出雲のスサノオ尊(のみこと)を祭る神社と草薙の剣の勉強会

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2月25日の古代史日和勉強会は、えみこ先生の「出雲ゆかりの神様~スサノオ尊(みこと)」でした。

大国主神の出雲王国!?の土台を築いたスサノオ尊(のみこと)。

そしてスサノオといえば、何といってもヤマタノオロチの退治と、天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)。

三種の神器の一つ、その神の剣の由緒を考えました。

古典~神社~考古学をともに

『古事記』『日本書紀』『先代旧事本紀』……と古典を読むほどに、そしてフィールドワークを重ねるほどに「神社」の重要性に気づきます。

古典の始まりに記された神々の世界ですが、『古事記』『日本書紀』を勉強し始めた頃は、神話や神々よりも、早く神武天皇やヤマトタケルを知りたい、と思ったものです!

 

ところがそれとは逆に、古典を読むほどに、神々への関心は深まるのでした。

「神話を知らないと、日本の歴史がわからなくなる」

とは、古代史学者の田中卓先生のお言葉です。

まさしくその通り、神話や神々を知るほどに、古代史ばかりか、日本の歴史が面白くなる思いです!

古代において、人の動くところに神あり!なのでした。

 

……ですが、あちこちの講演会や講座に足を運んでも、なかなか古典・神社・考古学を兼ね備えた内容のお話しを聞く機会はできませんでした(汗)

古代史オーソリティは、古典は古典、神社は神社、考古学は考古学と、それぞれ「専門以外のことは深入りしない」というスタンスのようです(大汗)

ですから古墳の上に神社が祭られていても、遺跡に隣接して神社があっても、考古学の先生が、それにふれることはいっさいなしです(泣)

 

また一方で、『古事記』などの講座にいくと「文学性」が強調されて、歴史的側面は言及しない古典解釈の講座が一般的です。

さらに神社は「心の問題」として片づけられることもしばしばです。神社専門の宗教学の先生のお話しは、神社の歴史よりも宗教性に入っていかれるようです。

やはり日本人であれば「三種の神器とは何か?」「スサノオ尊とヤマタノオロチとは何か?」こそ知りたいと思いませんか?

そして古典に書いてあることに関係してどんな神社や遺跡があるのか?知りたいですよね。

高天の原のスサノオ尊(みこと)と宇気比(うけひ)

えみこ先生は、その期待にズバリ応えて、わかりやすく神社と古典をお話ししてくださいました。

こういうお話しは、スッキリしますね(大拍手)

はるばる出雲の神社や遺跡に足を運ばれて、現地の情報も豊富なので、もっと知りたい、との思いに引き込まれます。

以下は、えみこ先生のお話しと資料からです。

……

スサノオ尊は『古事記』では「建速須佐之男命(たけはやすさのおのみこと)」、『日本書紀』で「素戔嗚尊(すさのおおのみこと)」などと表記されます。

同一の神さまですが、書物によって表記が違います。

そして神さまは1人、2人でなく、ひとはしら、ふたはしら、と「柱(はしら)」で数えます。

 

伊奘諾尊(いざなきのみこと)は、黄泉(よみ)の国での困難から逃れて、その穢れを清めるために禊(みそぎ)をします。

そしてお生まれになったのが、特に3人の尊いお子様で「三貴子(さんきし)」です。

天照大神(あまてらすおおみかみ)、月読尊(つくよみのみこと)、そしてスサノオ尊。

 

伊奘諾尊は「海原を治めよ」と命じるのですが、「亡き母のいる根之堅洲国(ねのかたすくに)に行きたい」と泣きわめき周囲をてこずらせ、ついに怒った父に追放されてしまいます。

高天の原の姉に会いに行くと、戦いのために攻め寄せたものと疑われますが、姉と弟は占いの「宇気比(うけひ)」をして、玉と剣をやりとりします。

 

