八ヶ岳縄文世界の山々を臨む

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あけましておめでとうございます。yurinです。

昨年は拙ブログにお越しいただきありがとうございます。

本年もよろしくお願いいたします。

杖突(つえつき)峠から八ヶ岳縄文世界を展望

たびたび諏訪地方を訪れましたが、周囲の山々がスッキリ見渡せるような時は、意外なほど記憶が薄いのです。

……それが物部守屋神社を参拝したご利益でしょうか。

その帰り道に杖突(つえつき)峠を越えると、思いがけず八ヶ岳を臨む大パノラマが広がったのでした。

杖突峠の展望台

さっそく八百万の神々の祝福をうけたものかしら?(大拍手)

私たち夫婦は初めてここを訪れました。

諏訪から伊那方面へは、中央自動車道で岡谷ジャンクションから南下した方が、圧倒的に早いので、この峠を越えたたことがなかったのです。

 

「何度も来たけど、北アルプスまではっきりと見渡せて、こんなに晴れたのは初めてです。」

と、私たちより先に来て、この場所に立ち去り難そうに、ずっと見入っている方々もいるほどでした。

これが八ヶ岳縄文世界ね!と、広大な八ヶ岳連峰に囲まれた空間が、守りに有利で天然の要害のように見えてきます。

「八ヶ岳山麓に縄文時代の都があった」という人もいるほどです。

『八ヶ岳の三万年~黒曜石を追って~』(小泉 袈裟勝)というロマンあふれる本もあります。

以前訪れた遺跡を、上から眺望するのも、なんとも気持ちいいものです。

「縄文時代のいちばんいいヒスイは諏訪に運ばれている」

と、ヒスイ研究の大家の土田先生はおっしゃっていました。

「信州人はただものじゃないな」とも。

 

「私もそう思います」(微笑)と、すぐに同意!

「何しろ、冬にはいったい何をたんぱく源にしているのかしらと思っていたら、なんと!ありとあらゆる“お豆”があるんです!ストーブにかけて、コトコト煮ています」

 

信州の男性は長寿日本一です(大拍手)

福岡の河村先生のツアーに参加されて、長野県を訪れた方からこんな賛辞もあがりました。

「やはり信州人が長寿なのは、この高い山々の峠を、登ったり下ったり、絶えず足腰を鍛えているのがいいのかもしれないですね」

 

この峠は、古東山道が通じていたとのことです。

この眺めは古代の人々も感動して見入ったことでしょう。

御柱(おんばしら)の御用材を切り出す御小屋(おこや)山

八ヶ岳は長野県と山梨県にまたがる、すそ野が広くて大きい山々の総称です。

南八ヶ岳と北八ヶ岳に別れて、「八つ」といってますが、いろいろな数え方があるようです。

主峰の赤岳(2899m)以外にもそれぞれ特徴ある山々から成り立っています。

 

もともと八ヶ岳の上に富士山が乗っていて、大爆発によって二つに割れて、上の部分が落ちて富士山になった、という伝説があるほどです。

なるほど、八ヶ岳の上に富士山があったようにイメージできるほど、すそ野が広大です。

その八ヶ岳主峰の赤岳~阿弥陀岳の稜線の下方に「御子屋(おこや)山(2136m)」があります。

八ヶ岳主峰の赤岳

御子屋(おこや)山

諏訪大社の七年に一度の大祭の御柱祭(おんばしらさい)で、上社本宮と前宮の御用材を切り出す御柱山になってきました。

御柱を曳航(えいこう)する時に歌われる木槍歌(きやりうた)があります。

御小屋(おこや)の山の 樅(もみ)の木は 里に下りて 神となる

 

1998年の長野オリンピック開会式のセレモニーに「御柱」が建てられました。

そして白馬村のジャンプ会場でも木槍歌(きやりうた)は歌われたのです!

 

日本画家の日香浬先生が諏訪大社『御柱曳行絵図』のご奉納の祝賀会で、間近に「木槍歌」お聴ききする機会がありました。

『御柱曳行絵図〜諏訪大社式年御柱大祭造営』

川崎日香浬氏 諏訪大社奉納記念※クリックで拡大します

「今日は、~さんは声が出ているな」と諏訪大社の宮司の方も、その時々の「木槍歌」に思いをかけていらっしゃるのがわかるほどでした。

 

こうして八ヶ岳を眺望すると、あの八ヶ岳連峰の木を伐り出して、坂を下り、川を越えて、20キロも引いてくるのという行為が、いかに超人的なパワーを結集してなされるか、あらためて感動させられるのでした。

”立てる”だけでも大変な労力なんです(大汗)

 

「坂を下るのがクローズアップされますが、川を渡るのも命がけなんです。」

と、諏訪の方からお伺いしました。

4月の雪解け水に入るなど、尋常では考えられない行為なのです!

