高千穂峰に立つ霧島東神社の天之逆鉾(あめのさかほこ)

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こんにちは!yurinです。

南九州の宮崎県・鹿児島県の県境にある霧島山(1574m)は、神代に瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)が天孫降臨した高千穂峰(たかちほのみね)とされ、今も噴煙をあげる活火山です。

その火山活動の平穏であることと山の幸の恵みを願って、この山の周囲に住む人々は、霧島山を仰いでお祭りしてきました。

 

霧島六所権現ともいわれる寺社があり、古来の人々の霧島山への思いを深くします。

神武天皇ゆかりの狭野神社もその一社でした。

霧島山頂には、神代に天孫降臨した瓊瓊杵尊が立てたという天之逆鉾(あめのさかほこ)があり、霧島東神社の社宝になっています。

御池(みいけ)を見下ろす霧島東神社

列島各地の神社の祭祀をざっと見渡してみると、宮崎県高原町の霧島東神社で神楽の祭事が目立つことに気づきました。

南九州の史跡巡りの旅の期待がふくらみます。

皇子原(おうじばる)公園にある神武の館にあったフォトの東霧島神社の祓川(はらいがわ)神楽もまた、狭野神楽とともに国の重要無形文化財になっているのでした。

祓川(はらいがわ)神楽

神武の館資料館にて

狭野神社から南へ2キロの霧島山の中腹に鎮座するのが、霧島東神社です。

伊奘諾尊(いざなきのみこと)・伊奘冉尊(いざなみのみこと)をお祭りする古い神社です。

 

「御池(みいけ)」と呼ばれる原生林に囲まれた神秘的な池を、木立の合間に眺めながら、車で山道を走らせました。

御池と霧島山

霧島山の火口湖です。

11月の日曜日ですが、途中でほとんど車影がなくなり、ときおり対向車に出会うとホッとしました。

神社巡りをしているとよくあることなのですが、由緒ある神社であっても現在はさびれて、車道が林道のような細道になってしまうこともあったりしたもので……(大汗)

 

鬱蒼(うっそう)と茂った森林地帯ですが、ところどころ大木が何本も倒れて、茶色の地肌が見えている光景もあります。

当初は、倒木が道路をふさいでいたり、かたむいて折れかかったりしていたものを、伐採したり片付けて、どうにか道が通じるようにした模様です(大汗)

台風の被害の大きさをここでも目の当りにしました……

不安な気持ちで進んでいきましたが、ようやく神社へ近づくと、車や人影が急に増えてほっとしました。

木立の向こうに見えていた御池を、いつのまにか眼下に臨む絶好のビューポイントに神社がありました。

御池を逆側から見るポジションです。

霧島山と御池を仰ぐのが、参道の入り口で、本殿まで上ると、御池と鹿児島方面の平野を見渡すことになります。

瓊瓊杵尊が霧島山頂に建てた「天の逆鉾(さかほこ)」

神社の掲示板には、天孫降臨した瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)が、霧島山の山頂に立てたという伝説の「天之逆鉾(あめのさかほこ)」のフォトつきの説明がありました。

東霧島神社は、霧島山を信仰対象として、第10代崇神天皇の時代に創建されたとされます。

社伝の創建はその時代としても、霧島山への信仰はさらに古く遡るのでしょう。

「天之逆鉾(あめのさかほこ)」の掲示板の要点をまとめます。

  • 高千穂峰の山頂にあり、霧島東神社の社宝(しゃほう)として祀られている
  • 伊邪那岐尊と伊邪那美尊が(ほこ)を差しおろし、かき混ぜて作った国土に逆さに突き立てたものと伝えられる
  • 天孫降臨の際、瓊瓊杵尊が天照大御神(あまてらすおおみかみ)から授かった鉾ともいう
  • 実際に祀られた時間は明確ではないが、霧島山の修験者たちが神話にならって祀ったとされる
  • 少なくとも江戸時代にはその存在は広く知られていた

 

皇室の宝物はなんといっても、三種の神器といわれる鏡・玉・剣です。

ですが古典を読むと「鉾(矛・戈、ほこ)」の重要性も認識されます。

三種の神器とされる宝物は、宮中や神宮の賢所(かしこどころ)に納めてめったに外へ持ち出すことはなかったでしょう。

 

一方で「鉾(ほこ)」は外へ身に着けて持ち出し、一般人の目にふれる機会も多く、そういう意味で権威の象徴にもなったのでしょう。

日本武尊(やまとたけるのみこと)は東征に際して、父の景行天皇から「柊(ひいらぎ)の八尋矛(やひろほこ)」を授かっています。

 

列島各地には、日本武尊が「鉾を立てた」という伝承地や、鉾立(ほこたて)山鉾衝(ほこつき)神社などの名称が残っています。

天皇家の先祖の人々は「鉾(ほこ)」への格別な思いがあったようにみられます。

それは古典の記述からもわかります。

 

東霧島神社

天孫降臨の時代に思いを馳せて

霧島山頂に神話の故事に因んで、天之逆鉾(あまのさかほこ)を立てたのは、伊奘諾尊(いざなきのみこと)、瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)、それとも修験者たちだったのでしょうか?

この地方を統治した証(あか)しとして、使者を派遣して、山頂にモニュメントを打ち立てたのかもしれませんね。

 

天孫降臨の神代に思いを馳せて東霧島神社の境内を登ります。

境内も倒木や傾いた巨樹などの台風被害の痕跡が痛々しく、ここから霧島山頂に向かう登山道は閉鎖されています。

しばし森閑とした神域で、自然の猛威に触れてたたずんでいると、地元の古老の方が「これほどひどい災害も珍しい」と声をかけてくださいました。

その自然災害の痕跡の光景を目の当たりにして、むしろ古代人の霧島山への信仰が蘇ってくるようでした……

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