こんにちは!yurinです。
継体天皇と足羽神社。
古代史の旅で、きっと訪れたい場所……ですが、私にはちょっと心残りの思いがわいてくるのです。
幻となってしまった継体天皇像
福井県の足羽山の継体天皇像と足羽神社については、安本先生に、とても申し訳なく恐縮している思いがあります。
それは、安本先生と私の共著『先代旧事本紀 現代語訳』に、継体天皇像と足羽神社のフォトを挿入できなかったことです(大汗)
「章のラストにフォトを入れられるみたいですが、何かご希望はありますか?」と、安本先生にお伺いすると、真っ先におっしゃったのが、
「参考文献と同じで、キリがないけど、あの継体天皇の像はいいんじゃないかな?」
と、安本先生が、真っ先に推薦されたのが、足羽山の継体天皇像だったのです!
安本先生の横浜の講座では、授業の前の受講者による発表があります(自由参加)。
そこで福井県のご出身の方が、継体天皇についてお話しくださったことがありました。
足羽山公園の継体天皇像を、その時初めて知りました。
ローマ彫刻のような洗練された継体天皇像ではなかったのですが、それ以来、その素朴な温かいみのある像が、不思議なほど頭の片隅に刻まれていたのでした。
越(こし)の伝統文化の一つを象徴するヒスイなどの石製品。
安曇野の道祖神や、はるか離れた筑後の国の岩戸山古墳に置かれた石人・石馬も想起します。
安本先生もその継体天皇像が、心に刻まれていたようです。
話を伺ってから、けっこう時間がたっていたので、先生が継体天皇像をおっしゃたのは、感慨深かったです。
それで、これは現地へいってぜひ撮影しなくてはと思ったのでしたが……
予想以上に時間がかかり・・・
もともと『先代旧事本紀』の”現代語訳”ということで、ウエイトは本文にだけありました。
それでフォトの方は、本に入れるという自覚が薄かったのです(汗)
私が用意したものは、構図や映像が不鮮明だったり、他の人が写っていたり、それを出版社の人に指摘されて、慌ててしまいました(大汗)
しかも訳文の校正に予想以上に時間がかかってしまったのです。
それで関係先にお願いした方がいいと思われたものは、お願いすることにしました。
最終的に10巻ある章ごとの巻末に、内容と関係する120枚ほどのフォトを挿入しました。
……ですが、第9巻に足羽神社も継体天皇像も入れることはできませんでした(泣)
本が刊行されると、別の神社のご神職から「うちの神社の写真も入れてほしかったです」とのお言葉を頂戴することもありました。
たとえ本文に記載があっても、さらに白黒の小さいフォトが掲載されるだけで、印象は違ってくるようです。
そうなると、いっそう後悔されてきます。安本先生だけでなく、足羽神社の方々へも申し訳なさがわいて参ります。
……足羽神社と継体天皇像なら、新幹線ですぐに撮影にいける、と思ったのが失敗でした……
予想以上の本文の校正に時間と労力がとられて、ついに福井へ訪れることができず、タイムオーバーになってしまったのでした(大泣)
『先代旧事本紀』巻9の「帝皇本紀(みかどのもとつふみ)」の巻末のフォトには、白紙の部分があります。
これをみるたびに、頑張りが足りなかった、と残念な思いがします。
フォトのページの構成としては、継体天皇の関連を最初のページに入れて、次のページを物部守屋の関連フォトで終わらせたい、というものでしたが……
どうか、お手持ちの方、また図書館でお借りした方も、白紙の箇所に、この足羽神社と足羽山公園の継体天皇像をイメージしていただければ有難くうれしく思います。