には津軽塗、福井県には若狭塗という漆製品の伝統があります。
ほかにも石川県の輪島塗、福島県の会津塗、長野県の木曽漆器、岐阜県の春慶塗……など、山国・雪国をつなぐ文化の一つが漆文化であるようにみられます。
現在まで通じる、世界を代表する漆文化のルーツも、縄文人の技術力によるものだったのです。
実に誇らしいですね。
新潟県糸魚川市の寺地遺跡で発見された人骨は、朱塗りの櫛をさしていたようです。
『古事記』神話で、伊奘諾尊(いざなきのみこと)は、妻の伊奘冉尊(いざんきのみこと)に会いたくて、黄泉(よみ)の国を訪れます。
妻を弔う、殯(もがり)の場を訪れたときは、真っ暗な闇の中でした。
その暗がりを照らそうとして、髪にさしていた櫛を取り、その櫛の歯を1本手折り、火をともしたとされます。
特別展「縄文ー1万年の美の鼓動」では、その『古事記』の神話の記述が蘇る、縄文の櫛が展示されていました。
弥生時代や古墳時代の博物館だけ訪れても、神話の世界は理解し難いものがあります。
さいたま市真福寺貝塚出土の「みみずく土偶」は、髪に櫛をさしています。
こうして縄文時代の展示品を目にして、神話がはじめて蘇るのです。
神話を継承した先祖たちは、縄文時代の人々の風俗が濃厚です。