越の国の旅【7】風情ある高田城下で「物部の心」

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こんにちは、yurinです!

上越方面からは、一気に真冬の便りですが、晩秋の越の旅の続きです。

小林古径ゆかりの高田城下町の風情

夜の大雨があがり、しっとり情緒ある高田の町で迎える夜明けでした。

信越本線ですと、日本海へ向かって高田~春日山~直江津の各駅があります。

高田駅

 

徳川家康の六男の松平忠輝が築いた高田城

高田は3度目ですが、越の歴史と文化を感じさせる城下町。

日本画家の小林古径(1957~1883年)の故郷でもあります。

古典や自然を題材にして、清澄で繊細な作風の作品を描きます。

小林古径、上杉謙信、徳川家康の六男、数々の古代の遺跡や文化。

豪雪地帯の四季の自然……このような歴史と自然に育まれて、日香浬先生のような、多彩で心のすわった日本画家の先生が輩出したのだと納得できます。

 

東京都大田区の古径の旧宅が、高田城公園内に移築されて記念美術館となり、日香浬先生は運営委員をされています。

小林古径記念美術館の旧宅

渋谷区にある山種美術館の小林古径展で、『古事記』『日本書紀』の大彦命(大毘古命)の逸話を描いた「大毘古命(おおびこのみこと)図」に見入ったことがありました。

小林古径の大毘古命(おおびこのみこと)図

『日本書紀』で10代崇神天皇の時代に、四道将軍が派遣されます。

大彦命をもて北陸(くぬがのみち)に遣(つかわ)す。武渟川別(たけぬなかわわけ)をもて東海(うみつち)に遣(つかわ)す。吉備津彦をもて西道に遣す。丹波道主命(たにわのちぬしのみこと)をもて丹波(たにわ)に遣す。

……印綬(しるし)を授(たま)いて将軍(いくさのきみ)とす……大彦命(大毘古命)、和珥(わに)坂に到る。時に少女(おとめ)ありて、歌よみしていわく、……御間城入彦(みまきいりひこ)はや 己(おの)が命(お)を弑(し)せむと 窃(ぬす)まく知らに 姫遊(ひめあそ)びすも 

(御間城入彦よ ご自分の命をねらわれているのも気づかずに 女性と戯れている場合でしょうか)

その神がかりした少女の予言から、異母兄の武埴安彦(たけはにやすひこ)の謀反を察して、大彦命は機先を制します。

和珥臣(わにのおみ)の先祖の彦国葺(ひこくにぶく)とともに、山背(やましろ)の武埴安彦(たけはにやすひこ)を討って平定したのでした。

 

小林古径の「大毘古命図」では、その神託を口ずさむ少女を、不思議そうに見つめる大彦命を描いています。

長い髪をなびかせる、あどけない少女が巫女的な雰囲気を漂わせています。

この絵から、新潟県の方々にとっての、四道将軍の大彦命への思いを知りました。

『古事記』『日本書紀』が素直に読まれた時代も確かにあったようです。

徳川斉昭公の「物部の心」の掛け軸を拝見

日香浬先生は、お茶屋をなさっています。


※写真はイメージです

お抹茶を頂戴しました。きめ細かく実に美味しいお茶でした。

お菓子は、卵白と黄身をそれぞれ乾燥させて、水あめで固めたお菓子でしょうか。

大好きな黄身あんのお菓子で、美味しくいただきました。

藤原道長が、恩賜の衣を賜った掛け軸がかかっていましたが、さらに、ご祖父から受け継いだという「物部(もののべ)の心」の掛け軸を拝見させていただきました。

私は物部氏とゆかりの深い『先代旧事本紀』、そして『季刊邪馬台国』でも物部氏について書いているので、「物部」を通じて、私とのご縁をいっそう感じてくださったようです。

 

さらに御祖父さまのご趣味という、韓国風の石像から、根津美術館の庭園を思い出しました。

大学時代の恩師で、根津美術館の名誉館長をされた菅原寿男先生がお亡くなりになられて、9年たちます。

『季刊邪馬台国』に、初めて一文が掲載されて、それをお持ちすると、とても喜んでお祝いしてくださった先生でした……

自分の年齢が上がるにつれて、師と仰ぐ先生や友人とのお別れがあって、孤独感が押し寄せることがあります。

……ですが、その一方で、古典や古代史を通じて、新たな大切な出会いもあるのでした。

 

日香浬先生を拝見していますと、もしかしたらこれからは「自分より年の若い師との出会い」があるのかもしれない、そういうことにも気づかされたのです。

「いにしえの神々や人々の心を偲ぶ歌」のおかげでしょうか?昔の友人や師が偲ばれてきます。

 

物部守屋は、日本古来の神々を守ることに命を捧げたのです。

古く頑固な生き方なのですが、そういう生き方も確かにあったのでした。

『先代旧事本紀』や物部守屋を勉強することで、「日本古来の神道祭祀」の歴史を再認識します。

こうした時間をいただくこともできました。

西洋のキリスト教では『聖書』という教典がありますが、日本の神道祭祀にはそのような教典がありません。

そうした中で「神道の聖典」というようにも言われるのが『先代旧事本紀』です。

『古事記』『日本書紀』には一度も出てこない神名にもかかわらず、『先代旧事本紀』に書かれていて、それが『延喜式』神名帳に記載されて、地方の一の宮や由緒ある神社の祭神になっていて、神々の由緒がわかるのです。

そうした古代の貴重な情報が記されています。

『先代旧事本紀』に関わらせていただき、安本先生、批評社の方々に感謝の思いを深くしています。

 

物部の名を 後世に伝えなむ 命は限りあると思へば
徳川斉昭

徳川斉昭は、幕末の名君として名高く、尊王攘夷で知られる水戸藩の藩主で、徳川15代将軍慶喜の父です。

開国論者の井伊直弼に対して、閉じ込められて謹慎させられたまま亡くなりました。

明治時代の廃仏毀釈の思想のもとになったといわれるほど、日本古来の神道祭祀に傾倒していたところがあったようです。

つづく

 

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