諏訪がわかれば日本の歴史がわかる「諏訪大社編」

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こんにちは、yurinです。

前回の記事でヤマトタケルの草薙(くさなぎ)の剣について触れましたが、その草薙(くさなぎ)の剣から諏訪大社の神宝の「薙鎌(なぎがま)」を思い出したのでした。

前回の記事↓↓

自然を拝む諏訪大社

信濃の国一の宮、諏訪大社は、本州中央部にある諏訪湖を囲んで、4つのお社(やしろ)からなる神社です。

上社本宮、上社前宮(さきみや)、下社春宮、下社秋宮です。

上社本宮

上社前宮(さきみや)

このお社(やしろ)それぞれに歴史があります。

上社の本殿はなく、ご神体は、南アルプス北端の守屋山をいだく山々を拝みます。

他にも神々が降臨する神籬(ひもろぎ)としての御柱(おんばしら)・クリやカジノキのご神木、巨石の磐座(いわくら)、神々がすまう山から流れ出る清水……など数々の自然物、さらに自然現象を崇拝します。

 

諏訪湖は人里離れた山奥の湖でなく、周辺では人々が生活を営む場となってきました。

ですから諏訪湖や周囲の山々の自然のすべてが、諏訪の神さまの神域のようです。

風や水の守護神でもあり、生命の根源への祈りを捧げる果てしなく広く大きい神さまです。

諏訪大社上社 前宮の泉

諏訪大社が日本で最も古い神社の一つであるのは確かでしょう。

「諏訪がわかれば日本の歴史がわかる」なんていう言葉もあるほどですから!

西日本の魔物が「邪馬台国」!とすれば、東日本の魔物は「諏訪」です!

まだまだ諏訪も邪馬台国も途中報告で(汗)……古代のロマンを求める旅を続けています。

石器時代の黒曜石と縄文時代のミシャグジ神

諏訪大社は、南アルプス(赤石山脈)と八ヶ岳に囲まれた諏訪湖を中心に祭られています。

四季おりおりの自然や温泉の恵みを求めて、信州の諏訪地方を訪れると、あちこちで思いがけず巡り合うのが、諏訪の神さまです。

だれの心にもストレートに響いてくる大自然の驚異も感じます。

 

八ヶ岳のヴィーナスラインという快適なドライブコースがあります。

そこでは鷲ヶ峰和田峠で有名な黒曜石の産出地に気づかれる方は多いでしょう。

 

八島が原湿原という美しい湿原を散策していると、諏訪大社の神事が行われる御射山(みさやま)の史跡が現れたりします。

また北八ヶ岳の池巡りをして、これまた麦草峠の黒曜石を知ることになりました。

このような美しい自然の中で、はるか太古の石器時代の人々の営みがなされたようです。

 

八ヶ岳三万年~黒曜石を追って(小泉袈裟勝著)という著作もあるほど、気の遠くなるくらい太古から、諏訪湖周辺で、人々の営みが連綿と継承されてきたのです。

ロマンを感じるスポットですね~~^^

いったいどの時代から神さまがいらしたのか?

人々の営みがあるところに、神々をお祭りしたと思いますが……

諏訪湖の古い神さまは、ミシャグジ神(御左口神、御社宮司、御石神)で、この神さまは、東日本の広域に及んでいるようです。

守矢氏という氏族が連綿と祭祀を司ってきたとされます。

 

諏訪の人々は、出雲の建御名方命(たけみなかたのみこと)を奉じる、稲作と密接な氏族を受け入れたとみられますが、大部分の人々は、石器時代から連綿とこの地で生活してきた、日本人であるようにみられるのです。

縄文の狩猟採集生活と弥生農耕生活を平行共存させていたようです。

出雲の大国主命と高志沼河姫(こしのぬなかわひめ)の御子、タケミナカタ

諏訪大社の祭神は建御名方富命(たけみなかたとみのみこと)です。

出雲の大国主命の子で、一般的には建御名方神(たけみなかたのかみ)といいます。

 

『古事記』の神話で、出雲の国譲りに反対して、高天の原から遣わされた建御雷之男神(たけみかづちのおのかみ)に抵抗したものの、ついに洲羽海(すわのうみ=諏訪湖)へと追い詰められて、「ここからでない」と降伏したことが伝わります。

 

『日本書紀』には持統天皇の5年(691)、降雨の多い災難のとき、勅使を派遣して、「龍田の風神、信濃の須波(すわ)・水内(みのち)などの神を祭らせた」とあります。

 

『延喜式』神名帳(927)には、「信濃国諏方(訪)郡 南方刀美(みなかたとみ)神社二座 名神大社」あります。

二座は上社、下社です。

上社の神職の大祝(おおほうり)は、建御名方神の神孫で、下社の大祝は皇族の子孫とされています。

 

また『先代旧事本紀』には建御名方神(たけみなかたのかみ)の母を「高志(こし)の沼河姫(ぬなかわひめ、奴奈川姫)」と記しています。

沼河姫は、ヒスイをお祭りする女神として崇拝され、越(こし)の巫女王とされています。

『古事記』には大国主命と交わしたラブロマンスの歌謡が収録されています。

 

ところが驚くことに、この建御名方神(たけみなかたのかみ)が、諏訪の地へ入られた時、すでにこの地には、先行する神がいらっしゃいました。

それが先ほど申し上げたミシャグジの神をお祭りする洩矢(もれや)の神であったといいます。

建御名方神(たけみなかたのかみ)に降るような形で、モレヤの神はお仕えすることになりました。

 

モレヤの神の子孫の守矢氏「神長官(じんちょうかん)」として、実質的に現在まで諏訪大社の祭祀を取り仕切ってきたといいますから、これまた驚くべき古さです。

現在の守矢早苗氏で78代ということです。

薙鎌が打たれた御柱が立つ守矢資料館

つづく

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