建御名方命の家族が祭られる斐太神社と縄文遺跡の神社のつづきです。
晩秋の宮口古墳群、牧歴史資料館の石油とガラス
帰路に国指定史跡水口古墳群のある牧歴史資料館に立ち寄りました。
……あいにくの閉館でした……が、日香浬先生はあきらめず、もうひとがんばりしてくださいます。
「休館日じゃないから、役所はすぐそこだし、きっと電話すれば来てくれるはず。」と、連絡をとっています。
「この女性はただものじゃないでしょう!?」と、土田先生がしみじみおっしゃり、
「本当にそう思います!こういうお方には、今までにお会いしたこともないです!日本画の先生というので、お目にかかる前は、はかなく風に倒れてしまうような女性かしらと想像してたのですが……(汗)
この行動力も、絵画だけでない多彩な才能も、ひたすら驚くばかりです!女神が降臨したとしか思えないです。
私より20才も年下ですけど、なんだか自然に日香浬先生について行きたくなってしまうような”師匠”に思えるんです。」
日香浬先生のあきらめない交渉力!で、牧村の資料館を拝見させていただき、大きな収穫でした。
古墳から出土した見事な太刀、ハイレベルな玉類……
そしてこの地に産出する「石油」に由来するという、アスファルトをコーティングした、不思議なキラメキの玉類が目を引きます。
牧村の人々は美しいガラス製品の細工技術も体得していました。
明治時代のガラス製品
新潟の石油は海底油田と思っていたのですが、日香浬先生のご教示で、天然ガスの気泡とともに、田んぼに浮いている茶色の泡として、噴出しているということも知りました。
地元の方は「草生水(くそうず)」と呼んで、600年前から明かり用に使っていたとのこと。
もっと古くから油田勢力があったのでは?と。
地上のありとあらゆるものを、素材として利用し、食用にも生活にも使用してきたのが、人類です。
この山の集落の豊かさも「石油」利用がもたらしたものかしら?と思えてきます。
それは北部九州の遠賀川流域の筑豊の石炭も同じように考えるからです。
大規模に採掘して利用する技術は、ずっと後の時代であっても、地元の人々は、ひそかにささやかに石油や石炭を利用したんじゃないかしら?
牧資料館を後にすると、すっかり日は落ちて夕闇の越後平野に灯がともっていました。
高田城下の陀羅尼八幡神社に灯籠ともる幻想的な夜
高田城下に戻ってきました。
日香浬先生が絵画を奉納した陀羅尼(だらに)八幡神社では、紅葉のライトアップをしていました。
参道に絵画の入った灯籠がともされて、黄色の銀杏と真っ赤な紅葉がライトアップされて、幻想的な夜の風景です。
灯籠の中に『景行天皇と日本武尊』の巻頭絵画となった、「伊吹山へ」の日本武尊と宮簀媛の作品もあります。
日香浬先生の御作品とともに、この本があり続けることがうれしく有難くいっそう思いを深くします(大涙)
神社境内の子安社で、祭神の「木花咲耶姫命(このはなさくやひめ)」をイメージした天上画を、拝見することができました。
「水炎桜乱之図」
火の中で、無事に3人の御子を出産したコノハナサクヤヒメさまです。
この絵画を描くために、はるばる奥出雲のタタラ製鉄を見学に行かれたそうです。
日香浬先生の「大蛇(おろち)」を思い出します。
静かに、けれど絶えることなくメラメラ燃える炎、クラシカルな花びらの舞い散る桜……のコラボレーションからなる幻想的なコノハナサクヤヒメさまです。
コノハナサクヤヒメさまの心の奥底を見るようでもあり、よくぞ古典の世界を美しく幻想的に描いてくださったと、感服するばかり。
「炎は周囲に及ばないように、下絵の四方に『水』と描きました」と。
そしてこの幻想的な境内での日香浬さんのお姿こそ、女神のようです。
あまりにも密度の濃い一日の最後に、海の幸山の幸が豊かな高田の町で、越後の銘酒とともに、3人で心おきなく語り合いました。
糸魚川へお帰りになる土田先生をお見送りしてから、さらに日香浬先生のご自宅で、女性に必須の?スイーツで、カフェもいただきました。
人生を生きていると、こういう夢のような出会いとふれあいもある……思いを深くする終日でした。