越後国一の宮天津神社に『古事記』妻問いをモチーフにした日本画奉納

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こんにちは!yurinです。

平成30年10月26日、糸魚川の天津神社(式内奴奈川神社)に上越市在住の日本画家、川崎日香浬(かわさきひかり)氏の大日本画を奉納されました。

当日は奉納の祝賀会が開催され、参加してきました。

奉納されたのは、『古事記』の大国主命(おおくにぬしのみこと)と奴奈川姫(ぬなかわひめ)の妻問(つまど)いをモチーフにした日本画です。

平成27年の諏訪大社、出雲大社へのご奉納に続く、快挙です!

合わせてヒスイ工芸家の龍見雄記(たつみゆうき)氏が「姫の首飾り」をご奉納。

三種の神器の「八尺瓊(やさかに)の勾玉(まがたま)の精神と技術は連綿と継承されています。

遠大な日本の歴史物語が紡(つむ)がれ、今もなおそのご縁によって由緒地の市長、全国から多くの人々が集い交流したのです。

日本の古典のパワーを実感し感無量でした……

ヒスイ・奴奈川(ぬなかわ)姫に捧げる探究心

大国主命(おおくにぬしのみこと)と奴奈川姫(ぬなかわひめ)のロマンは、『古事記』の神話に記されます。

さらに『先代旧事本紀』にも、二神の御子さまとして、諏訪大社の祭神の建御名方(たけみなかた)の誕生を記します。

これらについては、先にブログで記しましたので、合わせてお読みいたければ幸いです。

 

奉納式、祝賀会の翌日27日は、奴奈川姫(ぬなかわひめ)のお膝元、糸魚川市一宮の天津神社へもご奉納が成就し、懇親ツアーも開催されました。

式内社の奴奈川(ぬなかわ)神社とされる神社です。

日香浬先生の描かれた大日本画(横3.6m×縦1.1m)に、糸魚川市在住の郷土史家の土田孝雄先生が題名を付けられました。

題名は、

「八千矛神(やちほこのかみ)と奴奈川姫(ぬなかわひめ)の神語(かみがたり) 永遠(とわ)に輝け愛と和のなかに」

です。

土田先生は、長年ヒスイと奴奈川姫を探究されてこられた先生です。

なんとも土田先生の積年の思いが込められているタイトルで(涙)。

除幕式で披露された大作の前で、満願の笑みをうかべておられました^^

このような大きな文化プロジェクトは、一般市民の方々の積極的なご賛同と協力、商工会議所などの援助なくしては、とうてい成し遂げられるものではなかったでしょう(大拍手)

高貴な気品と優しさをたたえた奴奈川姫(ぬなかわひめ)

『古事記』神話を彩る大国主命(おおくにぬしのみこと)と奴奈川姫(ぬなかわひめ)の妻問いは、夫が妻に求婚し妻のもとに通う古代の婚姻形式です。

「姫(奴奈川姫)は、出雲から押し寄せた軍勢の前で、大変だったと思うよ。なんたって八千矛(やちほこ)の神っていうんだから……これでもか!って、たくさんの矛を突き付けられて、よく一晩持ちこたえた、よく気高く頑張った、って思うよ」

なるほど、土田先生ならではの『古事記』神話の深い解釈と考証にたちまち納得します。

日香浬先生は、大国主命と奴奈川姫の交渉!を、かたずをのんで見守る出雲の軍勢を、たくさんの松明(たいまつ)に象徴させます。

その「出雲の国力」に屈せずに、凛ととして姿勢をただし、優しく微笑む奴奈川(ぬなかわ)姫。

はるばる出雲から訪れて、ようやく念願がかなって駆け寄る八矛神(やちほこのかみ)。

まさに国をかけた!お二人の「愛」が成就する瞬間の感動こそを、神語(かみがたり)として、周囲の人々は語り継ぎ、歌い継いで、ついに太安万侶は『古事記』に書き付けたのです。

 

実にすばらしい誇るべき日本の財産です。

……ということを、文字にして本にしてもなかなか、一般の方々の共感を得るのは困難です(大汗)

……ですが、日香浬先生の魔法によって、その日本歴史の名場面を、1枚の絵画に埋め込んでくださると、たちどころに多くの人々の感動を誘うのでした!

 

清らかで明るく気品あふれた作風で、どこか親しみのわく神々に近づきたい、もっと日本の古典を知りたい、という気持ちにさせていただくのは、私ばかりでないのでしょう!

なにしろ巷(ちまた)に出回る日本の神々は、古典や神々へのテンションが盛り上がらないものがチラチラして……?

