『先代旧事本紀』饒速日命のふるさと【1】馬見(うまみ)山への思いのつづきです。
秀麗な馬見山と馬見川(遠賀川)
遠賀川は、中流の直方(のうかた)市で、英彦山(ひこさん)から流れる彦山(ひこさん)川と合流します。
その合流点にある多賀神社に伝わる『日若謡』(ひわかうた)から、遠賀川が「馬見川」と呼ばれていたことがわかります。
筑紫嶋根のこの嶋の 比古(ひこ)と宇麻見(うまみ)の河合(かわあ)いの (略) 日の若宮
と、多賀神社を称えています。
比古は彦山川で、宇麻見は馬見川、すなわち遠賀川です。
「馬見(うまみ)」は、遠賀川源流の山と河の名称であったようです。
饒速日命(にぎはやひのみこと)が、懐かしんだ、馬見山と馬見川。
『先代旧事本紀現代語訳』を書き終えると、いっそう思いを深くしました。
一般的には河川の源流へ近づくほど、谷は狭まり、流れも速くなるものです。
けれども遠賀川をさかのぼると、そこは思いがけず豊かな農村が広がります。
古処(こしょ)山・塀(兵)山・馬見(うまみ)山の山波が近づき、中でも馬見山の秀麗な山容が際立ってきます。
嘉麻市は、お米どころ、お酒どころの豊かな風土です。
饒速日命が懐かしむ光景そのものでした。
実は、私もまたこの遠賀川と源流の山々に長年の格別の思いがあったのです。
邪馬台国が一人一説であるとして、この遠賀川流域こそ邪馬台国で、この嘉麻市の風景こそ、私には高天の原だったのです。
嘉麻市として合併した旧市町村には山田市もありました。
邪馬台国は、大和朝廷の先祖として、何度か遷都をしたでしょうけれど、ここに都が置かれたこともあったと思うなあ・・・・?
馬見山麓の馬見神社も思った通りの神域でした。
社前には絶え間ない水音とともに、清らかな流れが絶えません。
神武天皇もおとずれたという神域です。
次々に現れる鳥居をくぐって、山上を仰ぐ遥拝所にたどりつくと、見上げるほどの巨木が天へ向かっています。
瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)と木花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと)を祭るというのですが、社前の鳥居には「火明神(ほのあかりのかみ)」の額がかかっています。
饒速日命は、「天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊(あまてるくにてるひこあまのほのあかりくしたまにぎはやひのこと)」という長い正式名称を伝えます。
※『先代旧事本紀』だけ、饒速日命を饒速日尊と記しています。
火明命=饒速日命を、もともと祭っていたもところに、さらに神武天皇が筑紫へ来た時、先祖を新たに合わせて祭ったようです。
6年前になりますが、早稲田大学のキャンパスで行われた『邪馬台国研究大会』で、「弥生の旗手遠賀川の人々が残したもの」を発表しました。
遠賀川は、私には「母なる川」「歴史の川」なのです。
そうしたご縁があって、この嘉麻市で二度の講演をさせていただけました。
「私が卑弥呼なら、私が天照大神なら、ここへ都をおきます」なんて(微笑)。
もしかしたら、この地からはるばる千葉へ移って来て住み着いた人、それが私の先祖なのかしら?そのような気もしてきます。
それほど、なぜか懐かしい土地なのです。
飯塚市の懇親会でニックネームをいただく
嘉麻市での講演会の前日に懇親会があって、筑豊地域の魅力を語り合い、共感し合える心躍る時間を過ごさせていただきました。
黒田家の家老を務めた母里太兵衛(もりたへえ)のご子孫の母里氏は、太宰府の講演会の時に初めてお目にかかりまして、感銘しました。
歴史は続いている、と。
一昨年に久留米市で開催された、全国邪馬台国連絡協議会で、その時はお手伝いで裏方にいたのですが、「志村さんですね」と、気づいて声をかけて下さり、あの時もうれしかったです。
西日本新聞社の方も、太宰府の講演会も聴いて下さったようで、皆さん何度も有難いと思いました。
遠賀川流域は、古代の筑紫の国と豊(とよ)の国に因んで、「筑豊(ちくほう)」と呼ばれることが多いようです。
ひと昔前は「筑豊炭田」という石炭産業で、日本の経済を支えていた地として知られていました。
遠賀川の河口の北九州市は、明治の殖産興業の象徴として、八幡製鉄所が稼働した地です。
「鉄は国家なり」の言葉どおり、本州~九州~中国・朝鮮という地域を結ぶ、恰好のポジションにあるのです。
古代の遠賀川は、北九州市の方へもつながっていました。
神武天皇の宮や出港地の伝承が濃厚です。
「やりがんな」がたくさん出土して、造船も盛んであったとみられます。
飯塚市については、以前こちらで記事にしました。
市街地のど真ん中にある巨大な立岩(たていわ)の磐座(いわくら)に圧倒されたわけです!
遠賀川に穂波川・庄内川・建花寺(けんげじ)川が合流する、交通の要衝地です。
弥生時代の先頭をきって、笠置山の石材で「立岩石包丁」を生産した、この飯塚市の人々こそ、北部九州の開拓の先駆者と考えています。
「ぼくたち、ユーリン と呼んでいます!」と、西日本新聞社の男性。
思いがけずニックネームいただきました(大拍手)!
わあっ!うれしい^^
実は、我が家にクレマチスの「ユーリ」という、花があります。
それが、自分の名前みたいね、とつねづね思っていたので、「ユーリン」は、まさに願ったり適ったりでした!
「遠賀川式土器」と「立岩式石包丁」。
それだけでも、語りつくせない魅力を感じさせます。
さらに筑紫の国を象徴する山河には、日本神話の神々が息づいているのです。
yurinは、この地の方々からいただいたニックネーム、心の宝物なのです(拝)