天照大神〈卑弥呼〉の一族を祭る筑紫〈邪馬台国〉の自然

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こんにちは!yurinです。

筑紫の那珂川流域は、住吉神社を守護神とする奴国の勢力が広がっていたようです。

一方、遠賀川と筑後川の源流域には、天孫といわれる天照大神の一族をお祭りする神社が目立ちます。

筑紫を象徴する山河とともに祭られる天孫

『新撰姓氏録』では、天照大神から神武天皇までの5代の間に派生した氏族を「天孫(てんそん)」として記載します。

「天孫(てんそん)」は天照大神の子孫として、八百万の神々の中でも特にステイタスが高かったようです。

 

その天照大神の父母が、伊奘諾尊(いざなきのみこと)・伊奘冉尊(いざなみのみこと)です。

その伊奘諾尊(いざなきのみこと)から神武天皇までの「天孫(てんそん)」といわれる神々を祭ることが、実に顕著なのが筑紫の自然です。

他地域にはいっさい見られない状況は、驚くべきほどです。

日本神話では自然神から人格神へ移行した時の神々といえるでしょう。

 

畿内の奈良県では、三輪山に出雲系の大物主神(大国主命)、二上山に大津皇子、多武峰の談山神社の藤原鎌足……と、大和を象徴する山河には、天孫といわれる神々は希薄です。

天香久山(あめのかぐやま)にお祭りする神は、「櫛真知命(くしまちのみこと)」という、占いの神さまです。

『先代旧事本紀』「天神本紀」に書かれている通りに、河内の斑鳩(いかるが)の峰とされる生駒山に、饒速日尊(にぎはやひのみこと)が祭られるのが見受けられるくらいです。

 

この後に『古事記』『日本書紀』に記される四道将軍・日本武尊・神功皇后という、古典を彩る英雄たちが登場し、日本列島の各地の神社にそれぞれの伝承とともに祭られています。

その時代からわずか百年ほど遡る時代に、人格神とされる神々が、筑紫の国に祭られたのも古典のストーリーに添って自然な流れが感じられます。

筑紫の国にはそれほどに、地域を象徴する山・川・海・島という自然とともに、日本神話の「天照大神の一族」が祭られる様子が目立つのです。

筑紫の灯台守のような立花山

伊奘諾尊(おざなきのみこと)が禊祓(みそぎはら)いをしたのが「筑紫日向(つくしひむか)の橘(たちばな)の小戸(おど)の阿波岐原(あわぎはら)」です。

その由緒地とされる立花山(367m)は、福岡市東区と糟屋郡新宮町にまたがる山です。

場所によって3つの峰にも見えるのですが、博多湾の海上に出ると、二つの峰になって仰ぐことができました。

二上山(ふたがみやま)で、古く伊奘諾尊(いざなきのみこと)・伊奘冉尊(いざなみのみこ)を祭っていたとされます。

玄界灘の灯台守としての役目を果たす目印となる山です。

 

楠(くすのき)の原始林は、国の特別天然記念物になっています。


写真は、大宰府天満宮のクスノキ


住吉神社(博多区)のクスノキ

クスノキは、神話に「鳥の磐楠船(いわくすぶね)」(鳥のように自由に駆け巡るクスノキで作られた船)と出てきます。

頑丈で腐りにくい最適な船の材として、神として重宝されたのでしょう。

畿内大和は「石上(いそのかみ)布留の神杉」「三輪の神杉」と歌われるように、建物の材としての「杉」が尊ばれていて、神話の時代から下るようです。

大神神社の杉

筑紫の国では、実に見事な楠の巨木を目にすることができました。

神話の世界を彷彿とさせてくれるものです。

筑紫への門戸の守護神の太祖神社

博多駅からJR福北ゆたか線に乗ると、篠栗駅付近で、秀麗な山容の若杉山(681m)に気づきます。

大和の三輪山に似ています。

その筑紫の国の門戸となるような場所です。

その霊山に、伊奘諾尊(いざなきのみこと)が禊(みそぎ)をした時に生まれた神々を祭るのが太祖神社です。

地図で見ている時は、周辺にいくつも山がある中で、どうして若杉山に、これほどの人格神の始まりの神々をお祭りするのか?よくわからないところでした。

 

……ですが、こちらへ来てみると一目瞭然!疑問は氷解しました!

