『先代旧事本紀』「国造本紀」で神社と古墳が面白すぎる!

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こんにちは、yurinです。

クリスマスの近づく街の様子に何かしら、清らかなものを感じます。

クリスマスからお正月へ、今年ものこすところわずかです。

「国造本紀」からの神社・古墳

先週は、横浜のカルチャーセンターで、今年最後の安本先生の『先代旧事本紀』の講座がありました。

先代旧事本紀』「巻十国造本紀」も終わりに近づいています。

「国造本紀」は、『先代旧事本紀』十巻の中でも、他の古典にない独自の内容です。

初代神武天皇から、奈良時代まで日本列島各地に置かれた国造(くにのみやつこ)の記録です。

 

上海上国造(かみつうなかみのくにのみやつこ)

志賀高穴穂(しがたかあなほ)の朝(みかど)の御世(みよ)に、天穂日命(あまのほひのみこと)の八世(やつぎ)の孫(みまご)、忍立化多比(おしたてけたひのみこと)を国造(くにのみやつこ)に定め賜(たま)う

このようなシンプルな文が、淡々と続きます。

国造の名称~時代~氏族~先祖~国造の人名というパターンです。

一読で、読み落としまいそうですが、実はこの記事から得られる古代史情報は、たいへん貴重で無限の広がりがあります。

 

まず一般的に『古事記』『日本書紀』で実在しないという、初期天皇の時代の人名がしばしば登場します。

逆に『古事記』『日本書紀』で洩れ落ちていて、初めて目にする人名もあるのですが、『風土記』『続日本紀』『高橋氏文』など他の古典で確認できます。

 

さらに「国造の名称」「国造の人名」を手がかりに調べてみると、『延喜式』「神名帳」など、由緒ある神社の祭神になっていたり、地元で古墳の被葬者として伝えられている人物にたどりついたりします。

 

もし『先代旧事本紀』がなかったら、どうしてあるのかわからないような神社や古墳が、この書物に由緒が書かれているのですから、地元の者としては、感動してしまうのです!

 

当初の国造が派遣されたのは、祭政一致の時代で、天つ神・国つ神(皇室ゆかりの神・地元の神)をお祭りすることが、重要な職務でした。

その後、次第に政治と祭祀がわかれて、政治権を失っていくのです。

 

一方で、祭祀権だけはそのまま残り、現在までそれを継承している神社もあるわけです。

有名な出雲の国造家はその代表です。

そのような有名な神社ばかりでなく、全国的には知られてなくても、古代に派遣された国造ゆかりの神社は、各地に残っています。

郷土千葉県の古代像を伝える

郷土の千葉県には『先代旧事本紀』に記載された130余りの国造の中で、最多の10の国造があります。

郷土の国作りの様相を伝える貴重な資料となっています。

現在の千葉県は、首都圏として東京に近い北西部が栄えていますが、古代においては、江戸川や利根川の流れる大河川のある千葉県北部より、むしろ南部の方から、国作りが発展したようです。

 

千葉県南部の中小河川ごとに、国造が置かれた様相は、とても興味深いものです。

そして国造ゆかりの神社や古墳が残っています。

上にあげた「上海上(かみつうなかみ)」は千葉県市原市で、私の故郷です。

国造ゆかりの神社の姉崎神社があり、一族の墓とされる姉崎古墳群があります。

景行天皇や日本武尊ゆかりの神社です。

暴風雨を鎮めるために入水した弟橘媛(おとたちばなひめ)に胸をいためたのか、二度とこのような受難を起こさないようにと、志那斗弁命(しなとべのみこと)という「風」の神を祭っています。

 

もし『古事記』『日本書紀』の景行天皇や日本武尊が実在せずに、『先代旧事本紀』がただの偽書である、とすれば、千葉県の古代は、何もかも「地元の豪族ゆかりの古墳や神社」で終わります。

「風」の神を祭るのも由緒の深さは感じないでしょう。

 

……ですが、古典、考古学、神社を合わせて考察することで、郷土の古代史像がより鮮明になるのです!

