こんにちは!yurinです。
邪馬台国以前に日本列島の倭国の王がいた奴国。
邪馬台国を考えるとき、漢から金印をもらった奴国のことも考える必要がありますね。
今回は、日本の古典から奴国を見てみます。
『古事記』『日本書紀』の神代で、伊奘諾尊(いざなきのみこと)は、黄泉(よみ)の国の軍隊に追われて、命からがら帰還します。
その穢(けが)れを祓おうと、筑紫日向(つくしひむか)の橘の小戸(おど)の阿波岐原(あわぎはら)で禊(みそぎ)をします。
するとその時に、住吉三神・海神(わたつみ)三神・天照大神(あまてらすおおみかみ)・素戔嗚尊(すさのおのみこと)・月読尊(つきよみのみこと)が生まれました。
現人神(あらひとがみ)の始まりとも言われる住吉の神
住吉三神をお祭りする住吉神社は、日本各地に五千社を超えます。
中でも三大住吉神社といわれるのが、次の三社です。
住吉大社 大阪府大阪市住吉区住吉
住吉神社 山口県下関市一の宮住吉
住吉神社 福岡県福岡市博多区住吉
住吉神社(博多区)
さらに宮崎県宮崎市塩路の住吉神社、鹿児島県曽於(そお)市住吉神社などいずれかをいれて、四大住吉神社ともいわれます。
この中でもっとも古い由緒を持つ住吉神社についてさまざまな説があります。
日本史学者の田中卓氏は、
住吉の神が、神話の中の筑紫の国において、安曇氏が祭る海神(わたつみ)とともに生まれていることを考慮すれば、博多の住吉神社が最も古い由緒をもつものであろう
『田中卓著作集1神話と史実』より
太字:古代史日和
とされます。
海神三神を祭る志賀海神社
現人神(あらひとがみ)といわれる神は、神が人の形になって現れたお方と考えられてきました。
その始まりが「住吉の神」と伝承されるほどの古い神さまです。
さらに博多の住吉神社には元宮があり、筑紫郡那珂川(なかがわ)町の「現人(あらひと)神社」といわれます。
『魏志倭人伝』の奴国の守護神が住吉神社
『魏志倭人伝』の奴国という大国の考えるヒントは、住吉神社にあるようです。
奴国は、かつて漢の王朝から金印を下賜された輝かしい歴史を持つ王国です。
「漢委奴国王」の金印です。
歴史作家の河村哲夫先生は、奴国の守護神としての住吉の神について、おおよそ次のように述べておられます(『九州を制覇した大王~景行天皇巡行記~』)。
福岡市博多区住吉の住吉神社は、旧那珂郡にあり『魏志倭人伝』の「奴国」に属し、もともとは那珂川河口の博多湾の入江に突き出た場所にあった。
博多古図
住吉神社掲示板より
そして瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)が、筑紫から南九州へ天孫降臨したときに、日向国に住吉神社も遷座した。
しかし神武東遷後に、皇室の祭祀からはもれてしまい、その後に神功皇后が、再び筑紫で祭らせたものであろう。
河村先生の考察されるように、邪馬台国以前に日本列島の倭国の王であった奴国、その奴国の祭祀をのこしたものが住吉神社とみられます。
それぞれの氏族には崇拝する祖先神があります。
一方で、神社の祭神と神職という関係を概観すると、必ずしも先祖は一致しないということも気づくのです。
出雲大社を祭るのは、大国主命の子孫でなく、天照大神の御子の天穂日命(あまのほひのみこと)の系譜です。
諏訪大社下社では建御名方神(たけみなかたのかみ)の子孫でなく、皇室の子孫の国造の系譜が神職です。
ある氏族を征圧した場合には、政治権とともに祭祀権も奪うこともあったようです。
世界史を例にとると、政治的に勝利した氏族は、征圧した氏族の宗教弾圧をするのが一般的です。
ですが、日本の天皇家は、征圧した氏族の祭祀も、司祭者を交代するなどして大切にお祭りしました。
天皇家の先祖の「天つ神」とともに「国つ神」もお祭りしたのです。
そうすることによって敗者の怨念から逃れたのでしょう。
さらには国つ神の一族の女性を迎え入れて、血脈も残したのです。
日本の天皇家が、現存する世界最古の王朝として継続してきた理由はこのあたりにあるとみられます。
天皇家と主権を争った氏族は敗者となっても、出雲大社や諏訪大社のように、今なお皇室の先祖を祭る伊勢神宮と同じように人々の尊崇を得ているのです。
こうした状況から考えると、『魏志倭人伝』にでてくくる国々の、奴国・投馬国・伊都国・不弥国なども、それぞれの祭祀が、今ある神社として残っている可能性は高いといえるのではないでしょうか。
金印奴国の祭祀を残したのが住吉神社とみられます。
中国の正史『後漢書』(5世紀)は伝えます。
建武中元二年、倭の奴国、貢(みつぎ)を捧げて朝貢す。 ……光武は賜うに印綬(いんじゅ)を以(も)ってす
(紀元57年、倭の奴国の使者が、貢(みつ)ぎ物を捧げて、後漢の光武帝のもとにきた……光武帝は倭の奴国の王に、印章と下げひもを賜った)
さらに、『新唐書』は記します。
日本は、古(いにしえ)の倭の奴国なり
と。
日本の歴史は奴国から始まった、
古代史日和勉強会でも、人気者でしたのがやはり「金印」
金印をめぐっては、真偽論争もなされます。
古美術品の鑑定は、100パーセントは難しいものなのでしょう。
……ですが、金印の真偽以上に大切なのは、中国の正史に、奴国が印綬をもらったこと、日本の歴史は奴国から始まったこと、その奴国の輝かしい歴史が文献に記されていることこそ、すばらしいのです。
ゆるぎない歴史です。
奴国から邪馬台国へ、そのドラマに思いを馳せるのは、