「阿曇氏と宗像氏」の水軍力で歴史のトータルな面白さ【1】のつづきです。
目次
4.出雲の大国主命と宗像三女神の関係を示唆する国宝の系図
宗像氏は出雲の大国主命ととても関係が深い氏族でした。
『古事記』で、天照大御神(あまてらすおおみかみ)と須佐之男命(すさのおのみこと)の天の安河(やすのかわ)の誓約(うけい)によって、お生まれになったのが五男三女。
その三女が宗像三女神です。
三女神を祭るのは、福岡県宗像市の宗像大社が総本社です。
宗像大社辺津宮
沖津宮(沖ノ島) 多紀理毘売(たぎりびめ=田心姫たごりひめ)
中津宮(大島) 多岐都比売(たぎつひめ=湍津姫たぎつひめ)
辺津宮(宗像市田島) 市寸島比売(いちきしまひめ=市杵嶋姫命)
これらの女神たちをお祭りする宗像氏の先祖については、一般的な系図では大国主命とされて、なんと宗像三女神はでてきません!
神社の祭神と、それをお祭りする神職は、さまざまな事情で、無関係の氏族である場合も多いのです。
一方で、宗像氏の先祖の宗像三女神にふれているのが、京都府宮津市の丹後国一宮の籠(この)神社の『海部氏勘注系図』(あまべしかんちゅうけいず)で、国宝に指定されています。
その系図によって三女神がそれぞれ、大国主命や饒速日命(にぎはやひのみこと)の妃となり、古代史に大きな役割を果たす尾張氏の先祖が生まれるという、婚姻関係があきらかにされます。
この系図は『古事記』で
大国主命は宗像三女神の多紀理毘売を妻として、阿遅鉏高日子根神(あじすきたかひこねのかみ)と下照姫(したてるひめ)を生む
という記述を補っています。
さらに『先代旧事本紀』で、
饒速日命(にぎはやひのみこと)の御子の、天香語山命(あまのかごやまのみこと)が高倉下(たかくらじ)である
という記述とも一致します。
つまり『古事記』『先代旧事本紀』『海部氏勘注系図』は、それぞれが補完し合い、宗像三女神と大国主命や饒速日命の関係が見えてくるのです。
5.古典を軽く見て登場人物のみ自由自在に語る!?
婚姻関係が省略されて男性のみの系図が目立つのは、儒教道徳の流入によって、男性主体の系図が残されて、それによって古代が語られる場合が多くなってしまったからとみられます。
この『海部氏勘注系図』は、婚姻関係を捨て去らないで明確に記し、古代の実相を明らかにしてくれます。
さすが国宝です!
『古事記』『日本書紀』『先代旧事本紀』を、後の時代の創作として軽んじてしまう人たちは、この貴重な系図さえ「創作」としてしまうのです(大泣)
最近は『古事記』『日本書紀』の主要な登場人物だけをピックアップして、地道な文献考証なしで、自分の古代史像を語る、という本なども溢れています。
こういう書物は「古典はたいしことない」と軽く見る歴史観が根底にあるようです(大泣)。
1999年版の丹後地方史研究者協議会の金久与市氏の『古代海部氏の系図<新版>』はオススメです。
『古事記』『日本書紀』『先代旧事本紀』の神話、脈々と伝承された地元の神社や神宝など……日本の貴重な財産として大切に、次世代へ伝えたいものだと思います。
詳細な現地情報にもとづいての、古典解釈の資料やお話しを、河村先生からお伺いするにつけて、古典への思いを強くします。
6.筑紫の島(九州)北部の宗像三女神伝承
実際に宗像三女神が鎮座するのは、福岡県宗像市の宗像大社です。
『日本書紀』で、宗像三女神は、天照大神のお言葉にしたがって「宇佐嶋」に降臨します。
大分県宇佐市の宇佐神宮~英彦山(ひこさん)~旧鞍手郡の六ヶ岳のルートに、大国主命と三女神を、伝承とともにお祭りする神社が顕著です。
遠賀川の源流にあたる英彦山(ひこさん)の方面から、彦山(ひこさん)川にそってくだると、直方市の付近で、馬見(うまみ)山の方面から流れる遠賀川本流と合流します。
さらにその先で西方から合流する犬鳴川(いなきがわ)に添って、眺望される印象的な山が六ヶ岳です。
宗像三女神の降臨伝承があります。
三女神が降臨した六ヶ岳と犬鳴川
古くは六つが岳は、埼戸山(さきとやま)といわれたそうですが、山頂が六つに別れて、まさに名前の通り。
初めて訪ねても、一目でこの山が「崎戸山(さきとやま)」と、すぐに認識できました!
「鹿毛馬(かけのうま)神籠石(こうごいし)」で名高い地にも、三女神を祭る厳島(いつくしま)神社(飯塚市鹿毛馬)がありました。
河村先生からあちこちの三女神伝承地を詳細にきくにつけても、福岡県の方々が羨ましくなります。
「日本神話」の時代に遡ると、やはり筑紫の国の魅力に幻惑されてしまうのです!
河村先生から、このような確かで豊富な現地情報をお伺いできて、とても幸せな気持ちでした。
7.世界遺産の女人禁制の沖ノ島
今年の7月、沖ノ島と本土の関連遺跡群が世界遺産に登録されました。
……ですが、沖ノ島は女人禁制です!
それは
「島へ入る前に、誰もが裸で禊(みそぎ)をしなくてはならない」
「島にあるものは一木一草持ち出してはならない」
「島で見たり聞いたりしたことは決して人に話してはならない」
という「沖ノ島のタブー」があって、
禊
(藤原新也氏の写真展「沖ノ島―神宿る海の正倉院」より)
「どれも女性にはきついものばかりじゃないですか?」「見事な指輪や勾玉とか見つけてしまったら、キレイな花とかみつけてしまったら、心が揺れちゃいませんか?」と、河村先生(笑)。
「こんな素敵な指輪や・・・」
「素晴らしい勾玉を見つけてしまったら・・・(心、揺れます 笑)」
「いえいえ、沖ノ島へ入れるなら、禊でも何でも守ります」という新たな女性も、これからは出現してくるでしょうから、ひょっとしたら女人禁制も開放されるかもしれない、と先生がおっしゃったのか、
古代史日和に参加された女性陣からも、そのようなささやきがおこったのか、お互いの思いが一致して、皆で微笑んでしまう和やかな時間が流れました。
活躍時代も活動範囲もはるかに広域にわたる「阿曇氏と宗像氏」。
縄文時代の以来の海人(あま)族の歴史は、日本の歴史のトータルな面白さを感じさせるテーマです。
北部九州を代表する平原遺跡、須玖岡本、立岩遺跡……も出てきて、やはり古代史は面白い!歴史が面白い!と、あっという間の時間でした(拍手)