するとそこから五男三女が生まれました。

三女は宗像三女神で、男子からは皇室の先祖となる天忍穂耳尊(あめのおしほみみのみこと)が生まれます。

出雲大社をお祭りする出雲の国造(くにのみやつこ)の先祖も、そのお一柱で天穂日命(あめのほひのみこと)といいます。

 

「うけい(誓約)」は現在の「おみくじ」の始まり、という説明がわかりやすかったです。

「必ずかくあるべし」と心に期して、吉か凶か、白か黒かを占う行為の神事でした。

『日本書紀』には、7世紀に有間皇子(ありまのみこ)が紙に書いて占いをする様子があります。

鎌倉時代になると、庶民の間でも紙に書いての占いがあったそうです。

スサノオ尊と天照大神お二柱を祭る日御碕(ひのみさき)神社

天照大神とスサノオ尊は、イザナキの禊(みそぎ)お生まれになしました。

その二柱の神さまがご一緒に祭られているのが、出雲市の日御碕(ひのみさき)神社です。

天照大神を祭るお宮

スサノオを祭るお宮

松江半島の西端、出雲大社のさらに奥にあります。

実は姉と弟でありながら、ご一緒に祭られている神社はとても珍しいのです。

 

出雲の外れですが、見方によっては、筑紫の方を向いている立地の神社です。

スサノオ尊が「わが魂はこの柏の葉が止まる場にすもう」と、柏の葉を投げたところ、日御碕神社の裏手の隠れ丘に落ちたそうです。

神社のご神紋の「三つ柏」の由来です。

 

スサオノオ尊が祭られる神の宮は、丘の上にあります。

天照大神が祭られる宮は、丘の下にありますが、以前はこの神社の境内の近くの経島(ふみしま)に祭られていました。

出雲に珍しい朱塗り神殿が鮮やかです。

江戸時代の三代将軍家光が、松江藩主に造営させたものです。

 

日御碕(ひのみさき)神社の御神砂守(おんかみすなまもり)は、境内の砂が詰まっています。

スサノオ尊のパワーが込められたものとして、重宝されています。

「いつまでもお持ちください」とのことで、普通のお守りのように1年で戻す必要はないそうです!

「お返ししたい時は?」「いえいえ、いつまでもお持ちちください」と。

ヤマタのオロチと天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)

高天の原を追放されたスサノオ尊ですが、むしろ出雲の国では、民衆を苦しめる、ヤマタノのオロチという怪物!を退治する英雄になっています。

スサノオ尊が、酒に酔ったヤマタノオロチを斬ると、その尾から一振(ひとふり)の太刀が出てきました。

天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)です。

その後、日本武尊の東征の時、草を薙(な)いで火難を払ったことから、「草薙の剣」と名を変えて、三種の神器の一つになったのでした。

 

この剣を高天の原に運んだのが、天葺根命(あめのふきねのみこと)とされます。

日御碕(ひのみさき)神社の宮司家の先祖です。

日御碕(ひのみさき)神社はスサノオ尊の御魂(みたま)が鎮まる地です。

 

さらにスサノオ尊と奇稲田姫の新居となった須我神社は、日本で初めての和歌が読まれた地として有名です。

「八雲立つ 出雲八重垣 妻籠(こ)めに 八重垣作る その八重垣を」

(雲が何重にも立ち上って湧き出るという名の出雲の国に、八重垣をめぐらすように雲が立ち上る。妻を籠らすために何十もの垣を作ったけれど、まるでその八重垣のようだなあ)

ここでえみこ先生のお話しから、初めてこの歌の解釈に納得したことがありました!

