日御碕(ひのみさき)神社の秘祭の神事

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このブログのつづきです。

三種の神器の「神剣奉天神事」とは?

日御碕神社の神事で特筆すべきは、秘祭の神剣奉天神事です。

『先代旧事本紀』を書いたときに、神職の方にお話しをお伺いしたところ、

「人がたくさん来ても困るんですよ。あまり言わないで下さいね。
決して見ることはできないですから。」

とのことでした。

……ですが、申し訳ありませんです。

こういう祭祀は、やはり日本人として、知っておいた方がいいと思いますし、
その上でそっと心に秘めて参拝させていただくということで、ご容赦ください。

 

神社の近くには地元の方々による風土記』の顕彰碑と、案内板も建てられていました!

日御碕神社(日御碕浦)

祭神 天照大神(あまてらすおおみかみ) 素戔嗚尊(すさのおのみこと)

日御碕神社の所在の浦は、『出雲国風土記にみえる
「御前浜(みさきのはま)広さ一百二十歩あり。百姓(おおみたから)の家あり。」
とみえる御前浜にある。

その「百姓」の「御埼の海人(あま)が採集する鮑は「名品」であったという。

『風土記』には 現日御碕神社の祖型とされる「美佐伎(みさき)社」
「御前(みさき)社」「百枝槐社(ももえのえにすのやしろ)」
が見える。

 

美佐伎(みさき)社が素戔嗚尊を祭る上の社(神の宮)、
元は経島(ふみしま)にあったと思われる百枝槐社(ももえのえにすのやしろ)が
天照大神を祭る下の社(日沈宮)とされ、御前社は不明である。

「伊勢神宮は日の本の昼を祭り、日御碕大神宮は日の本の夜を祭る」
との伝承を受け止めれば、夜を治める月見命(つくよみのみこと)も
鎮座
していることに注目したい。

祭礼としては毎年八月七日の夕方日沈宮の旧社地に鎮座する
経島神社での「夕日の祭」

旧暦一月五日の宇龍港の 権現島に鎮座する熊野神社で行われる
和布刈(めかり)神事、

そして秘祭として神剣奉天神事がある。

島根半島四十二浦巡り再発見研究会

(太字:古代史日和)

この案内板にもはっきりと書かれている「神剣奉天神事」とは
どのような神事でしょうか?

自分の子ひとりだけに伝える「神剣奉天神事」

「神剣奉天神事」は、素戔嗚尊が八岐大蛇(やまたのおろち)を斬って、
天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)を得たとき、

神職小野家の先祖の天葺根命(あまのふきねのみこと)を使いとして
天照大神に奉献した故事に因むそうです。

 

小野家に伝わる一子相伝の神事で、斎主である宮司は、十二月二十五日から七日間潔斎し、
十二月三十一日の深夜にただ一人社前の天一山(あまのかずやま)に登ってこれを行うもので
神事は、古来から今日まで絶えたことが無いそうです。

当日の夜は雨風がどんなに激しくとも、祭典が始まると同時に晴れ渡り、
いまだかつてと斎主の祭服を濡らしたことがないといわれます。

 

天葺根命は、『古事記』では「天の冬衣(ふゆきぬ)の神」とあり、
素戔嗚尊の五世で、大国主命の父ということになっていますが、

素戔嗚尊の娘の須勢理姫(すせりひめ)を正妻とする、
大国主命の話とは時代が合わないようです。

素戔嗚尊の子が天葺根命とすれば、天照大神に献上する話も合うようです。

まさしく三種の神器にまつわる「日本歴史の連綿性」を語る、スゴイ神事です!

出雲の人々の「天の叢雲(むらくも)の剣」への思い

『古事記』の神話では、素戔嗚尊があっさり当然のように、高天の原の天照大神に、
神の剣といわれる「天の叢雲(むらくも)の剣」を献上したことになっています。

……ですが、神剣奉天神事を知ると、これほどの出雲の神宝を差し出すということは、
出雲の人にとって、相当の心理的プレッシャーを抱えるほどの大事件であったように思えてきます。

もしかすると、出雲の国譲りのときのできごとと関係があるのでしょうか。

そうして神事の後は、どんな風雨も消えて晴れ渡る、とは、
出雲の人々の晴れ晴れとした気持ちを表しているのかもしれません。

いろいろな迷いや困難はあったけれども、これでよかった、
という曇りない晴れ晴れとした境地でしょうか。

いずれにしても、日本神話に思いをはせ、神々への思いをめぐらして、
尽きることが無い神社です。

このような神社の、神職や祭祀が継承されていることこそ、
奇跡のような気持ちです。

世界の片隅の自然ゆたかな小さな島国。

その恩恵が日本の歴史を作ってきたのかもしれません。

 

旧暦の八月七日は、今の八月下旬から十月の初めです。

今まさに「夕陽の祭」が行われる時節です。

真夏から立秋へと季節は移ろい、夕日が美しい季節になっていきます。

その夕日を惜しむように、大切にお祭りするのでしょう。


日御碕からの日本海

はるばる出雲の国の、思いを寄せた神社を参拝できました。

門前の食堂で、『風土記』にある「鮑(あわび)」ならぬ、

サザエにイカ焼きもプラスして有難くいただき、海の幸に感謝しました。

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