カズオ・イシグロ氏の静かな主張と品格【1】のつづきです。
古き良き日本人と重なる老執事の品格
『日の名残り』は、イシグロ氏が英国最高の文学賞「ブッカー賞」を受賞した作品です。
第二次大戦前後を通じて、人生と国家の栄光と没落を、誠実な老執事の回想で綴ります。
アメリカから来て、新たな主人となったファラディ氏のすすめで、執事のミスター・スティーブンスは小旅行に出ます。
そして長年奉仕したダーリントン・ホールのできごとを回想します。
王室と貴族社会の伝統から築かれた、イギリスならではの名誉ある職業に従事するスティーブンス。
「高貴で崇高な主人に奉仕する、静謐な品格」をモットーに、職務に励んで来たのでした。
※静謐(せいひつ):静かで安らかなこと
実はその姿が、会社や社長を信奉して、定年まで黙々と勤めあげた、かつての終身雇用制時代の日本の職業人たちの姿を思わせる、と申し上げたら、たとえが貧困でしょうか(汗)
高貴で崇高と心から信じてお仕えしてきた主人のダーリントン卿が、戦争が終わってみれば、実はナチスドイツの工作に操られてしまう程度の人物に過ぎなかったと判明するのでした。
卿は失意のままに生涯を閉じてしまいます。
スティーブンスは、ミス・ケントンとのほのかな恋愛も、職務に没頭するあまりやり過ごしてしまうほど、ご主人さまに尽くしてきたのに……
スティーブンスの職務と人生への誇りは消えて、虚無が押し寄せます。
ほのかな期待を抱いて、ベン婦人となった、かつての女中頭との再会も、永遠の別れになってしまいました(泣)。
「私にはダーリン卿がすべてでございました。もてる力をふりしぼって、卿にお仕えしまして、いまは、私には、ふりしぼろうにも、もう何も残っておりません」
と、初めて旅先の男の前で、大泣きするのです。
「光源氏も、日本武尊もどうして泣いちゃうのかしら?」と思うほどの、日本男子のめめしさを、イギリス伝統職の執事が持ち合わせていたのに驚くとともに、こちらも泣きたくなるほどに共感してしまいました(涙)
……けれでも、宿命へのあきらめに終わりがちな、日本のヒーローとは違っています!
「いつも後ろを振り向いておいていちゃいかんのだ。」という、旅先の男の励ましがきっかけです。
桟橋の明かりが点灯する瞬間に集まる人々。点灯の瞬間にわき上がる大きな歓声。
そのようなささやかな人々の喜びと、温かな心の結びつき。
その光景からスティーブンスは、明日への勇気をもらい、再起するのでした。
「わたしどものような人間は、何か真に価値あるもののために微力を尽くそうと願い、それを試みるだけで、十分であるような気がいたします。
その覚悟を実践したとすれば、結果はどうあれ、そのこと自体がみずからに誇りと満足」
(太字:古代史日和)
になると。
新たに使えるファラディ卿を楽しませるジョークの練習に取り組もう、と思いを新たにするのでした……
自己をセーブしつつ、静かに主張するスティーブンスの姿勢と品格が、心に染み入ってきます。
品格ある老執事の姿が、イシグロ氏に重なり、読後に澄んだ清らかなものが残ります。
海洋民族の歴史を刻むイシグロ一家
イシグロ氏の故郷の長崎は、大八島(おおやしま)の日本列島の中でも壱岐・対馬・五島列島、その他たくさんの島々から成り立っています。
日本神話の始まりから、出てくる島々です。
「海洋学者」のお父様のお仕事で、はるばるイギリスへ渡ったイシグロ家は、海洋民族として生きてきた日本の歴史を、そのまま現在に具現しているようでもあります。
第二次大戦後の世相も価値観も定まらない中で、戦勝国に渡り、海洋学者として職責を全うしたお父上。
家族を支えて、イギリス社会へ見事に溶け込むようにカズオ氏を育てたお母さま。
日本から海を越えて、異国に拠点を移し、新たな社会へ自然に溶け込んだご家族でした。大変なご努力もあったと拝察いたします。
さらにノーベル文学賞受賞という輝かしい業績へ到達された、カズオ・イシグロ氏に心からお祝い申し上げます。
イングリッシュガーデン
先月、海外暮らしの長い学生時代の親友が、久しぶりに帰国して、カズオ・イシグロ氏のノーベル賞受賞や、作品に共感して、話が盛り上がりました(拍手)
日頃、いにしえの言葉と向き合っていることが多い私なのですが、やはり現在進行形の言葉を求めたくなります。
まさしくイシグロ氏のお言葉は、この上ない泉の水を飲んだように心に染み入ってきます。
その作品とお人柄から、この先もたくさんのご教示をいただけるものと、楽しみでならないです。