特別展「縄文ー1万年の美の鼓動」のブログのつづきです。
この特別展で「ぜひとも注目してほしい展示品」の一つとしてオススメしたのが、福岡県遠賀郡芦屋町の山鹿貝塚出土の装飾品です。
福岡県に何度も足を運びましたが、あちらでは見どころが多すぎるのと、山鹿遺跡は、少し不便なとこにあったので、現地に足を運んだことがなかったのでした(大汗)
……今回、なんと!ラッキーにも展示品に入っていました(大拍手!!)
邪馬台国の女王卑弥呼のご先祖さまでしょうか?
縄文時代晩期、本州に近い北部九州東地域の遠賀川河口の山鹿遺跡から、女性の人骨が出土しています。
縄文時代の前期から東日本で盛行したヒスイの大珠(たいしゅ)は、ついに縄文時代の晩期に、九州地方へも伝播しました!
大珠
見事な鹿の角の垂飾(たれかざ)りも身に着けています。
このような縄文的な習俗が、北部九州の筑紫の国に現れたのは、東日本や北日本の縄文文化、玉作りの技術をもった人々の流入が想定されます。
玉振り・玉鎮めの祭祀の流入もあったでしょう。
宮中、石上神宮、彌彦神社の祭祀にもなっています。
少なくも、次代の弥生文化をいち早く担った北部九州の人々は、縄文の文化や精神を継承した人々であることが理解できる、実に貴重な史料です。
『古事記』の「天の安の河の誓約(うけい)」で、始まりにでてくる天照大神は「鏡」を持っていません。
伊奘諾尊(いざなきのみこと)から「首飾りの玉」を継承しています。
天照大神は、たくさんの玉を身に着けて、八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま=大きなヒスイ)を、素戔嗚尊(すさのおのみこと)とやり取りします。
「瓊(ぬ)な音(と)ももゆらに」とありますから、「玉がふれあいさやかに音を立てる」様子もうかがわれます。
越(こし)の奴奈川姫(ぬなかわひめ)の姿が重なりますね。
ヒスイは触れ合うと、
一方、素戔嗚尊(すさのおのみこと)の妃に「神大市比売(かむおおいちひめ)」の名称もみられます。
たくさんの「モノ」や「ヒト」が集まる市場を、女神のような巫女的女性が司り、象徴されていたようです。
山鹿貝塚の巫女的女性から、神話の女神たちが蘇生するようです。