 

そして御小屋山の位置を見ると、八ヶ岳の主峰の直下であって、八ヶ岳という大自然そのもの精霊を、御柱に込めて社殿の四隅に立てて守護神としたものにほかならない、と古代人の自然信仰への思いがいっそう蘇ってくるのでした。

そしてそれは今なお諏訪の人々の心に脈々と生き続けているのです(大拍手)

信仰の山「蓼科山」の麓の尖石遺跡

その名もステキな「麦草峠」(2120m)をはさんで、北八ヶ岳の山塊になります。

早春の芽吹きが美しい、麦に似た草が生える地からの名称なっています。

北端の「蓼科(たてしな)山(2530m)」は、秀麗な富士山型の山容で、信仰の山です。

日本武尊は、千曲川方面から、この山頂近くの峠を越えて諏訪へ入ったと伝えられています。

「あそこを越えて来たのね」と、思いを馳せます。

八ヶ岳の地図をみると、山塊の合間をぬって、たくさんの峠があることに驚かされるのです。

黒曜石をもって、実にたくさんの人々が、この地を往来したあかしなのでしょう。

 

その山波は蓼科山の西方はなだらかになって、蓼科高原~霧ケ峰~和田峠へと続きます。

冷山(つめたやま)・男女倉(おめくら)遺跡をはじめ、黒耀石の産出地が目白押しの山波です。

 

その山麓に有名な「縄文のビーナス」が出土した、尖石遺跡があります。

蓼科山(左)と尖石遺跡のある山麓

その他、井戸尻遺跡(諏訪郡富士見町)、阿久(あきゅう)遺跡(諏訪郡原村)、旧御射山(もとみさやま)遺跡(諏訪市霧ケ峰)……

などこうした八ヶ岳の西側の長野県側ばかりでなく、縄文遺跡は東側の山梨県へも広がって、金生(きんせい)遺跡(北杜市)、釈迦堂遺跡(笛吹市)方面へ続いていきます。

水と景観に恵まれた縄文遺跡

土田先生は、糸魚川方面の縄文遺跡についてこのように述べておられます。

こうして遺跡を訪ねる時、なんと素晴らしい『水』を有したことかと驚嘆せざるをえないのである。(略)こうして今日的にも遺跡に近接する水の生命線は太くて強い。

(略)また遺跡に共通して言えることは、景観のよいとこに立地しているという点である。

(略)四季おりおりその美しさを表現してくれるところである。

遺跡に立ってみると、日本海や姫川が見おろせ、四囲を見渡すに都合のよい台地面や段丘であったりする。

山嶽や小高い丘陵地は、天の神々や精霊の地として選ばれて祭祀も行われた。

宗教的に神話や伝説など後世につけ加えられたものもあるが、その根底には古代人のアニミズム的信仰の源流をみることができるのである。

『翠(みどり)の古代史~ヒスイ文化の源流をさぐる』より引用

太字:古代史日和

土田先生のおっしゃる縄文遺跡においての「水と景観」

弥生遺跡に「水」が必須なのはもちろんですが、縄文遺跡の水はいっそうに、今なお豊かで、清らかであることが印象的です。

清らかな水は、源流の山々の樹木があってこそ育まれます。

 

さらにいえば、由緒の古い神社もまた、水が豊かで山々の景色が見事に眺望されるところばかりです。

諏訪大社前宮の二之御柱と本殿の間には、ご神水の「水眼(すいが)の清流」が流れています。

背後の守屋山から流れる清流で、この水が神事に使われてきました。

日本画家の日香浬先生は、諏訪産の黒曜石や糸魚川のヒスイの粉末を精製して顔料とし、このご神水でといて描いたそうです。

 

この日はその神域や縄文世界を、さらに上の方から眺望しましたが、ひとつひとつの遺跡を四季折々、丁寧に訪ねてみたいと、ちょっとぜいたくなことも思ったりするのです(微笑)。

それが晴れの日であれば、雄大な山波を仰ぐことができるでしょうし、たとえ雨の日であっても、何かしら古代の人々の声は聞こえてくるのではないでしょうか。

日本のベストスリーの山を仰ぐ

杖突峠の西側は、諏訪湖の向こうに、真っ白く雪を抱いた北アルプスの山波が遠望されます。

諏訪湖と北アルプス遠望

右端の円錐形の常念岳(2857m)の奥に、穂高岳(3190m)から槍ヶ岳(3180m)まで確認できました。

穂高岳は日本第3位の標高の山です。

穂高連峰

安曇氏は、その北アルプスの主峰の穂高岳を仰いで穂高神社をお祭りしたのでした。

そしてたたずんでいるのが守屋山山頂のすぐ下です。

守屋山

山頂からの見晴らしはさぞかし開かれたものでしょう。

 

……杖突峠をくだり、中央高速道路から首都圏にむかうと、今までにないほど晴天に恵まれて、くっきりと南アルプスの山々を仰ぐことができました。

正面に八ヶ岳の主峰と御小屋山が近づきます。

こちらは、南アルプスの主峰の北岳(3193m)です。

中央本線の線路は、高速道路より下を走っていて、この北岳は、長坂駅から日野春駅にかけて、運がよければほんのチラリと見えます。

むしろ高速道路は縄文遺跡の標高に近いところに添って走っているので、北岳がかなりはっきりと眺望されました。

この山は、標高第二位ですが、山々の奥深くにあり、登山技術も高度に要求されるので、穂高岳よりも、足を踏み入れる人は限られてきます。

 

なかなか簡単に見ることもできないのですが、なんと縄文人は、この真っ白な雪山を拝むことを意識していたようです!

晴れた日の縄文遺跡に立って、この山を遥拝したい、と思います。

北岳も仰ぐことができました。

そしてなんといっても富士山です。

正面の視界から八ヶ岳が消えると、正面にその美しい山容がくっきりと現れました!

皆さま、どうか明るく良いお年をお迎えくださいますように。

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