特別展「縄文ー1万年の美の鼓動」のブログのつづきです。
数千年前に作られた縄文土器で唯一国宝に指定されたのが、新潟県十日町市の火焔(かえん)型土器です。
火焔型土器もまた、むしろ地元の人たちには「当たり前にあるもの」だったようです。
日常の中にある火焔土器のあたたかさ
新潟県南魚沼市のスキー場を訪れたとき、ホテルの温泉の入り口に、何気なく「火炎土器」が置いてありました。
「これが有名な火焔土器かしら?」と、初めて目にして感激しましたが、特別な説明もなく無造作に置かれた感じでもあります。
さらに浴場に入ってみると、湯舟の中央の台に火焔土器がおかれて、そこから温泉のお湯が流れる仕組みになっています……
これはもちろんレプリカと思いますが、まさかホンモノ……?
その後、上越市に在住の日本画家の川崎日香浬先生に、その時の感想を話してみました。
すると、
「そうなんです。さりげなく庭の蔵なぞに、火焔(かえん)土器がころがっていたり、置き去りにされていることもあるんです」
とか。
古代において、この地方では、ごく普通に製作されて、出回っていた土器であったようです。
それでもよくわからないながらも、先祖伝来の大切なものとして、「蔵」に収納していたりしたのでしょう^^
決して特別の人たちだけが手にした土器でなく、普通の暮らしのなかで、数千年も壊されることもなく、大切に継承されてきた火焔土器なのです。
その様子から、この地方の方々の素朴な真心と温かみを感じるのでした。
……最初にスキーで訪れてから、20年ほどはたってからは、さすがにさりげなく置かれていた火焔(かえん)土器も、しっかりガラスの入れ物に入っていました。
火焔土器とニワトリのルーツは?
信濃川の中流、十日町市は3メートルもの積雪になる豪雪地帯です。
そこに火焔(かえん)土器のふるさと、笹山遺跡(前3,000~2,000年)があります。
国宝に指定されたのは、928点、火焔形土器・王冠形土器などの土器類が57点の半分を占めます。大変に多数の土器類です。
十日町市博物館では、一緒に国宝に指定された、石皿やすり石が、棚の中に収納されています。
たくさんの引き出しを次々に引き出して、閲覧できるのです。
土器類ばかりでなく、実に見栄えのする美しい石器製品でした。
周辺の森では、たくさんの木の実を採集できて、土器で煮たきをして、製粉したとみられます。
信濃川は、縄文人の最大の食の恵み「サケ」も溯上します。
火焔土器の名称は、下流の長岡市馬高(うまたか)遺跡から発掘された1個の土器に始まります。
口縁部の突起の装飾が、燃え盛る炎のような流れがあることからの命名でした。
一方で、口縁部の突起には「鶏のとさか」説があります。
「たしかに鶏に似ているよね」と、古代史日和のメンバーも同感でした。
「伊勢神宮に神事には鶏が供えられる」
「諏訪大社の大祝(おおほうり)」が即位する場所を鶏冠社っていいますよね」
「糸魚川の神楽で稚児がかぶるのが“鶏冠”だった」
「天照大神が岩戸に隠れたとき、思兼命はニワトリを集めて鳴かせた」
……
古代において「ニワトリ」は「夜明けを告げる鳥」として、確かに尊重されていたようです。
ところが十日町市博物館の方は、そのような話しはしょっちゅうでてくるせいか、「ニワトリは縄文時代にいませんでした」とのコメントもありました。
う~~ん???……けど、漆も弥生時代になって中国からって言われていたのが、いまじゃ「漆=ジャパン」ですもんね!
縄文時代のニワトリの確かな骨でも出土しないと、縄文ニワトリは認定されないかもしれないですが……
石上神宮のニワトリ
その一方で、秋田の比内鶏に関係する日本原種の鶏も縄文時代にいたという説もみかけます。
火焔土器とニワトリ、ニワトリと神社の祭祀や神楽……探求心はやむことがないです^^