川柳将軍塚古墳は四道将軍大彦命の墓【2】

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川柳将軍塚古墳は四道将軍大彦命の墓【1】のつづきです。

千曲川をはさんで信濃国”最古最大級”の前方後円墳

石川村誌を引用して、

川柳将軍塚古墳は大彦命の墳墓で、当社(布制神社)はその里宮である

という文章があったのです!

しかもこの石川布制山の布制神社の他にも、篠ノ井布制五明の布制神社、篠ノ井山布制の布制神社など、周辺の布制神社の広がりも記されていました!

 

あっ!と初めて気づかされました!ごめんなさい。

将軍を笑ってしまったけれど、この将軍塚古墳は、本当に将軍の古墳かもしれない、と(大汗)

 

川柳将軍塚古墳のある山と、千曲川をはさんで、対岸の山の支脈の先端には、全長100メートルの森将軍塚古墳があります。

写真右の千曲川をはさんで・・・

対岸の山の支脈の先端には・・・

全長100メートルの森将軍塚古墳

この二つの古墳は国の史跡に指定されています。

 

どちらの古墳も4世紀後半から5世紀はじめの前方後円墳で、長野県で最大どころか、東国の屈指の前期古墳です。

大和朝廷の草創期に、これほどの前方後円墳が築かれたのは、たいしたものです(大拍手)

 

『古事記』『日本書紀』では、「大彦命が北陸方面へ派遣された」こと、そして『古事記』では、「父子が会津で再会した」ことが書かれていますが、大彦命がその後、どこで亡くなって、どこに葬られたのかの記述はいっさいないのです。

にもかかわらず、この長野市の旧石川村の人々は、大和から派遣された皇族の威徳を偲んで、脈々と語り継ぎ、古墳を掃き清めてきたのでした(拝)

 

「このお墓を、大彦命の墓にしちゃおう!」など、90メートルもある山上の古墳を、大彦命の墓と、勝手に名乗れるものでしょうか。

後の時代になってからあてはめたなら、これほど深い信仰心が広がるものでもないと思います。

むしろ10メートル大きく、三角縁神獣鏡が出ている森将軍塚古墳の方を大彦命の墓としてもよかったのです。

ですが、そうした伝承はなく、こちらの方は「信濃の国造(くにのみやつこ)」のお墓とされます。

 

北陸道のヒスイの国「ぬなかわ」へ、将軍が派遣されて、武渟川別命(たけぬなかわわけのみこと)という「ぬなかわ」の名を持つ将軍が生まれているのです。

その時代になお強大な力を警戒して、諏訪の神さまへの配慮のようにもみられます。

上越方面から信濃へ入り、東国の前進基地を築き、この地で没して葬られた、という可能性は大です。

 

関連記事:四道将軍について詳しくはこちらもご覧ください。

敗戦後の古典軽視の歴史観から脱却を

敗戦後に、『古事記』『日本書紀』を否定する学派によって書かれた『長野県史』では、もちろん「大彦命」は、存在しないことになっています。

それで川柳将軍塚古墳が、大彦命の墓である、とは認められていません。

森将軍塚古墳ともども「地元の豪族の墓」で終わっています……(大泣)

 

一般的に各都道府県の古墳を理解するのに、その地域だけの古墳を見つめれば、「地元の豪族の古墳」とか、せいぜい「畿内の大和王権から認証された、地元出身の豪族の墓」と解釈されてしまいます(汗)

……ですが、『古事記』『日本書紀』『先代旧事紀』を読むと、畿内の大和朝廷は、日本列島の各地へ、皇族を派遣して統治したことが書かれているのです。

 

その日本の文献にもとづいて、各地の古墳が「朝廷から派遣された皇族とその子孫の墓」と解釈しても、仮説として十分に成立するとみられるものばかりです。

 

こちらはモノだけ見て想像をめぐらしたり、中国の『魏志倭人伝』の人やモノによってのみ考察しているのでなく、むしろ「日本人が書いた文献」と「考古学」に基づいて考察しているのですから。

 

敗戦という未曽有の混乱がもたらした、天皇制をおとしめる自虐的な古典解釈からは、そろそろ脱却していただきたいものだと、つくづく思います(大汗)

 

義父は、高校の理科の先生でしたが、郷土史がたいそう好きで、たくさんの本を蔵書していたのです。

それらを読むほどに、ますます川柳将軍塚古墳は大彦命の墓であるようにみられました。

さらに北陸地方の神社を調べてみると、福井県~石川県~富山県~新潟県と、大彦命ゆかりの神社も次々と見つかったのです。

つづく

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