玄界灘の海上からも、ひときわ目をひく秀麗な若杉山に、伊奘諾尊と禊(みそぎ)のゆかりの神様を、筑紫への門戸の守護神としての役目をたくしたものとみられます。

この地から須恵川との分水嶺を越えると、遠賀川水系の飯塚市に入ります。

筑豊(ちくほう)の中心の飯塚市熊野神社と立岩遺跡

遠賀川流域は、西部が豊(とよ)の地域と隣接(一部含む)することから「筑豊(ちくほう)」地方と呼ばれます。

石炭産業で名を馳せた時期もありました。

その中心地域が飯塚市です。

飯塚市は遠賀川の中流にあって、穂波川・建花寺(けんげじ)川・庄内川など、いくつかの河川が合流します。

「天の八街(やちまた)」のような地です。

 

その合流点の丘陵上に、弥生時代を代表する遺跡の一つとして有名な立岩遺跡がありました。

笠置山(393m)の石材を利用した立岩式石包丁の製作が行われて、北部九州一帯にもたらされました。

遠賀川式土器、高槻製石斧、優秀な鉄器・前漢鏡・絹・ゴホウラ貝やイモ貝製の貝輪などが副葬された甕棺墓、箱式石棺などが出土しています。

 

本州、博多平野、南西諸島などの交流がうかがわれます。

その立岩遺跡の集落を営んだ人々の守護神が、以前にブログでご紹介した熊野神社です。

そこでは伊奘諾尊(いざなきのみこと)・伊奘冉尊(いざなみのみこ)を祭ります。

巨岩の磐座(いわくら)があります。

 

この立岩(たていわ)の伝承では、神武天皇の東征の時に現れた手力男神(たじからおのかみ)が、巨岩によって悪神を退治して、神武天皇をお助けしたというものです。

そして

「私の和魂(にぎたま=おだやかな魂)は、この巨岩に留まって、筑紫の守護神になりましょう。

そして荒魂(あらたま=荒々しい魂)は、天皇が進まれる先に立って、お守りしましょう」

と。

集落から遠い、人里離れた山の上まで入り込めば、巨岩にお目にかかることもあります。

 

ですが、この地の立岩といわれる巨岩のスゴイところは、古代の集落のど真ん中にある、ということです!

今も人々が密集する中心地です。

まさしく「筑紫の守護神」としてふさわしい磐座(いわくら)です。

神話には「千引(ちび)きの岩」(千人で引くほどの大岩)という言葉があります。

この立岩は、どこからか、千人もの力で引いてきた岩なのでしょうか?実に考えさせられることが深い磐座(いわくら)です。

飯塚市から朝倉市へ遷都か!?

さらに立岩のすぐとなりに柏森(かやのもり)という地名があります。

「柏」の文字を書いて「かや」と読みます。

一方、畿内大和の飛鳥川の源流の、神々が住まう地は「栢(かや)の森」と呼ばれてきました。

それと重なり、なんとも奥ゆかしさを感じさせる地名です。

 

『出雲国造神賀詞(いずものくにもやつこのかんよごと)』出雲大社の神職が、代替わりに、朝廷に奏上する古い祝詞(のりと))にもでてくる神さまにゆかりの地名です。

飯塚市立岩・柏森(かやのもり)付近は、神話の神々がお住まいになられた神域だったのではないでしょうか。

奈良や京都の都が確定するまで、初期天皇の時代は、代替わりごとに遷都します。

 

『魏志倭人伝』には

その国(女王国)、本(もと)また男子を以(も)って王となす。住(とど)まること七、八十年……

とあります。

卑弥呼の時代には、筑紫平野に都があったとみられますが、それ以前の男王の時代の宮は、飯塚市付近にあったのではないでしょうか。

『古事記』で、伊奘諾尊(いざなきのみこと)は、天照大神に首飾りを授けて「高天の原を治めなさい」と委任しています。

伊奘諾尊の時代から、天照大神の時代へ、飯塚から朝倉へ遷都したものと考えています。

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