こんにちは、yurinです。
沖ノ島の巨岩崇拝を見ているうちに、あらためて、北部九州地方の巨岩信仰を次々と思い起こしました。
目次
住吉神社を守護神とする奴国の巨岩と巨木信仰
鏡や武器類といった、大陸由来の華やかな青銅製品に目がくらみそうな、古代北部九州の国々なのですが、
その一方で、自然信仰、神社、祭祀に目を向けると、日本古来の精神文化も見えてきました。
沖ノ島や福岡県飯塚市の熊野神社の巨岩信仰は、『魏志倭人伝』の国々の奴国(なこく)にもあったのです!
「漢の倭の奴国王」の金印を、漢王朝から授受された、倭国の当初の盟主が奴国です。
『魏志倭人伝』の国々の中で、奴国が博多平野付近の国であるのは、異論がないのではないでしょうか。
そして博多平野の奴国の求心力となってきたのが、那珂(なか)川の河口の住吉神社です。
福岡市博多区 住吉神社
住吉神社の大楠
河村先生は「奴国の守護神」と書いています(『神功皇后の謎を解く』)。
その那珂川を遡ると、現人(あらひと)神社(那珂川町)があります。
この神社が、大阪・下関・宮崎などの全国にある住吉神社の元宮といわれて、この川の流域から奴国は始まったようです。
筑紫の神社はどこも、神話の「鳥の磐楠船(いわくすふね)」を彷彿とさせる楠の巨木が目立つのですが、この現人神社の楠(くす)の木も見事でした。
古代人は、鳥のように自由に駆け巡る船をイメージして、その貴重の船の材になる楠の木を、ご神木として大切にお祭りしたのです。
畿内大和では「石上(いそのかみ)の布留(ふる)の神杉」「三輪の神杉」と歌われるように、「杉」が主なご神木で、神話の舞台より、時代は下るものとみられます。
筑紫の国の神社の見事な楠(くす)の木を見るだけでも、神話の世界が彷彿としてきます。
その那珂川に注ぐ小さな川の源流に、天の岩戸という巨岩の磐座(いわくら)がありました!
那珂川町の天の岩戸
神話の天の岩戸は、天照大神が、弟の素戔嗚尊(すさのおのみこと)の乱暴狼藉(らんぼうろうぜき)な振る舞いに、お怒りになり、天の岩戸にお隠れになってしまった、という場所です。
お隠れになる、というのは、古典では貴人の死を意味する場合があるのです。
那珂川町の天の岩戸の話しを聞いて訪ねてくる人の中には、山道に迷ってたどり着けない人もしばしばいるとか……
河村先生も、たどり着けなかったそうです(汗)。
二度目のチャレンジ!
今回は、地元の方と、那珂川町の資料館の方、お二人に案内していただいたので安心でした。
実は私が「遠賀川の神々」を強調した講演をしたもので、
「遠賀川」ばかりに神々がいるのではない。
この那珂川にも神々はいらっしゃる。
広く筑紫の国を見渡すように。
との河村先生のご教示だったのです。
農家が点在する山合いの集落の細道を抜けて、林道のような道をあがっていったその先に、目的地はありました。
正式名は戸板地区の「山神社」で、かつての岩戸村の由緒になっているそうです。
バス停から歩けば、1時間ほどはかかるようで、このようなスポットに案内していただき、有難く思うばかりです。
ようやく古い苔むした石段の下にたどりつくことができました。
石段はあまりに急で、危なっかしい手すりでもついてなければ、転がりおちそうです(大汗)
山上に近く、石段からの眺めは明るく開かれて、よくぞこんな高いところにと思うところに農家も見渡せます。
海岸近くは外敵の侵入を受けやすい、ということで、このような山上まで土地を切り開いて、耕作をしてきたのでしょうか……
不思議にどこか安心感のあるスポットなのです。
階段を登りきると、目の前は、巨大な岩壁におおわれました。
そこがまさに「天の岩戸」です。
後世の人が巨石に描いた摩崖仏(まがいぶつ)もあります。
……ですが、申し訳ありません。
あまりに斜度が急で、岩山が大きくて、その全貌をフォトにおさめることができなかったのです(大汗)
「奴国もいろいろあるでしょう!?」と、どうだ!といわんばかりの河村先生。
「遠賀川の神々」ばかり語ったけれども、日本神話の神々は、確かにこの那珂川にもいらっしゃるようです……
まだまだ勉強不足を実感させられた、那珂川町の「天の岩戸」との出会いでした。
岩戸神楽と筑紫の国に広がる日本神話の魅力
車で山を下り、山田地区の伏見神社を案内していただけました。
青山に囲まれて、社前の那珂川はゆるやかに流れ、名前のとおりに豊かな水田の広がる風景に、心もなごみます。
神功皇后の妹(姉)の淀姫をお祭りする神社だそうです。
えっ、神功皇后に姉妹がいたの?
驚きでした!
祇園祭に奉納される「岩戸神楽」が有名だそうです。
社前の掲示板に神楽の説明書きがあります。
天の岩戸にお隠れになった天照大神ですが、高天の原の神々のお力で、再び岩戸の外へ出て明るく地上を照らしたのです。
それが岩戸神楽です。
伏見神社 神楽案内板
本州の長野県でも、神話の「高天の原」という地名や、それらしいスポットを、訪れたことがありました。
行ってみると、山の中の明るく開かれた場所で、いかにも八百万の神々が集い、話し合いや歌舞飲酒での笑い声が聞こえそうな別天地です。
いにしえの奴国の「天の岩戸」のスポットも、何かしらそのような雰囲気がありました。
そしてこの山田地区の伏見神社もまた、実りの秋の収穫を感謝して、のどかな里山のお社(やしろ)に集う神々の声が聞こえてくるような気がしました。
伏見神社 ご神木
いにしえの『魏志倭人伝』の「奴国」が、確かに自分の中で、つい昨日までとは変化していたのです。
「弥生銀座」という名称もあるほどの、大陸由来のきらびやかな青銅製品にあふれた王国、のイメージばかりでなく、原始自然信仰や神楽に彩られた日本神話の世界に、近づいていくものでした。
『旧唐書』(945年)の倭国伝に
倭国は、いにしえの倭の奴国である
という一文が、山田の風景とともに思い返されて、なんとも懐かしい気持ちがしてきます。
日本神話の魅力があふれた、筑紫の国の奥深さが広がっていく1日として、心に深く刻まれています。