天皇制を確固たるものにした神武天皇の皇子 神八井耳命【3】のつづきです。
目次
神武天皇、神八井耳命の実在として『古事記』『日本書紀』の解釈を
神八井耳命のご子孫の大平さんは、
「『古事記』『日本書紀』の神武天皇や初期天皇の時代の皇族を実在として、これほどきちんと考証して、解釈するのは、安本先生しかおられない」
と、おっしゃっています。
大平さんも、大変な心理的葛藤を抱えて生きてこられたのだと拝察しました。
第二次大戦の敗戦後の『古事記』『日本書紀』を軽視する歴史認識の中で、大きな精神的被害を被った、神八井耳命のご子孫なのです(大泣)
神武天皇や日本武尊ほどの地名度がないものの、天皇家の裏に回って、天皇制を支えてきた一族ですのに……
畝傍山の麓の神武天皇陵
最近は『古事記』『日本書紀』の天皇だけとか、自分の都合のいい人物だけをとりあげて、いかにも古典を理解しているかのように、古代史を論じている本もあまたあります。
……ですが、神八井耳命の一族をどのようにとらえているかで、その人の古典の理解度も、浅薄さも知れてくるようです。
そのあたりをポイントにして、種々雑多な古代史本を整理してみるのも、有効ではないかと思います(微笑)
「安本先生に巡り合って、幸せでした」と、大平さんは、常々おっしゃっています(大拍手)。
大平さんは、先祖の伝承をもとに、『古代史読本~記紀の真実を求めて~』『日本古代通史~古事記・日本書紀を読み解く』『島田家のルーツ』を執筆されました。
「安本先生の講座を全部知らなくて、書いてしまった部分もあるので、日々、勉強して更新しています」と。
「どんな講座でも本でも勉強にならないものはない」とも。
大平さんは、法律をご専門に勉強されたこともあって、ご自身と反対の学説の先生の本を読破し、神武天皇や神八井耳命の実在を否定する講座や講演会にも、積極的に通われています。
精力的に古代史と向き合っておられるその姿勢には、頭が下がり感服するばかりです(拝)。
複雑な理論でなく、シンプルなご先祖の歴史を伺い、『古事記』『日本書紀』の行間を埋めて、その後の島田家の歴史も、なるほどと納得し共感することばかりです。
大平さんのお話しをうかがい、稗田阿礼のようにさえ思われてきて!「日本の歴史は短い」と思ってしまいました(微笑)
長野市のご出身で、縄文時代の知識も深く、ご教示いただくことが大です。
凛とした姿勢も、とても私には真似できないところで、尊敬してしまいます(拝)
神八井耳命の一族は、全国に広がって、お墓や神社や古墳があります。
ぜひとも足を運んでみてほしいです。
神八”井”耳命のお名前にもなっている「井」
ここで、神八井耳命のお名前になっている、「井」について少しお話しますね。
「井」
小滝川ヒスイ峡の泉
「聖なる井」は、
生命と生活の源泉として、『
たくさんの「井」を守護した神八井耳命、
籠神社 奥の宮の磐座から湧き出る泉(京都府宮津市)
さらしなの里、長谷神社と長谷観音
大平さんにとって、長谷寺は先祖のお墓であり、森将軍塚古墳、川柳将軍塚古墳も、先祖ゆかりのお墓として大切にしておられます。
長谷山の麓には長谷神社下社があります。
建御名方神(たけみなかたのかみ)を祭ります。
おそらくは、天皇家の一族が、進出する以前の信越方面は、お諏訪さまへの信仰が深く強大なものであったでしょう。
そもそも長野市に無宗派の善光寺が建立されたのも、天の岩戸の神々を祭る戸隠神社があるのも、諏訪の神さまへの配慮とみられるのです。
長谷観音の地に、当初に祭られていたのもお諏訪さまでした。
杉木立の中の下社の境内をぬけて坂道をのぼると、リンゴ畑となり、右手に長谷観音の伽藍(がらん)が見えました。
脇から境内に入ることになりましたが、まず長谷観音と上社に参拝するのであれば、こちらからでなく、正面の表参道の階段があります。
大和の長谷寺ほどの大伽藍ではないですが、よく整備された境内は大寺院の趣(おもむき)があります。
標高が高く、川中島を見晴らす絶好のポジションにあるので、明るく開かれて、実に気持ちのいい場所です。
しだれ桜の大木が見事で、その季節に参拝したいものだと思いました。
ゴールデンウイークに来ることが多かったので、桜の開花時期は過ぎて、このようなお花見の名所に気づかなかったのでした(汗)。
長谷観音の本殿の奥、見上げるような階段を上ると、長谷神社の上社がありました。
神八井耳命をお祭りします。
背後の山を拝むのですが、お墓があるようでもあります。
大平さんからお話しをうかがいする以前、神八井耳命がここにお祭りされているのも、森将軍塚古墳が、神八井耳命の子孫であることも、とても不思議でした。
森将軍塚古墳と千曲川をのぞむ
ですが、神八井耳命一族は、将軍に従軍して開拓統治にあたった、という一族の歴史をうかがい、長年の疑問もスッキリしました!
信濃の国、さらしなの里の長谷観音と長谷神社。大和の長谷寺の長い回廊や舞台を思い出します。
「こもりくの初瀬(はつせ)」は、山深い山間の地の初瀬(長谷)、という枕言葉と地名で、長谷詣(もう)でとして、平安貴族の信仰の聖地にもなっていました。
信濃の長谷寺もまた周囲を山々に囲まれていますが、眼下をゆったりと流れてゆく千曲川の眺望が雄大です。
清浄な境内の散策が、実に心地よかったです。