ヤマトタケル東北遠征の成果 1000年以上の由緒ある地名

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こんにちは、yurinです。

由緒ある地名から、ヤマトタケルの活躍を知ることができます。

行宮(かりみや)を置いた白石川流域

宮城県の仙台湾に注ぐ阿武隈川は、関東と東北地方の境界の八溝山から流れます。

阿武隈川

そして海に注ぐ直前に、西方から合流するのが、みちのくの霊峰の蔵王連峰から流れる白石川です。

その白石川の流域に、日本武尊は、行宮(かりみや)を置きました。

柴田郡大河原町の大高山神社の地とされます。

日本武尊は、海路で塩釜湾を見下ろす丘陵の七ヶ浜町に上陸し、周囲を平定すると、さらに内陸へ向かって進軍したようです。

 

江戸時代に仙台伊達藩の支城として白石城が置かれました。

伊達政宗の重臣の片倉景綱(小十郎)を城主として統治させたことからも、白石地域の重要性がわかります。

阿武隈川に合流する白石川流域は、白河の関に続いて、みちのくの要衝地であったといえます。

 

白石川の右岸、阿武隈川との合流点の下流域は、旧伊具郡です。

今の角田市と現在の伊具郡丸森町を合わせた地域です。

1000年以上の由緒をもつ地名「柴田・刈田・伊具」

伊具(いぐ)の地名は、『先代旧事本紀』「国造本紀」に「伊久の国造」が出てきます。

伊久の国造

志賀高穴穂(しがたかあなほ)の朝(みかど)の御世に(みよ)に、阿岐(あき)の国造(くにのみやつこ)の十世(とつぎ)の孫、豊嶋命(としまのみこと)を国造に定め賜(たま)う。

(第13代成務天皇の時代に、安芸(あき=広島県)の国造(くにのみやつこ)の十世の子孫の、豊嶋命(としまのみこと)を、国造にお定めになられた)

第12代景行天皇の後を継いで、日本武尊(やまとたけるのみこと)の異母弟の成務天皇の時代に、東北地方に「伊久(伊具)の国造」が置かれたのです。

日本武尊の遠征の成果によるもの、と考えるのが自然でしょう。

 

伊具郡丸森町には、その伊久(いぐ)の国造一族の墓とみられる「台町古墳群」があります。

伊具の国造の統治の及ぶところは、いろいろ議論がされるでしょうが、白石川の左岸、伊具郡の北が柴田郡です。

『続日本紀』では養老5年10月、

陸奥国に命じて、柴田郡の二郷を分割して苅田(かりた)郡を設置した

とあります。

柴田・刈田・伊具など、今も市町村名になっている地名は、1000年以上の由緒をもつ地名であることがわかります。

中でも「いぐ(伊久・伊具)」は、第13代成務天皇時代にさまのぼる地名とみられます。

 

「刈田」にちなむ神社の記事はこちらから

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