天皇制を確固たるものにした神武天皇の皇子 神八井耳命【4】

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天皇制を確固たるものにした神武天皇の皇子 神八井耳命【3】のつづきです。

神武天皇、神八井耳命の実在として『古事記』『日本書紀』の解釈を

神八井耳命のご子孫の大平さんは、

「『古事記』『日本書紀』の神武天皇や初期天皇の時代の皇族を実在として、これほどきちんと考証して、解釈するのは、安本先生しかおられない」

と、おっしゃっています。

大平さんも、大変な心理的葛藤を抱えて生きてこられたのだと拝察しました。

第二次大戦の敗戦後の『古事記』『日本書紀』を軽視する歴史認識の中で、大きな精神的被害を被った、神八井耳命のご子孫なのです(大泣)

神武天皇や日本武尊ほどの地名度がないものの、天皇家の裏に回って、天皇制を支えてきた一族ですのに……

畝傍山の麓の神武天皇陵

最近は『古事記』『日本書紀』の天皇だけとか、自分の都合のいい人物だけをとりあげて、いかにも古典を理解しているかのように、古代史を論じている本もあまたあります。

…ですが、神八井耳命の一族をどのようにとらえているかで、その人の古典の理解度も、浅薄さも知れてくるようです。

そのあたりをポイントにして、種々雑多な古代史本を整理してみるのも、有効ではないかと思います(微笑)

 

「安本先生に巡り合って、幸せでした」と、大平さんは、常々おっしゃっています(大拍手)。

 

大平さんは、先祖の伝承をもとに、『古代史読本~記紀の真実を求めて~』『日本古代通史~古事記・日本書紀を読み解く』『島田家のルーツ』を執筆されました。

 

 

「安本先生の講座を全部知らなくて、書いてしまった部分もあるので、日々、勉強して更新しています」と。

「どんな講座でも本でも勉強にならないものはない」とも。

大平さんは、法律をご専門に勉強されたこともあって、ご自身と反対の学説の先生の本を読破し、神武天皇や神八井耳命の実在を否定する講座や講演会にも、積極的に通われています。

精力的に古代史と向き合っておられるその姿勢には、頭が下がり感服するばかりです(拝)。

 

複雑な理論でなく、シンプルなご先祖の歴史を伺い、『古事記』『日本書紀』の行間を埋めて、その後の島田家の歴史も、なるほどと納得し共感することばかりです。

大平さんのお話しをうかがい、稗田阿礼のようにさえ思われてきて!「日本の歴史は短い」と思ってしまいました(微笑)

 

長野市のご出身で、縄文時代の知識も深く、ご教示いただくことが大です。

凛とした姿勢も、とても私には真似できないところで、尊敬してしまいます(拝)

 

神八井耳命の一族は、全国に広がって、お墓や神社や古墳があります。

ぜひとも足を運んでみてほしいです。

 

神八”井”耳命のお名前にもなっている「井」

ここで、神八耳命のお名前になっている、「井」について少しお話しますね。

「井」は清らかな泉の涌き出るところです。

小滝川ヒスイ峡の泉

「聖なる井」は、信仰の根元で、神として祭ります。

生命と生活の源泉として、『万葉集』に「藤原の宮の御井の歌(巻1ー52)」に歌われて王権の象徴にもなっています。

たくさんの「井」を守護した神八井耳命、弟の神沼河耳命とともに、神武天皇の皇子にふさわしいお名前のご兄弟です。

籠神社 奥の宮の磐座から湧き出る泉(京都府宮津市)

さらしなの里、長谷神社と長谷観音

大平さんにとって、長谷寺は先祖のお墓であり、森将軍塚古墳、川柳将軍塚古墳も、先祖ゆかりのお墓として大切にしておられます。

長谷山の麓には長谷神社下社があります。

建御名方神(たけみなかたのかみ)を祭ります。

おそらくは、天皇家の一族が、進出する以前の信越方面は、お諏訪さまへの信仰が深く強大なものであったでしょう。

そもそも長野市に無宗派の善光寺が建立されたのも、天の岩戸の神々を祭る戸隠神社があるのも、諏訪の神さまへの配慮とみられるのです。

 

長谷観音の地に、当初に祭られていたのもお諏訪さまでした。

杉木立の中の下社の境内をぬけて坂道をのぼると、リンゴ畑となり、右手に長谷観音の伽藍(がらん)が見えました。

脇から境内に入ることになりましたが、まず長谷観音と上社に参拝するのであれば、こちらからでなく、正面の表参道の階段があります。

 

大和の長谷寺ほどの大伽藍ではないですが、よく整備された境内は大寺院の趣(おもむき)があります。

標高が高く、川中島を見晴らす絶好のポジションにあるので、明るく開かれて、実に気持ちのいい場所です。

しだれ桜の大木が見事で、その季節に参拝したいものだと思いました。

ゴールデンウイークに来ることが多かったので、桜の開花時期は過ぎて、このようなお花見の名所に気づかなかったのでした(汗)。

長谷観音の本殿の奥、見上げるような階段を上ると、長谷神社の上社がありました。

神八井耳命をお祭りします。

背後の山を拝むのですが、お墓があるようでもあります。

 

大平さんからお話しをうかがいする以前、神八井耳命がここにお祭りされているのも、森将軍塚古墳が、神八井耳命の子孫であることも、とても不思議でした。

森将軍塚古墳と千曲川をのぞむ

ですが、神八井耳命一族は、将軍に従軍して開拓統治にあたった、という一族の歴史をうかがい、長年の疑問もスッキリしました!

信濃の国、さらしなの里の長谷観音と長谷神社。大和の長谷寺の長い回廊や舞台を思い出します。

「こもりくの初瀬(はつせ)」は、山深い山間の地の初瀬(長谷)、という枕言葉と地名で、長谷詣(もう)でとして、平安貴族の信仰の聖地にもなっていました。

信濃の長谷寺もまた周囲を山々に囲まれていますが、眼下をゆったりと流れてゆく千曲川の眺望が雄大です。

清浄な境内の散策が、実に心地よかったです。

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