こんにちは、yurinです。
古代にちなむお土産やお菓子っていろいろありますよね。
稲荷山鉄剣の鉛筆や洋菓子、万葉集にちなんだ和菓子、銅鏡に見立てたお煎餅、勾玉クッキーなどなど。
そして、それはお菓子だけではなく・・・
目次
大彦命(おおびこのみこと)が越(こし)の銘酒に
新潟県の日本画家の先生からお酒をいただきました。
新潟はお米どころ~お酒どころ~
あづま人の私には得難い希少な美酒です!
おおっ!箱を開けてびっくり!
なんと!銘柄は四道将軍の「大彦命(おおびこのみこと)」でした!

日本酒 大彦命
お酒の由緒書に『日本書紀』『古事記』まで引用されています(号泣)
あなたは大彦命(おおびこのみこと)は、知っているでしょうか?
「もちろん!」or「エッ、誰それ?」
……どちらでしょうか?
もちろん教科書にはでてきません(泣)
第30代くらいまで、「天皇」さえ書かれていないのですから……
大彦命は第8代孝元(こうげん)天皇の皇子です。
日本武尊(やまとたけるのみこと)より、古い時代に登場する重要人物なんです!
『日本書紀』によれば、第10代崇神(すじん)天皇の時代に派遣された、四道(しどう)将軍の一人です。
四道将軍とは、
北陸道に派遣された大彦命(おおびこのみこと)
東海に派遣された武渟川別命(たけぬなかわわけのみこと)
吉備に派遣された吉備津彦命(きびつひこのみこと)
丹波に派遣された丹波道主命(たんばのみちぬしのみこと)
の4人の将軍です。
朝廷は、北陸道・東海道・山陽道・山陰道のそれぞれに有力な皇族を派遣して、その地を治めさせたのです。
このうち、大彦命と武渟別(たけぬなかわわけ)は親子です。
つまり、親子で東日本の要衝地を統治したようなものなのです!
……
「それじゃあ、どうしてそのあとヤマトタケルが遠征したの?」と、疑問に思う人もいますよね。
つまり、大和朝廷は1回の遠征によって地方の統治を完了して、その後長く平和に各地域を治めた、のではなく、何度かの遠征を繰り返すことで、日本列島を支配統治した、と、『古事記』『日本書紀』に書いてありますが、そのとおりだと思います。
何度かの皇族の遠征によって支配統治を果たす
『日本書紀』によれば、第12代景行天皇の時代、
熊襲(くまそ=西方の九州地方で反旗をひるがえす人々)が背いて、
朝貢(みつぎもの)を奉らなかった
と、書かれています。
熊襲が背いて朝貢しなかったので、景行天皇がみずから遠征にでることになったのです!
この時代の天皇は、平安時代に和歌をお詠みになっている雅(みやび)な貴族のイメージとは違っています。
勇敢な武将としてのイメージもあるのです。
一度は、定期的に税金を納めるという約束を交わしても、時がたつと無効にしてしまう、地方豪族に対して、景行天皇は断固として、自ら出陣したのです!
さすが日本のアレクサンダーともいうべき偉人です。
「国家」というのは「租税制度」を確立することによって成立する、という考えがあります。
大和朝廷の租税システムに組み入れるために、何度かの遠征をして、話し合い、あるいは力づくで、統治機構にくみいれたのでしょう。
日本武尊の東征も、武渟別(たけぬなかわわけ)という先人がいたからこそ、時間も労力も短縮されて、大和へあと一歩のところまで凱旋できたのだと思います。
それより早く遠征に旅立った、四人の将軍たちは、地方で一生を終えた伝承や、お墓があるのです。
大和は 国のまほろば たたなづく青垣 山ごもれる 大和しうるわし
(大和は国の中心のすばらしいところだなあ。たたみかけるように重なる青山に囲まれて、大和は忘れ難く美しい)
景行天皇も日本武尊も、遠征先で歌ったとあります。
大和から派遣された人々によって、歌い継がれた歌なのでしょう(泣)
それぞれの遠征先で、その土地を開拓統治して、立派につとめを果たし、地元の人々に慕われて、その土地の守護神として祭られる偉人たち……
大和朝廷の始まりの頃の皇族たちの神社や伝承は、各地に残っています(涙)。
このようにして日本という国は一つになっていったのですね。
越の銘酒に思いをたくして
お酒の由緒書きに感動しました!

日本酒 大彦命 由緒書き
その一部です。
越国(現在の福井県から新潟県)は、大彦命が最初に上陸した地域
越国の人々の協力を得ることになり、安心して更に北の東北地方を治めるために移動したと推測されます。
(略)
人心を味方にしたと推測される大彦命、現在も大彦命を祭る神社を巡ると、
その様子を推測の域で垣間見ることができます。古来、『蝦夷の地に進出してきた畿内大和王権のもとでのたくましい開発事業の神』であり
『北方開拓の神』であるとする説も生んできています。(太字:古代史日和)
遠征した大彦命に越国の人々が心から従ったのは
『より良い国にする』という、とてもわかり易い理念があったからだと推測されます。
参考文献として『日本書紀』『古事記』の崇神天皇・孝元天皇の段をあげています。
その大彦命の精神を継承して、お酒づくりに邁進したい、というお酒作りに打ち込む、新潟県の熟練職人の方の真面目な一途な思いが、心に響きます。
越(こし)の地域は、ヒスイの玉作り・巨木文化、縄文火焔(かえん)土器・漆塗り・越後上布など、熟練のものづくり文化を生み出してきました。
「雪国」の人の忍耐や修練や創意工夫の賜物なのでしょう。
大彦命の娘が産んだ垂仁天皇のご子孫は、継体天皇の母方の血筋につながっていきます。
大彦命の威光は、継体天皇擁立のバックボーンになっていったとみられるのです。
お酒をお送りくださった日本画家の先生の思い、お酒作りに託す方の思い、そしてはるか古代に、大和からはるばる越(こし)の地へ遠征して、見事におのれの務めを果たした大彦命の思いまで、心によぎって目頭が熱くなったのです。