こんにちは!yurinです。
信濃の国の「川中島」には、日本の歴史を考えさせる、寺社や史跡が次々とありました。
古典ゆかりの「さらしなの里」です。
日本海と東国を往来する要衝地だったこと、さらに出雲と越の系譜をひく諏訪の神さまの強大な勢力を封じるためにも、大和朝廷は有力な皇族を派遣したのでした。
その一人が信濃の国造(くにのみやつこ)の先祖、神八井耳命(かむやいみみのみこと)の一族です。
天皇制を確固たるものした『古事記』太安万侶の先祖
神八井耳命(かむやいみみのみこと)は、神武天皇の皇子です。
『先代旧事本紀』では、
瑞籬(みずがき)の朝(みかど)の御代(みよ)に、神八井耳命(かむやいみみのみこと)の孫の建五百建命(たけいおたつのみこと)を国造に定めた。
とあります。
磯城瑞籬(しきのみずがき)の宮は、第10代崇神天皇が宮殿としていました。
神八井耳命の一族は、四道将軍の大彦命に従軍していたとみられます。
信濃の国造(しなののくにのみやつこ)は、川柳将軍塚古墳の対岸にある、森将軍塚古墳の被葬者とされます。
そして、長野市篠ノ井塩崎の長谷神社は、信濃の国造の先祖の神八井耳命をお祭りしています。
長谷神社
神仏習合時代を経て、長谷観音となっています。
長谷観音
大和・鎌倉の長谷寺と並んで、日本三所長谷観音といわれる長谷寺です。
創建年代は天智天皇の父君の舒明天皇(在位629~641年)の時代とされ、日本で一番古い長谷寺ともいわれます。
川柳将軍塚から谷を隔てて、川中島を見下ろす山の中腹に築かれた聖域で、境内は神武天皇の皇子を祭る社としての品格を感じさせます。
神八井耳命(かむやいみみのみこと)の後裔氏族は、九州から東北地方まで、全国に広がって痕跡を残しています。
神武天皇が創始した「天皇制」を支えて、確固たるものにしました。
『古事記』を編纂した太安万侶は、その神八井耳命(かむやいみみのみこと)の子孫です。
古代史学者の安本先生は
「『古事記』は天皇家の家記」
とおっしゃっています。
母方に出雲の大国主命と越の沼河姫の系譜
神武天皇の皇子、神八井耳命(かむやいみみのみこと)は、第2代綏靖(すいぜい)天皇の兄です。
『古事記』では「皇位を弟に譲り忌人(いわいびと)になった」とあります。
忌人は斎い人の意味で、祭祀を司る神職です。
日本列島の東西の最古のパワースポットというべき阿蘇神社と諏訪大社。
その地の神職となって、祭祀を取り仕切ってきたのが、神八井耳命の子孫です。
諏訪大社は上社と下社があります。
上社の大祝(おおほうり)は建御名方命(たけみなかたのみこと)の神孫とされていますが、下社の大祝は、信濃の国造の子孫とされてきました。
神武天皇には、南九州の隼人の一族の吾平津姫(あひらつひめ)が生んだ、手研耳命(たぎしみみのみこと)という長子がいます。
手研耳命は、父の神武天皇の東征に従軍して皇軍を支えてきました。
さらに神武天皇は、畿内大和への東征が成就すると、新たに妻を迎えました。
『日本書紀』では、出雲の事代主命(ことしろぬしのみこと)の娘、媛踏鞴五十鈴媛(ひめたたらいすずひめのみこと)とあります。
『古事記』では、美和(みわ)の大物主(おおものぬし)の神の娘、比売多多良伊須気余理比売(ひめたたらいすけよりひめ)です。
いずれにせよ、先住して開拓統治したとみられる出雲系の女性です。
その三輪山を奉じる、出雲の大国主命の系譜をひく女性を妻に迎えて、正式な皇后としたのです。
三輪山
そして生まれた御子が、神八井耳命(かむやいみみのみこと)と、神渟名川耳尊(かむぬなかわみみのみこと)でした。
出雲の大国主命と、越(こし)の沼河姫(奴奈川姫)が結ばれていたので、越の沼河家からみれば、「沼河の系譜の御子」でもあったので、神武天皇の皇子の名にも、取り入れられたのでしょう。
それほど「ぬなかわ」は、当時の人々から尊崇される名称だったとみられます。
こうして大和で生まれた神武天皇の皇子たちでしたが、偉大な創始者の神武天皇が亡くなると、やはり後継者の争いが生じたのです。
長子の手研耳命(たぎしみみのみこと)は、出雲~越~大和を受け継ぐ「皇子たちの血筋」を恐れたものか、二人を葬り去ろうとしたのです。
大和朝廷の皇族たちは、遠征先の豪族の娘を妻として、生まれた子供たちが、統治権を得る、という方法で、拡張し安定政権を築いていきます。
手研耳命(たぎしみみのみこと)が脅威に感じたのももっともです。
しかし、その動きを察知したのが、神八井耳命と神渟名川耳尊の母の、比売多多良伊須気余理比売(ひめたたらいすけよりひめ)でした。
『古事記』では、手芸志耳命(手研耳命)の妻になっていたことを記します。
継母(ままはは)を妻にするという、儒教道徳が流入してからでは、考えられない不倫関係です。
しかし『古事記』を編纂した太安万侶(おおのやすまろ)が、先祖の伝承をそのまま記しているところに、真実味を感じます。
つづく