日本で唯一九州と畿内の銅製品が一緒に見つかった長野県柳沢遺跡

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こんにちは!yurinです。

今年最後の古代史日和勉強会「饒速日尊(にぎはやひのみこと)と銅鐸」のこちらの記事のつづきです。

日本で唯一複数の青銅製品が出土した遺跡

時にはいったん九州・大和・出雲という古代の大拠点を離れて、巨視的な観点を持つことも大切と思うのです。

その拠点に入り込んで歴史を見てしまうと、どうしてもそれぞれの「王朝」という発想に、入れ込んでしまいがちだからです。

 

長野県中野市の柳沢遺跡は、日本でただ1か所、九州型の銅戈、大阪湾型銅戈、銅鐸などの複数の種類の青銅製品が出土した遺跡です。

そのような遺跡の意味を考えてみる、そうすることで、客観的で総合的に矛盾の少ない古代史像を構築できるようにも思えるのです。

 

列島各地に豪族がいて、大化の改新の時代以降に、それまで連合政権的なものから、大和政権に組み込またという、大和朝廷の歴史を新しく小さく見る歴史認識があります。

この歴史認識は、『古事記』『日本書紀』と相違します。

神武天皇・四道将軍・景行天皇と日本武尊・神功皇后などの実在を全く認めずに、描かれた古代史像なのです。

 

この歴史認識では、前方後円墳のたくさんある千葉県・茨城県・静岡県など、大和政権と「連合」するような地方豪族がいたとはとうてい考えられないという矛盾につきあたるのです。

 

むしろ私の郷土の千葉県では、『古事記』『日本書紀』に書かれた通り、強大な大和政権から「派遣」された皇族や豪族たちによって開拓統治されて発展したとみられるのです。

 

そうであるからこそ、かなり後の時代まで、東国から大和朝廷に、防人(さきもり)などの負担を出さねばならなかったのではないでしょうか。

2000年間埋納されていた青銅製品

日本列島の中央部から、古代史を見渡す視野も必要と思います。

柳沢遺跡から青銅製品の出土の一報を耳にした時、それほどの驚きはなかったです。

出雲の建御名方命(たけみなかたのみこと)が、母の故郷(ぬなかわ)を通っての敗走ルートと考えられたので、出雲から銅鐸を持ちだしてきたのかもしれない、と考えたからです。

 

……ですが、出土品の詳細が知られて、さらに実際に柳沢遺跡を訪れると、縄文時代から連綿と続く拠点集落の歴史の重みを感じるのでした!

 

建御名方命に係わるワンポイントの歴史でなく、日本一の大河の信濃川(千曲川)のほとり、信仰の高社山(こうしゃやま、たかやしろやま、たかもりやま)を抱く人々の営みです。

神の恵みの鮭が遡上する千曲川。その対岸には、これもまた霊峰黒姫山や飯綱山を仰ぎます。

古代の人々がこの地に拠点集落を営んだ意味も、いっそう深くなるのです。

柳沢遺跡付近の千曲川

 

柳沢遺跡は洪水被害に見舞われそうな河畔の近くですのに、志賀高原方面から流れる夜曲瀬(よませ)川が合流する川岸の高台に、2000年間、青銅製品は大切に、埋納されていました。

 

川底の深い船着き場の断崖の上であったようです。

出土地からは四方を見渡す一等地です(現在は堤防改修工事で、堤防の下になっている)。

長野県埋蔵文化財センターが「ここぞ」と目標地点を定めて発掘し、見事に!これほどの考古学遺物がでてきたのですから、本当にうれしかったでしょう!

感動してしまいますね(涙)

 

戦国時代の上杉謙信と武田信玄も、この付近では川が深くて渡れなかったので、もう少し川を上流へ遡った川中島で、戦いを交えたというほどですから。

そして地元の中野市は、長野県に管理されていた出土品を、里帰りさせるために、博物館の空調の整備をはじめ、懸命に取り組みました。

そしてようやく平成26年、すべての出土品は、長野県から中野市に委譲されたのです。

地元の宝物を大切に守る心に、胸が熱くなりますね(大拍手)

信越方面の玉作り遺跡・神社とかかわる

青銅製品の埋納以降に隣接して、礫床木棺墓(れきしょうもっかんぼ)、水田遺構も発掘されています。

礫床木棺墓は、河川の石を集積して木の板で区画をしてあります。

礫床木棺墓は、福岡県の遠賀川河口に神武天皇が築いたという磐座(いわくら)を思わせました。

 

この千曲川に合流する夜間瀬川の上流は、有名な観光地の志賀高原で「志賀山」があります。

神武天皇の母方ゆかりの安曇氏ゆかりの「しか」地名です。

河川沿いには縄文遺跡もズラリとあります。

 

この高社山付近は、縄文時代~弥生~古墳から現代までの複合遺跡です。

新潟県に入るとすぐの上越市には、弥生時代の玉作り遺跡の吹上遺跡・釜蓋遺跡があります。

これについてはブログで書きましたので、参照していただければ幸いです。

 

柳沢遺跡付近には栗林遺跡、南には、長野市松代町の松原遺跡があります。

これらの遺跡はさまざまの点で連動しているのです。

「栗林」などの地名は、縄文集落も思わせます。

南の小布施町は「栗の里」として知られています^^

 

千曲川(信濃川の長野県での呼称)をさかのぼった、長野市松代町には、日本でただ1か所「玉数え神事」で500以上の玉を祭る玉依姫命(たまよりひまのみこと)神社もあります。

縄文・弥生時代の「越(こし)」といわれた国々の広がりが見えてくるようです。

縄文時代に東日本で盛行したヒスイ製品は、弥生時代になると北部九州に集中します。

優秀なヒスイ製品の見返りは、相当なものがあったのではないでしょうか?

 

新潟県で遺跡を探究してきた土田孝雄先生とこの遺跡を巡ったのですが、「この付近は歴史的保存地区にして、聞き取り調査を行った方がいいな」とおっしゃっていました。

 

高社山周辺の中野市、すぐ隣の須坂市には、建御名方神ゆかりの神社とともに、饒速日尊や宇摩志麻治命(うましまちのみこと)をお祭りする社もあります。

現地を訪れて、九州・出雲・畿内ともかかわりながら、玉作り・石器作り・土器づくりにいそしんだ人々の姿がうかんで、日本の歴史の奥深さを感じてしまう遺跡でした(大拍手)。

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