伊都国の「宇美八幡宮」横の朝鮮系支石墓から縄文人

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こんにちは!yurinです。

いにしえの伊都国とされる糸島市ですが、西部の長野川の流域に宇美八幡宮があります。

長野川

宇美八幡宮

宇美八幡宮に参拝

歴史作家で『神功皇后の謎を解く』などの著作で知られる、河村哲夫先生のご案内で、神功皇后ゆかり宇美八幡宮に参拝しました。

宇美八幡宮といえば、糟屋郡宇美町の宇美八幡宮が知られますが、本来は糸島市の宇美八幡宮で神功皇后が出産した伝承もあるそうです。

 

『日本書紀』に「筑紫の蚊田(かた)に生(あ)れませり」とあります。

こちらの方で産気づいて生まれたものの、縁起を担いで、糟屋郡の宇美八幡宮の地で、正式な誕生の儀式を行ったのかもしませんね。

『魏志倭人伝』に「不弥(うみ)国」が記されていますから、応神天皇のお生まれになる以前からの地名であることは確実です。

 

それとこの地には、仲哀天皇の御陵の山の伝承があるそうです。

『日本書紀』に「(仲哀)天皇を河内国の長野の陵(みささぎ)に葬(ほう)りまつる」とあります。

これは畿内大阪府の長野の御陵の記事ですが、神功皇后と仲哀天皇には、「長野」にゆかりがあったようです。

朝鮮系の支石墓に縄文人!

宇美八幡宮の船つき場の鳥居の写真です。

このすぐ横に森があります。

朝鮮半島の影響をうけたという支石墓がありました。

「支石墓から出て来た人のDNAを調べたら、縄文人だったんですよ!」と、河村先生。

「えっ!そうなんですか!?」驚きでした!

……やはり敗戦後は、弥生渡来系の文物に、渡来人が強調されすぎてきたようです。

支石墓にまで縄文人とは、意外です。

 

ですが、今山石斧にしても立岩石包丁にしても、弥生農耕社会は、石器による開拓から始まったので、支石墓に縄文人は納得です。

東日本の縄文人は、石器製作のプロなのです。

 

また弥生時代の始まりを告げた遠賀川式土器も、北部九州の中で、もっとも本州の影響や交流を受けやすいポジションです。

北部九州の東から農耕文化が発展したのです。

弥生時代は産業変革の大きな流れが押し寄せる中で、器用に対応していく縄文人であったかもしれません。いつの日本人もそうであるように。

 

宇美八幡宮の社殿のある山上まで、延々と急な石段が続きます。

手すりがなくて、気をゆるめて一歩でも踏み外すと、転げ落ちそうで……(大汗)

……ようやくたどり着いた本殿の広場は森閑として、何とも趣き深い由緒をかんじさせます。

 

「どうです?ここは一大率(いちだいそつ)が、置かれた地に思えませんか?魏の使者がこの川を船でス~~っと入ってきて、ここで船を停めたみたいでしょう?」

と、河村先生。

なるほど川からは、かなり幅の広い石段がついていて、船を停泊させて使者や荷物を上げ下ろしするには、絶好の場所のようです。

 

ここよりはもっと狭い空間でしたが、飯塚市の日若神社にも、似たような石段があるのを思い出します。

筑紫の国には、本当に古い由緒を感じさせる遺物があって驚かされます。

船の正面には、豊かな平野が広がり、長野川が山々の奥に消えていくところに、雷山を仰ぎます。

実に伊都国を象徴する美しい風景になごみます。

 

 

話は少しそれますが、長野県の長野市若槻東条に、源義家(八幡太郎義家)が子孫に授けたという、神功皇后の鎮懐石に因む「蚊里田(かりた)八幡宮」があります。

これは日本画家の川崎日香浬先生にご教示いただいた神社です。

神功皇后ご出産~蚊田(蚊里田)~長野~仲哀天皇

という地名がリンクします。

それぞれ遠く離れた地でありながら、何かしら縁(えにし)を感じさせます。

そのような思いがこみあげて、偶然にもこの地まで案内していただけて、感慨深かったです。

 

神功皇后は、お生まれになる御子が、皇子か皇女かわからない状況でした。

……そして見事に男子を出産されて、大きなターニングポイントを迎えたのです。

この皇子に必ず皇位を継がせよう、と母としての思いは確固たるものになったのでしょう。

健やかな皇子の誕生に自信を得たのです。

そして糟屋郡の宇美八幡宮で、皇子ご誕生の正式な儀式や挨拶を受けたのではないでしょうか。

………
ですが、もし生まれる御子が皇女であれば、夫の仲哀天皇の御陵のそばで、皇女とともに静かに平凡な人生を過ごしたい、とお思いであったかもしれません。

それほどに、雷山を仰ぐ長野川のほとりの美しくのどかな風景は、平穏な幸せのありがたさを与えてくれるものでした。

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