「最古の信州ブランド黒曜石」の講演会に参加して

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こんにちは!yurinです。

この秋は、長野県に滞在して、長野県立博物館の「最古の信州ブランド黒曜石」の講演会、シンポジウム、バスツアーに参加してきました。

長年の夢がかなって訪れた、感動の現場でした!

このブログでは講演会、シンポジウムについて紹介していきますね。

 

縄文人の黒曜石採掘現場では、縄文人が削り残した黒曜石の破片が、足元にちらばっています。

夜空から降ってくる、キラめく星くずのように、黒曜石が神秘的に輝いていました。

写真は長野県の市立岡谷美術考古館の黒曜石↓

採掘からヨーロッパの石器文化を知る

長野県立博物館では、2018年の考古学講座で、

「最古の信州ブランド 黒曜石 先史社会の石材獲得と流通」

をテーマに、黒曜石の歴史シリーズを行っています。

10月21日には、イングリッシュ・ヘリテイジのピーター・トッピング博士による「先史時代における採掘活動の社会的背景」の講演と、「地球資源の開発と社会」のシンポジウムがありました。

後半のシンポジウムでは、

  • セインズベリー日本藝術研究所長サイモン・ケイナー氏
  • 首都大学名誉教授の小野昭和氏
  • 明治大学教授の矢島國雄氏
  • 浅間縄文ミュージアム館長の堤隆氏
  • 下諏訪町博物館長の宮坂清氏

など、日本の研究者5名を加えてのパネルディスカッションです。

 

トッピング博士の講演のひと段落ごとに、通訳が入りましたし、大画面の画像にそっての内容でしたので、意外!にわかりやすく興味深い内容でした。

ヨーロッパではガラス質のフリントを石器石材とする石器文化が発展したそうです。

フリントは、白亜層に含まれた非常に硬質な岩石の一種で、硬いうえに加工しやすいので英国の新石器時代には打製石器や磨製石器として使われました。

 

フリントの採掘遺跡は英国~北アイルランドに16か所存在し、いずれも川の流れる谷や海に近いなだらかな丘陵地にあります。

その中でもグライムズ・グレイブズ(Grimes Graves)では、特別に良質なフリントだけが採掘されたようです。

日常に使われる石器石材としてのフリントは表層部(露天掘り)や深さ5m未満のピットで採掘されます。

 

グライムズ・グレイブズでは直径6.4m~13.4m、深さ最大12mの竪穴を掘り底部に放射状の採掘抗(ギャラリー)を掘って特別のフリントの採掘が行われました。

特定の場所での採掘という文化的要因が重視されたようです。

この土地ならでの付加価値のある採掘活動です。

 

講演会・シンポジウムを終えて、”黒曜石展”の掲示の前で、トッピング博士は質疑応答に答えてくださいました。

こんな機会はめったにないので、資料にヒスイの石斧のフォトがあったので、「これはどこのものですか?」とお伺いすると、

「北イタリアから運ばれたものです」

とのこと。やはり海外の石器も、大きく移動しています。

一人一人の質問に、とても熱心に丁寧にお答えくださり感激でした(もちろん通訳ありです^^)

諏訪の歴史は黒曜石にさかのぼる

上諏訪の諏訪湖畔を見下ろす高台に諏訪大社摂社の足長・手長神社があります。

その神職をお務めになる、宮坂宮司のお話しによると、

「この神社の周辺には、旧石器の遺跡・遺物がゴロゴロしているんですよ」

とのこと。

宮坂宮司は、同じく諏訪大社の摂社で、御神渡(おみわた)りで名高い八剣神社の神職もしていらっしゃいます。

 

「諏訪がわかれば日本の歴史がわかる」との言葉通り、いよいよ古代史の謎とロマンを求めて、諏訪の黒曜石にまで、入り込んでいきたくなるのでした。

『八ヶ岳3万年』~……すばらしくロマンある響きですね。

 

今夏の上野の東京国立博物館で開催された『縄文展』には、35万人が来場したそうです。

ふつう、考古学の展示では少ない、女性や家族連れの来館者も目立ちました。

日本の歴史を広くトータルに見渡そうとする傾向も、頼もしいですね。

「見ていて、自然に心惹かれるものがある」というシンプルなモチベーションが大きいのではないでしょうか?

 

長野県長和(ながわ)町は、黒曜石産出地で遺跡のある和田峠のある和田村と、八ヶ岳の霊峰の蓼科山を仰ぐ長門(ながと)町の頭文字を取って命名されました。

長和町門町・田村

蓼科山

イギリス・ノーリッジ市にある「セインズベリー日本藝術研究所」と、長和町鷹山(たかやま)の「黒曜石体験ミュージアム」の学術連携協定が結ばれたそうです。

フランスやイギリスでも縄文の土偶の展覧会が開催されるようになり、日本の黒曜石文化に、海外からの関心を持たれるようになっているのです。

 

夫の実家のある長野県を往復し、歴史の勉強をすることが増えた最近です。

実家のすぐ近くに県立博物館があり、考古学の講座、日本各地の地誌が充実した図書コーナーなどあって有難い限りです。

トータルに整合性ある古代を考える

現在は「専門性」が重視されるのは良いのですが、「全体像」が霧に包まれたような状況になってしまいがちに思います。

病院に通院したりすると、そうした事実に直面しませんか?

邪馬台国を知りたくて、果たして、纒向遺跡だけ、特定古墳の鏡だけみて、日本の古代が見えてくるのでしょうか。

 

日本の古代を知りたくて、邪馬台国だけ、特定地域だけに専門的に入っていても、全体像は霧に包まれたようです。

そして相当後の大化の時代頃になって、それぞれの土地の豪族たちが、突如、大和朝廷に従ったかのような見解もしばしばみかけます。

 

日本という国の形は、そのように大化時代の頃に一丁一石にまとまったのでなく、各地域の拠点集落の交流の歴史は相当に古いものがあったと思われるのです。

縄文時代、ひいては旧石器時代にまでさかのぼって、日本の各地の拠点集落を見渡して、交流や社会背景を考察するべきだと考えます。

 

『縄文展』に出展された遺物の出土地を見ると、あれ?景行天皇や日本武尊が訪れた伝承地に重なっている!、としばしば感動してしまいました!

 

特に、邪馬台国を知るために黒曜石の講座やツアーに参加しているのでなく、単に興味があるので参加しているのですが、そこで得られた発想は、思いがけない時に、効果をあらわす場合がある、とは、歴史と自然の旅を続けていて思うことです。

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