こんにちは、yurinです。
第二次大戦後、歴史の教科書からは『古事記』『日本書紀』の神話や初期天皇の時代の記事は、記されなくなりました(泣)
行き過ぎた神話教育があったのでしょう。
その反動で『古事記』『日本書紀』の神話や初期天皇の時代の記述は、教科書に記されず、学ぶ機会がないままの世代が、ほとんどになっています。
目次
1.第33代推古天皇以前は、学校で習っていない
現在の平成天皇までの125代の天皇家の系譜の中で、教科書に出てくる天皇の始まりは第33代の推古天皇からのようです。
それ以前の日本の歴史は、中国文献と考古学で考えるというのが、第二次大戦後の主流な古代史研究方法になっています。
『古事記』『日本書紀』を取り上げる本があっても「最初の頃の天皇や皇族の話は創作」として、後の時代の天皇をモデルにして創り出したものに過ぎない、とか、ヤマトタケルは何人も合わせた人物像、とか、~と同一人物とか!
「大和の箸墓古墳=卑弥呼の墓」などの説は、『古事記』『日本書紀』に書いてある倭迹迹日百襲媛(やまとととひももそひめ)が、神々の神託を授かる巫女のように記されていることから、「卑弥呼の鬼道」と結びつけてしまうのです(汗)
父上の第七代孝霊天皇とか、兄弟で吉備に派遣された将軍の皇子は全く無視です。
つまり古典の中の自分の都合のいいところだけをピックアップして、古代史像を創作する本も目にします。
奈良県の纏向(まきむく)遺跡について、『古事記』『日本書紀』を読めば、第11代垂仁天皇の「纏向珠城(まきむくたまき)の宮」、第12代景行天皇の「纏向日代(まきむくひしろ)の宮」と書いてあります!
第11代垂仁天皇纏向珠城宮碑
第12代景行天皇纏向日代宮碑
……やっぱりそうか、『古事記』『日本書紀』に書いてあることは本当だった!!と、素直に古典を読んで、古典の資料的価値を認めればすむことなのに、モグラが次々に現れるもので(苦笑)、なんとかつじつま合わせようと四苦八苦していませんか?
日本の古典の歴史資料としての価値の失墜は本当に残念です(泣)
やはり未曾有の敗戦は大きなものだったのようです。
応仁の乱や関ヶ原の戦いという国内の戦いでさえ、客観的な歴史認識は、相当な時間が必要でした。
まだまだ敗戦の混迷から立ち直るには時間が必要なのでしょう。
実は、推古天皇以前の30代の天皇の時代についても、『古事記』『日本書紀』の中に、日本の古代を知ることができる、かなり豊富な情報があるとみられるのです。
本当にもったいないことだと思います。
第12代景行天皇陵
2.それぞれの氏族が伝承した上代の古典
日本の古代をさぐる基本的な古典を記します。
平安時代(794~1185年)のはじまりに『新古今和歌集』が成立する以前(905年)の古典については、文学史では「上代古典」と言っています。
奈良時代(710~784)および平安時代(794~)の始まりに成立した上代古典としては次のようなものがあげられます。
(1)『古事記』(712年)
神代から第33代推古天皇までの通史 |
太安万侶(おおのやすまろ)の撰 神武天皇の皇子の神八井耳命(かむやいみみのみこと)の子孫は繁栄し、その一つが多(太)氏 天皇家の家記ともいえる |
(2)『風土記』(713年)
元明天皇の命により撰進された諸国ごとの地誌 |
出雲・常陸・播磨・豊後・肥前が現存で、その他の国は逸文 |
(3)『日本書紀』(720年)
現存する最古の正史 |
天武天皇皇子の舎人親王らの撰 神代から第41代持統天皇まで |
(4)『懐風藻(かいふうそう)』(751年)
現存最古の漢詩集 |
淡海三船(おうみのみふね)が撰者か 天智天皇時代から、奈良時代までの64人の詩を、年代順の集めたもの |
(5)『藤氏家伝(とうしかでん)』(760~762年)
藤原氏(ふじわらうじ)の人物伝 |
藤原鎌足・定恵・武智麻呂 |
(6)『万葉集』(奈良時代末)
第47代淳仁天皇時代の759年までの歌集 |
大伴家持編 第16代仁徳天皇の皇后や、第21代雄略天皇などの5世紀ごろの人の伝承歌も 天皇、皇族、貴人、防人、地名など、歴史資料や時代の情報としても |
(7)『高橋氏文(たかはしうじぶみ)』(789年)
高橋氏の家記 |
高橋氏は宮内省内膳司(ないぜんし=天皇の食事の調理・試食をつかさどる役所)につかえた 四道将軍大彦命の子孫 主に第12代景行天皇の東国巡行が伝わる |
(8)『続日本紀』(797年)
『日本書紀』の続きで奈良時代を知る基本資料 |
第42代文武天皇~第50代桓武天皇まで |
(9)『古語拾遺(こごしゅうい)』(807年)
神代からの斎(忌)部氏の伝承を記して、朝廷に献じたもの |
齋部広成(いむべのひろなり) |
(10)『新撰姓氏録』(815年)
古代の氏族の祖先神や系譜を集成 |
第52代嵯峨天皇の命に撰進 |
(11)『日本霊異記(にほんりょういき)』(822年)
奈良時代を中心に、畿内周辺の説話 |
奈良薬師寺僧の景戒(けいかい) |
(12)『先代旧事本紀(せんだいくじほんぎ)』(824~834年)
物部氏の立場から日本古代を通史的に記す |
原型は仏教推進の蘇我氏もかかわったとみられ聖徳太子の死で終わる 『旧事記(くじき)』、『旧事本紀(くじほんぎ)』ともいう 神代から第33代推古天皇まで 物部氏の系譜は第40代天武天皇まで |
以上がおよその上代古典です。
こうしてみると、古代史上の有力な氏族が、それぞれ何らかの形で書物を残しているのがわかります。
3.三種の神器やヤマトタケルを知りたい!
上代古典には「伝承の時代」を含むところに特殊性があります。
それぞれの氏族が、まだ文字のない時代から伝承したものを、後に文字が入ってきてそれぞれ書き付けたのです。
同じできごとを扱っても、微妙に違っていたり、あちらにあってこちらになかったり、それぞれ特色や違いがあるところにこそ真実味があります。
日本人である以上、先祖が書き残した古典に何が書いてあるか、知りたくないですか?
真偽を論ずる前に、まず古典に何が書かかれているか、日本列島に何が残されているか?
日岡神社絵馬 大碓命 小碓命(ヤマトタケル)
三種の神器のいわれや、伊勢神宮やヤマトタケル、出雲の大国主命(おおくにぬしのみこと)も、とにかくまず知りたい、と思いますよね。
大国主命と因幡の白兎
大国主命と建御名方を抱く奴奈川姫
先祖が言い伝えてきた神社や古墳も!
最近では逆に、世界の人々が現存最古の王朝が続く日本の歴史を知りたがっています。
自然とともにある、平和的な八百万(やおよろず)の神々を、海外の人も興味津々なのです。
五十鈴川
古典は、一見すると膨大でめんどうなイメージかもしれませんが、要所をおさえれば、シンプルで味わい深いです。
古典を知ることで、古墳・神社・パワースポットめぐりがいっそう面白くなります。
『魏志倭人伝』も(拍手)!
そういう日本の古典の魅力をお伝えして、共感していただけたらと願っています。
最後に、『古事記』に登場する神さまを日本画で描いている、日本画家の川崎日香浬さんの作品を紹介いたします。
※許可を得て掲載しています
「母と子の神話」展 SUWAガラスの里美術館にて