こんにちは!yurinです。
2017年、古代史日和のブログを書きはじめましたが、皆さまにお読みいただき、感謝申し上げます。
熱い思いのこもった感想、各地の貴重な情報などもお寄せいただきうれしかったです。
目次
古典の魅力を伝える最適な表現形式
あらためて半年を振り返りまして、思いを深くするのは、ブログという形式が、実は『古事記』などの上代の古典の魅力を伝える、最適な表現形式かもしれない、ということです。
『古事記』はスバラシイ、日本の古代史を知る宝庫である、と白黒文字で何十枚の論文を書いても、講演会で何時間も言葉を尽くして主張しても、なかなか古典の魅力を伝えきれないもどかしさは残ります。
……ですがブログでは、平易で短い文章の中に、古典に書かれている自然、地名、神名、人名、神社、遺跡……という無限のアイテムを、一つずつ丹念に書き留めていけるのです。
四季の自然ともにある神社や古墳を伝えるカラーのフォトで説明できますし。
そしてその考証を積み重ねていくことに、無限の面白さがわいてきました。
それによって古典が輝きを増し、古典が伝える日本の歴史の真実が見えてくるように思われます。
江戸時代の後半に、本居宣長の『古事記伝』に代表される「国学」が興隆したのは、300年の泰平の世が続いたおかげです。
江戸時代の国学は、「文学」「言語」「歴史」「哲学」「民族学」などを含む広大なものでした。
そうして進化した国学でしたが、次の時代になるとナショナリズムの精神的支柱として利用されてしまい、ついに第二次大戦中には、国学の中の皇国史観だけが強調されてしまったのでした。
未曾有の敗戦後は、その反動によって、国学のエッセンスまでが否定されてしまったのです。
国学のエッセンスとは、古典にもとづく地道な文献考証です。
幸いに、第二次大戦によって開かれた男女平等の自由な民主主義社会の成熟のおかげで、それまでは考えられないほどに、万人に古典の門戸は解放されました。
国や地方公共団体が提供する図書館のサービスを享受できます。
さらに近年の急速なSNS社会の普及によって、世界的な規模での遠隔地の情報まで入手でき、相互にやり取りできるようになっています。
上代古典の解釈は、かってないほどに可能性が広がったようです。
「日本の古典に関連してこういうものがある」と知るほどにわくわく心躍ります。
「日本の古典からみれば、このように古代史像が描ける」という見方も、だんだんに構築されてくるのではないでしょうか。
瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)の天孫降臨を先導する猿田彦神
今年の秋祭りの時期に、茨城県行方(なめかた)市の大麻(おおあさ)神社の山車曳(だしひ)き祭りを見学してきました。
『常陸国風土記』で、霞ヶ浦の周囲の山波や集落を眺めて、日本武尊が「自然の里山の風景が絶妙にすばらしい」と賞賛した地です。
大麻神社の創建は大同2年(807)とされています。
祭神は、武甕槌命(たけみかづちのみこと)、経津主命(ふつぬしのみこと)です。
大麻神社前の『常陸国風土記』の碑
『常陸国風土記』に「麻生の里、古昔、麻、渚沐(なぎさ)の涯(きし)に生ひき。
囲み、大きなる竹の如く、長さ一丈に余れり」とある。
これが即ち麻生の地名のいわれで、また、本社社名の由来と伝えられる。
御祭神は武甕槌命(たけみかづちのみこと)・経津主命(ふつぬしのみこと)の二柱の神の他に五柱の神々を祀る。
十月の第三、土・日・月の三日間、祭典が行なわれる。
付近にある大宮貝塚は、猪・鹿・狸・鯨の骨・人骨などが、貝殻と共に出土する縄文時代の集落跡である。
麻生町
行方地方は、縄文時代の大宮貝塚にさかのぼる人々の集落の痕跡を残し、名前のとおり「麻」の群落が生い茂る谷津があったとされます。
筑波山も遥拝されます。
大麻神社の祭礼に先立ち、猿田彦の神が先導するお神輿が出発しました。
お神輿(おみこし)を先導する猿田彦大神
『日本書紀』神代で、天孫降臨する瓊瓊杵(ににぎのみこと)の前に風変りな容貌の神さまが現れます。