それまで八重垣を作るのは、大切な新妻を深窓に住まわせるため、と解釈していました。

八重垣神社には、ヤマタノオロチの難を避けて、櫛稲田姫を隠した「佐久佐女の森」があるそうです。

 

厳重に八重垣を作ったのも、妻を守るためだった、とすると、とてもストレートにこの歌が心に入ってきました。

そしてあらためて調べてみると、その故事に因む「身隠(みかくし)神事」もあるようです。

 

他にもスサノオ尊を祭る神社として、自分の名前を込めて、御魂を鎮めた須佐神社があります。

スサノオ尊あるいは奇稲田姫の父母の子孫が、神職として続くとされる神社です。

日本の歴史の連綿性を感じさせる神社です。

神社は、お祭りする神職を知ることにも、歴史の手がかりがあるようです。

 

この神社の奥宮のご神木は、ある有名人が「最高のパワースポット」として賛辞を送ったところ、ご神木から霊気をいただこうとする参拝客が次々と訪れたそうです。

それで神社の方でも、ご神木を守るために根を踏まれないように垣根まで設置されとか(大汗)

パワースポットブームがもたらすさまざまな逸話は、あちこちの神社にあるようで、それを目の当たりにした、えみこ先生ならではの体験談が興味深かったです。

スサノオの御魂(みたま)がこもる熊野大社

出雲大社とともに出雲国の一宮を誇るのが松江市の熊野大社(八雲町熊野)です。

「鐕火(きりび)祭」の「亀太夫神事」はユニークでした!

出雲大社から出雲国造家以下の数人の神職が、火鐕臼(ひきりうす)・火鐕杵(ひきりきね)の道具を、受け取るために参向します。

そのときに1メートルもあるほどのお餅を持参するのですが……

この時に熊野の大社の側では、神職の亀太夫が、奉納するお餅のできばえについて、さまざまに苦情や難癖を言い立てるというものです。

そしてようやく鐕火(きりび)の道具を渡されるそうです(苦笑)

 

熊野大社では、スサノオ尊の長~い正式名称があります。

伊邪那伎真名子 加夫呂伎熊野大神 櫛御気野命
(いざなぎのまなこ かぶろぎくまののおおかみ くしみけぬのみこと)

というものです(大汗)

とにもかくにも、父のイザナキノミコトが、とても可愛がっていたお子様であることが知れるお名前のようです。

微笑ましいですね。

 

ですが、高天の原では乱暴者とされるスサノオ尊でした。

スサノオの母に先立たれて、子育てにてこずるうちに、父のイザナキも手に負えないほど、我が子はたくましく成長した、ということでしょうか(微笑)?

 

熊野大社門前を流れる意宇川の橋で

(Kaori)

剣は巡る~草薙剣ものがたり~

さて草薙の剣を出したヤマタノオロチですが、出雲では、一般的に治水の困難な斐伊川の様子を現したもの、と考えられているそうです。

また斐伊川の流域は、上質の砂鉄の産地であることから、鉄をめぐる争いを伝えたもの、との説もあるそうです。

さらにそのヤマタノオロチは「こし(古志)のヤマタノオロチ」とあることから、「古志=越なのでは?」というお話しもありました。

 

「三種の神器」は、八咫(やた)の鏡、八尺瓊(やさかに)の勾玉(まがたま)、草薙の剣です。

天皇の位を象徴するもので、これを持つことで、天皇に即位し認知される神宝です。

 

この剣は次々と持ち主が交代しました。

ヤマタノオロチ → スサノオ尊 → 天照大神 → ニニギノミコト(天照大神の孫) → 宮中 → 伊勢神宮の倭姫命(やまとひめのみこと) → 日本武尊 → 宮簀媛(みやずひめ) → 熱田神宮

このように、三種の神器の由緒の一つは、出雲から始まります。

スサノオの子孫がお祭りする数々の由緒ある神社のある出雲の国。

まさしく神々がお住まいになる国です。

 

……

以上、えみこ先生のお話しから、出雲のスサノオ尊についてかいつまんで書いてみました。

 

「とてもわかりやすかった」との感想がすぐにあがりました。

古典や神社について、宗教性やイデオロギーを付加せずに解釈して、現地情報にもとづいてお話ししてくださるので説得力がありました。

神道祭祀の奥深さにふれ、古典に書いてあることの一語に思いをはせ、出雲は神々がいらっしゃる国、との思いをますます深くします。

三種の神器の由緒も少しずつ鮮明になってきて、5月13日のえみこ先生の「古代出雲王国」のお話しが楽しみです。

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