こんにちは!yurinです。
令和元年10月の古代史日和は、古代史学者の安本美典先生による特別講演でした。
タイトルは、『日本書紀』神武天皇東征伝承6つの謎。
このブログでは
のつづきで、第4の謎の「神武天皇の実在」についてお伝えしていきますね。
- 第1の謎:暦の逆転現象
- 第2の謎:古代の天皇お年(寿命・享年)はなぜ長いのか
- 第3の謎:神武天皇はなぜ西暦紀元前660年に即位したことに定められたのか
- 第4の謎:神武天皇は実在したのか
- 第5の謎:神武天皇は実在したとすればいつごろの人か
- 第6の謎:神武天皇はなぜ東征したのか
神武天皇は実在は皇后からもわかる
これについては「両系相続」(女性の中つぎによる支配権の継承、貴種への貴族パターン)を指摘しておられます。
古代においては、天皇の皇后(次の天皇の母)は、『日本書紀』編纂時代に皇族女性であったのとは異なっています。
『日本書紀』編纂時代の有力氏族でない、大国主命や物部氏の女性が目立っています。
★→大国主命系、物部氏系、(尾張氏系)がこんなにたくさん
特別講演の資料より
□→皇族
これは遠征してその土地の支配者になった皇族は、その土地の女性と結婚し、生まれた子どもが、その土地の支配権を継承するというパターンです。
見方によっては母系社会を考慮した両系相続といえます。
大正から昭和の女性史研究家の高群逸枝が『母系制の研究』の中で多くの事例をあげて論じています。
高群氏によれば、一対の夫婦のあいだに生まれた子どもは、父方と母方の一員である資格を持つというものです。
この考え方によれば、ある人物や氏族の先祖は、遡ると特定男性に到るのでなく、父系と母系の複数の祖先に拡散していくというものです。
それについては『新撰姓氏録』(815年、古代氏族の出自事典)を見ても理解できます。
たとえば、
秦忌寸(はたのいみき)は、神饒速日命(かむにぎはやひのみこと)の後裔である
と。
しかし伝承では一般的に、秦忌寸は秦の始皇帝の子孫で、本来、渡来系氏族です。
その渡来系氏族が、饒速日命(にぎはやひのみこと)の子孫ともされます。
それは饒速日尊の子孫の男性が、秦忌寸出身の女性と結ばれ(当時は通い婚)その子がその女性のもとで育てられ、秦忌寸の土地、人民の支配権を受け継いだとみられるのです。
そのような類例の両系相続の意識があったとすれば、説明がつく事例が多いのです。
『新撰姓氏録』に氏族の先祖とされる神や人物が複数のでてくるのは、父系母系を考慮してさかのぼったものと考えられるのです。
『日本書紀』の古代の天皇の皇妃が、皇族の皇妃が続く『日本書紀』編纂の時代と異なって、大国主命や物部氏とされるのは古い伝承にもとづいてのものと見られます。
大国主命
初期天皇の時代の「宮」の場所を取り上げても、「葛城」「磯城」「纒向」など、明日香地方や平城京に宮が置かれた『日本書紀』編纂時代と大きく異なっています。
古代の真実を伝えたものとみるべきで、神武天皇は実在したと考えていいでしょう。
つづく