古典の誠実な再現を裏打ちする莫大な労力

日香浬先生の御作品は、古典や歴史の誠実な再現の思いが込められています。

「神々や皇族の方々に失礼があってはいけない」との責任感です。

とても共感できます。

古典の神々や皇族を描く上で、少しでも調査探究を怠らず、勉強を積み重ねなくては、研鑽(けんさん)されていらっしゃることを拝察いたします。

日香浬先生は、単に創造を巡らし描いていらっしゃるのではないのでした。

 

遺跡や神社や博物館を巡る丹念で地道な考証と、大自然の中のフィールドワークに裏打ちされたものです。

その試みを説明する一つが「顔料」です。

日本画の画材には、西洋絵画のように便利な「絵の具」はないそうです。

それでご自身で、自然界の鉱物を、顔料として創り出すところからなされるのです。

 

今回の作品で使用された顔料の例です。

  • 姫の勾玉⇒姫川産のキツネ石
  • 山桜の花⇒糸魚川市京ヶ峰採取のベンガラ 
  • 姫の御殿⇒姫川産ヒスイ 
  • 八千矛神の上着⇒諏訪在住の方から分けていただいたラピスラズリ
  • 八千矛神の靴⇒島根県奥出雲の砂鉄をベースに玉鋼(たまはがね)を削ったもの 
  • 二柱の髪⇒諏訪産の黒曜石
  • 黒姫山と海⇒アズライト鉱石・マラカイト鉱石
  • 越の海岸⇒国譲りの舞台になった稲佐浜の砂

この顔料として用いた鉱物の、丹念な採取と、製作の行程に費やす莫大な労力をお伺いしただけでも、遠大な日本の歴史を越えて、はるか地球上の人類の歴史に思いを馳せますね。

大和朝廷は地元で信仰を集める神々への宗教弾圧をしていない

日香浬先生が奉納された糸魚川市の天津神社は、彌彦神社(西蒲原郡弥彦村)、居多(こた)神社(上越市)と並んで「越後国一の宮」と呼ばれます。

『延喜式』の「奴奈川(ぬなかわ)」神社に比定されて、同じ境内に、仲良く「天つ神・国つ神」をお祭りします。

第12代景行天皇の時代に創建といわれます。

 

東国へ遠征した日本武尊が、信濃から別働隊として派遣した副将軍の吉備武彦(きびのたけひこ)が、もともとの国つ神に合わせて、天つ神をお祭りしたのかもしれません。

この神社の天つ神は、

天照大神の孫で天孫降臨した、天津彦彦火瓊瓊杵尊(あまつひこひこほのににぎのみこと)

高天の原の有力者で、中臣(藤原)氏の祖先神とされる天児屋命(あまのこやねのみこと)

玉や織物など神道祭祀にかかわり、ものづくりにたずさわる忌部氏の祖先神とされる太玉命(ふとだまのみこと)

という「高天の原最強トリオ」というべき神々です。

そして同じ境内に、奴奈川姫を主祭神に八千矛神(大国主命)をお祭りしているのです。

 

このように大和朝廷は、地元で信仰を集める神々への宗教弾圧をしたりすることなく、皇室の先祖の「天つ神」とともに、地元で崇拝される「国つ神」をお祭りしてきました。

そうしたことから、人々は恨み合ったりせず、天皇家も125代の、世界で現存最古の王朝として続いたものと考えられるのです。

 

糸魚川の天津神社には、天つ神国つ神の抗争を象徴したとみられる「けんか祭り」があります。

合わせてその後に演じられる「舞楽」は、国の重要無形文化財になっているほどです。

争いがあっても、お互いを尊重し合う「和」のスタンスを築いた先祖を誇らしく思いませんか。

由緒ある神社を訪れると、しばしば天つ神国つ神をご一緒にお祭りするのを目にします。

天つ神国つ神が集うように全国各地の人々が交流

今回の祝賀会には、出雲大社や諏訪大社の地元の方ばかりでなく、古典を探究して遠く長崎県の方も参加されました。

信越の国境近く、長野市の戸隠神社の関係者の方も参加されています。

戸隠神社は、天の岩戸にたとえられる戸隠連峰を仰ぎ、岩戸開きに因む、高天の原の神々をお祭りします。

 

神楽や雅楽も奥ゆかし神域です。

糸魚川の天津神社への大日本画奉納を通じて、天つ神国つ神が集うように、全国各地の人々が交流する場が持たれたのです。

古典のご縁で人々が集い交流できたのは、大変に有意義なモニュメントといえるでしょう。

 

日香浬先生は祝賀会のご挨拶で話されました。

「こどもたちに見て欲しい、記憶の片隅に残り、大人になって思い出してほしい。

出雲~越(こし)~諏訪という三角形はしっかり結ばれたので、この先はここから円(まる)にしていければ」

日香浬先生が、この先またどんな絵画を描いてくださるのか……古典のご縁ははたしてどこまで広がるのか?……いくつになっても夢を見ていられそうです^^

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