こんにちは!yurinです。
福井市の中心にある足羽山公園の継体天皇像については、このブログの始まりに書きました。
継体天皇像のある足羽山公園の山頂のすぐ下には、足羽(あすわ)神社があります。
継体天皇をお祭りしています。
継体天皇は、即位される前に越前(福井)平野の治水事業に取り組んだそうです。
福井市付近は、大河川の九頭竜川に、足羽川、日野川が合流する地点です。
そしてその越前平野の守護神として、座摩神(いかすりのかみ)を、越前平野を見下ろす足羽(あすわ)山に勧請してお祭りしたのでした。
「いかすり」は「居処の敷地」の意味で、「いかすりの神」は、屋敷地の守護神を意味します。
足羽山は、さすがに継体天皇が、
いにしえより信仰の地とされ、
自然の落葉樹林を残す里山に、確認されているだけで、
………だけでなく、その地にいらっしゃる神々と、
博物館、
2度目に訪れたら秋の日には、足羽山から霊峰白山を仰ぐことができました。
朝廷が宮中にお祭りする守護神も祭神
座摩神(いかすりのかみ)は、大宮地霊(おおみやどころのみたま)といわれて、朝廷が宮中にお祭りする守護神です。
継体天皇と、その大宮地霊(おおみやどころのみたま)も足羽神社の祭神で、大宮地霊は次の五柱(いつはしら)です。
生井(いくい)の神
綱長井(つながい)の神
福井(さくい)の神
阿須波(あすわ)の神
波比伎(はひき)の神
「生井(いくい)」は生命の泉、「綱長井(つながい)」は永遠の泉、「福井(さくい)」は幸いをもたらす泉です。
「あすわ」と「はひき」は、「土台を築く足場」、「出入口」などの説があります。
『古事記』の須佐之男命(すさのおのみこと)と神大市比売(かむおおいちひめ)の御子の大年神(おおとしのかみ)の系譜にみられます。
大年神は、新年にやって来る神、一年の豊作を守護する神、家の祖霊など、古来の信仰に根付く神々を、須佐之男命(すさのおのみこと)の御子神に託して、祭らせたもののようです。
「いかすりの神」は、『延喜式』の「祝詞(のりと)」の中の、「祈念祭(としごいのまつり)」「六月(みなつき)の月次(つきなみ)」にも出てきます。
縄文時代に遡るような、日本列島で古くから信仰されてきた神々のようにみられます。
さらに継体天皇がこの地をはなれるときに、自らの生霊を合祀して、馬来田(うまくた)皇女が祭主となってお祭りしたそうです。
足羽神社は、いろいろな意味で由緒を感じさせる神社です。
阿須羽(あすわ)の神と足羽(あすわ)山
足羽神社に訪問したとき、馬来田(うまくた)宮司に、
「足羽(あすわ)の神は、宮中からもたらされた神ではなく、もともとこの地の地主神なのではないでしょうか?
同じく宮中で祭られる、生島神(いくしまのかみ)・足島神(たすしまのかみ)も、長野県の古来の神さまではないでしょうか?」
と、日頃から疑問に思っていることを、率直にお伺いしてみました。
少し驚かれたようでしたが「そういう考え方もあるのですね」とほほ笑んでいらっしゃいました。
馬来田宮司は、周囲を包み込むような暖かなお人柄を感じさせてくださいます。
きっと継体天皇もこのようなお方ではなかったかしら?と、偲ばれてくるものがありました(拝)
2度目に訪れた時は、おりしも七五三の時期の休日で、着物姿の親子づれが、次々と訪れて成長を祈願していました。
そして、遊び心のあるハート型の落ち葉掃き。
優しさにあふれていますね。
継体天皇に少しでも近づきたく、馬来田宮司にもお会いしたく、再びこの神社に参拝したいと思います。
庭中(にわなか)の阿須波(あすわ)の神に木柴さし 吾(われ)は 斎(いわ)わむ 帰り来までに
『万葉集』巻20 4350
(屋敷の庭でお祭りする阿須波(あすわ)の神に、小柴を立てて、心身を清めてお待ちしています。
あなたが無事にお帰りになるまで……)
「あすわの神」は、旅立ちの時に、無事に戻ることを祈願して祭られた神でもありました。
阿須波の神に、毎日御膳(ごぜん)をお供えして、無事の帰還を祈願したようです。