中でも『先代旧事本紀』「国造本紀」のおかげで、日本列島各地の神社や古墳が、がぜん面白くなりました!

もうすぐ『先代旧事本紀』の講座も完結してしまうと思うと、感慨深いです。

安本先生「桃の種」を詠む

安本先生の講座では古典本文の語句、系図、動植物、神社、古墳、年代などの文献考証以外にも、その時々の古代史のトピックスも、話題にしてくださいます。

今回は、

中国から出土した三角縁神獣鏡を、魏の時代の鏡とするのはいかがなものか?

という問題です。

特別な場所から、特別な方だけが発見する三角縁神獣鏡は、問題あり!と。

 

さらにこのブログの「歴博年代」でもふれた「桃の種」問題です。

2010年に、奈良県桜井市の纏向遺跡の、大型建物遺跡跡のそばの穴から出土した、2000個を越す桃の種の年代測定が、いまだに何も結果報告されていない、ことです。

炭素14年代測定法では、土器付着炭化物で測定するのと、桃や胡桃で測定するのでは、年代に誤差がでるのです。

桃や胡桃で測定すると、新しい年代が出るようです。

それは真実に卑弥呼の年代と重なるのでしょうか、それとも後の時代になるのでしょうか?

一般的に、測定は数週間もあれば結果は判明するとか……?

 

「卑弥呼が竹ざるに桃を積み上げて祭事を行ったのではないか」という考古学の先生の言葉を引用している新聞発表があったのでした(2010年9月18日『朝日新聞』朝刊)

もっとも新聞記者の方には、最初から期待した答えがあって、それに添うような先生を訪ねて引き出しただけなのでしょう(苦笑)

何しろ記者会見で発表して、、新聞に掲載されてたちまち世間に認知されると、国から巨額の考古学発掘予算の許可がもらいやすくなるようなのです(大汗)

マスコミはセンセーショナルな主張が受け入れられるし、考古学者は予算がでるし、持ちつ持たれつのいい関係ということで、果たして学問の真実は大丈夫なのでしょうか?

 

竹ざるに桃を積み上げるとは、何だか古典でも神社でも聞いたことないような祭祀です!?

その桃の種について天皇陛下もおたずねになったそうです。

それで安本先生も歌を読まれました。

大君(おおきみ)の 命(みこと)恐(かしこ)み 桃の種 答へたまひね 歳月(としつき)を経ぬ 

隠さはぬ 明(あか)き心を その職(つかさ)極めつくして 答へてもがも

(『万葉集』巻20―4465 大伴家持の「族(うがら)をさとす歌」をもとに)

安本先生は、考古学者の森浩一先生の言葉を引用して「学問はマスコミ主導でおこなってはいけない」ということを強調しておられます。

「こういう風潮は、どうしたらいいのでしょうかね?」と、お尋ねになるので、

「最近の若い人たちは新聞もとらなくなっている人も増えているし、マスコミも以前のように、圧倒的な権力をかさに安住していられないのではないでしょうか?」

「ほんとうに。孫も新聞読まないのですよね」

「でも纏向は邪馬台国、という講座には、たくさん人が来るのですよね(苦笑)」

……

など、三々五々それぞれ思う所を述べ合って、なごやかな雰囲気のうちに今年の授業も終了です。

 

一年のささやかなお礼に、庭の千両をお持ちしました。

黄色い千両は、京都の大徳寺の真珠庵をはじめ、京都の寺院の庭園からヒントをいただいて、庭に植えたものです。

大徳寺真珠庵

香取神宮のお正月の植木市で見つけました。

黄色い方が、鳥にとって美味しくないようで、少しずつ増えました。

 

近所の友人たちに喜んでもらえるので、ある年、この講座の方にもってきたら、やはり好評でした(拍手)。

ユズを持ってきてくださる方もいらっしゃいます。

来年もまた、真剣でほのぼのとした時間を過ごさせていただきたく思っています。

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