一(ひとり)の神ありて、天の八街(やちまた)に居(お)り。その鼻の長さ七咫(ななあた)、背(そびら)の七尺(ななさか)余り。まさに七尋(ななひろ)と言うべし。
また口尻(くちわき)明り輝(て)れり。眼(め)は八咫(やた)の鏡のごとくして、照り輝けること赤酸醤(あかがち)に似れり
(ひとりの神さまが現れて、天の八街(たくさんのわかれみち)に立っていらっしゃいました。その鼻の長さは、長々として、背の高さも見上げるほどです。
また口のはしは、明るく光っています。目も八咫(やた)の鏡のように輝いているのは、赤いほおずきのようでした。)
瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)が、天鈿女命(あまのうずめのみこと)を偵察につかわします。
神さまは、猿田彦大神で、天孫降臨したばかりの瓊瓊杵(ににぎのみこと)を先導するために現れたということがわかりました。
猿田彦大神の導きで、一行は無事に目的地にたどりつくことができたのでした。
このように古典を読むと、まるで怪物か、化け物のようでイメージの猿田彦大神で、実体がつかみにくい神さまなのです。
天孫降臨
穂高神社の祭礼にて
神楽のお面と囃(はや)しの音色にひかれる
それでまたまた『魏志倭人伝』の難升米(なしめ)ではないか、などとりざたされるのですが(微笑)、ところがこの大麻神社をはじめ、各地の祭礼行事を見ると、猿田彦の神が登場することがしばしばです!
古典の異様な容貌の猿田彦神の描写のわけが一目瞭然!
そして、なるほど神楽で天狗のお面をかぶって、あるいは獅子舞の獅子頭のようなかぶりものをしていたので、いっそうに巨大な化け物のようにみえた、ということを伝えたのね……とその実像が判明してくるのでした。
天鈿女命(あまのうずめのみこと)と夫婦になるのは、「歌舞のご縁」かしらと納得します。
そこからまた無限の解釈の広がりが生まれます。
『古事記』では、「猿田彦大神」と、「大」をつけて尊称しています。
「天照大御神」や「賀茂大御神」ほど、最上の神さまとしての敬語までは使用されなくも、偉大な導きのかみさまとして尊崇されてきたことがわかります。
皆さまとご一緒に猿田彦の神さまを解き明かしていくのも楽しみです。
大麻神社の山車(だし)では、景行天皇・武甕槌神(たけみかづちのかかみ)・経津主神(ふつぬしのかみ)の人形が乗っていました。
景行天皇の山車
「景行天皇は、子供(日本武尊)が可愛いって思って、ここまで来たんだよ。湖の反対側までで、麻生町までは来なかったけど……
学者の先生がいるとかいないとか難しいことを言っても、そんなことはどうでもいいんだよ。本にかいてあるんだから、それでいいんだって。」
と、祭事を取り仕切ってきたとう長老の方が、微笑んでいらっしゃいました。
「音色の美しさは、微妙なズレなんだ」と、祭り囃(ばや)しを指導する師匠もしているとのこと。
私には雅楽の素養がないのですが(大汗)、笛・太鼓・笙(しょう)などで奏でる囃(はや)しの音色に聞き入っていると、心に染み入ってきて飽きなかったです。
サンスベリアの花が咲く
今年、我が家のサンスベリアの花が初めて咲きました。
10年以上たって初めてのことです!
いつも見慣れた真っ直ぐな硬い葉の間から、ひょろひょろと見慣れない茎が出て、できそこないの葉かしら、と思っていたら、そこから蕾がでてきて、花芽と気づきました。
しばらくして花が開いたときは、感激しました。
その日の夜に、古代史日和主催のkaoriさんから
今日から新たに「古代史日和」のサイトを開設して、ブログも掲載しました。
と、メールがあったのです。
さっそくに気になって、サンスベリアの花ことばを検索してみますと、なんと「永久」「不滅」でした!
ささやかにスタートした「古代史日和」ですが、永久不滅であったらうれしいですね。
日本の古典をヒントにして、日常の生活や旅にちょっと彩りを添えるだけでも、そこからわくわくする豊かな人生が広がっていただけたらと、願っています。
今年もお世話になりました。心からお礼申しあげます。良いお年をお迎えくださいね。