皆さま、明けましておめでとうございます。
yurinです。
昨年に引き続き拙ブログにお越し下さり、心からお礼申し上げます。
どうか今年もよろしくお願い申し上げます。
目次
弥彦山頂のははかの木
昨年春、越後国一の宮の彌彦(いやひこ)神社に参拝の折、思いがけず弥彦山(やひこさん)の山頂で見事な上溝桜(うわみずざくら)の花に出会い感激しました!
(「いやひこ」が正式ですが、一般的には「やひこ」と言われています)
上溝桜(うわみずざくら)は、『古事記』の神話に出てくる「ははかの木」とされます。
今年は、平成天皇から、新たな天皇が即位される記念すべき年となりますが、歴代天皇の代替わりの際の「大嘗祭(だいじょうさい)」に献上され、占いに使用されるご神木になっています。
それに因み、ははかの木の風景で年の初めを寿(ことほ)ぎ、ご挨拶を申し上げたいと思います。
ははかの花は、すでに弥彦山頂への道すがらでは盛りを過ぎていたのでしたが、なんと!ご神廟のある山頂では満開でした!
信濃川下流域の平野に、弥彦山(634m)を主峰とする山々があり、海上・平野のどの位置からも眺望できる霊山として信仰を集めてきました。
悠久の古代から、弥彦山は航海と越の国の守護神とされる神霊だったようです。
その神域の山麓に彌彦神社があります。
開拓の祖神として、神武天皇の東遷に大功のあった天香山命(あめのかごやまのみこと)をお祭りします。
天香語山命の表記も伝わっているので、「あめのかごやまのみこと」とお呼びしています。
山頂には、妃の穂屋(ほや)姫とのご神廟が祭られます。
伊夜彦(いやひこ) おのれ神さび 青雲の たなびく日すら 小雨そぼふる『万葉集』巻16 3883
(弥彦山は、山そのものが神々しく、青空に雲がたなびくような時でも、山には小雨が降っているほど神秘的です)
伊夜彦(いやひこ) 神の麓に 今日らもか 鹿の伏すらん 皮服(かわごろも)着て 角つきながら『万葉集』巻16 3884
(神々しい弥彦山の麓で、今ごろが鹿が伏しているのでしょうか。毛皮を着て、角をつけたままゆったりと構えて……)
歴代天皇の大嘗祭に「火きり木(き)」を献上する往馬(いこま)大社
一方で、奈良県と大阪府の県境に位置する、生駒山(640メートル)の神霊を宿す古社が往(い)馬(こま)大社です。
例年十月の「火祭り」は、奈良県の無形文化財に指定されています。
往(い)馬(こま)大社は古くから「火の神」としても崇敬が深く、歴代天皇の大嘗祭に「火きり木」を奉献したことが、平安時代の『北山抄』(藤原公任による私撰の儀式書)にあります。
昭和や平成の大嘗祭の「斉田點定(さいでんてんてい)の儀」(神へのお供えの田を亀卜で決定する儀式)にもご神木の上溝桜(うわみずざくら)が使用されました。
大嘗祭に使用される上溝桜(ははかの木)は、他にも何か所か知られますが、生駒山の「火きり木」で日嗣(火継ぎ)の儀式を行い天皇に即位するのは大きな意味があるようです。
実はははかの木については、もう35年近くも前にもなるでしょうか、安本先生の『古事記』の講座で知ったのが始まりでした。
先生は植物図鑑、広辞苑、先学の考証などを紹介し、ウワミズザクラや”ははか”について丁寧に説明されます。
そして
「この木や花をご覧になった方はいらっしゃいますか?」
と必ずご質問になり、受講生からの観察なども加えて、その状況を検討なされるのでした。
当時は「こんな植物の一つ一つに時間かけないで、早く神武天皇や日本武尊に進んで欲しい」なんて歯がゆく思ったことも思い出されます^^
……ですが、確実にあのご講義のおかげで、これほどまでにははかの木や上溝桜を探訪し、楽しく考えるようになったのでした。
古典の植物にここまで関心を持つことは、自分だけでは決してなかった、と今さらながら、安本先生の上溝桜のご講義が懐かしくありがたく思い出されるのです(拝)
『古事記』天の石屋戸に上溝桜(うわみずざくら)
上溝桜(うわみずざくら)は、北海道南西部から九州まで幅広く山野に自生し、10~15mにもなる落葉高木です。
名称は、古代の亀卜で溝を掘った板に使われたことに由来します。
紅葉が美しいそうですが、そういう季節にゆっくり鑑賞したいものです。
金剛桜ともいうそうです。
開花期は4月から5月にかけてで、白いブラシのような花を咲かせます。
香りの良い若い花穂と、初夏にできはじめる実を塩漬けにしたものは「杏仁香(あんにんご)」と呼ばれ、新潟県を中心に食用とされるという記述もありました。
黒く熟した杏仁香(あんにんご)を漬けた果実酒を、杏仁香酒(あんにいごしゅ)と呼び、不老不死の妙薬ともされるそうです。
『古事記』の神代の「天の石屋戸(いわやと)」の段には、
天の香山(かぐやま)の真男鹿(まおしか)の肩をうち抜きて、天の波波迦(ははか)を取りて、占いまかなわしめて
とあります。
天香久山に住む、雄鹿の肩甲骨(けんこうこつ)を、ははかの木(うわみずざくら)を炭火にしたもので焼いて、そこに表れる割れ目の模様によって吉凶を判断したとされます。
天香山神社の波波迦(ははか)の木
このははかの木と初めて出会ったのは、奈良県橿原市にある天香山(あめのかぐやま)神社でした。
「天香山」「天香久山」「天香具山」「天香語山」など、表記
本や神社によって書き方に違いがあり、それぞれ別に書き付けたと
もともとは「鹿子(かご)山(神聖な鹿の住む山)」の意味であっ
神社のご神木には「鹿子(かご)の木」があり、鹿の子のまだら模
古代人は「鹿は神の使い」とし、大切にしたのでした。
そのような
やがてかぐわしい山とも崇(あが)められたのでしょう。
社前の鳥居をくぐるとすぐご神木があり、『古事記』に因む石碑も建っていました。
この花の開花期を目的として訪れたのではなかったのですが、思いがけず目にした上溝桜の花の美しさに心が震えました。
真っ白な線香花火が無数に打ち上げられて、おりしもの芽生えた新緑の葉とのコントラストという彩りが、なんとも明るく生命力に満ち溢れて、春の喜びを告げているようでした。
参道の反対側のご神木には、常緑の椿の大木に深紅の花が見事でした。
そういえば猿田彦神(さるたひこのかみ)を「椿大神(つばきおおのかみ)」としてお祭りする神社もあります。
生命力の象徴としての常緑の椿に、深紅の花。
蘇生を思わす真っ白な上溝桜の花と新緑の芽吹き。
その2種類のご神木が鳥居の入り口を彩り、これほど天香久山が神々しく思えたことはなかったです(拝)
木材を占いに使用するだけでなく、古代の人々は、この花の美しさも愛でたのものと思われたのです。
つづく