諏訪大社摂社の御射山(みさやま)神社【2】

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諏訪大社摂社の御射山(みさやま)神社【1】のつづきです。

神話の始まりに現れる国常立尊(くにのとこたちのみこと)

諏訪郡富士見町指定史跡の掲示板に書かれた御射山(みさやま)神社の祭神は、建御名方命(たけみなかたのみこと)・国常立尊(くにのとこたちのみこと)です。

今では建御名方神は、かなり知られた神さまになっています。

一方の国常立尊(くにのとこたちみこと)は、ご存知ない方も多いのではないでしょうか。

 

諏訪の歴史書を読むと、この御射山にお祭りされた本来の神さまは、国常立尊ではないか、という説もあります。

日本神話の始まりに現れる神さまです。

『古事記』では高天原に初めて現れた神を「天御中主神(あめのみなかぬしのかみ)・高皇産霊尊(たかみむすひのみこと)・神皇産霊尊(かみむすひのみこと)」とします。

 

一方で『日本書紀』は本文で、天地が開かれた始まりに現れた神として「国常立尊(くにのとこたちのみこと)」を記します。

混沌とした世界に大地が現れて、しっかり土台を固めた神、という意味です。

 

国常立尊は、天香久山や木曽御岳山にお祭りされています。

どちらの山も、富士山や三輪山のように山頂が円錐形の山容ではないですが、裾野が広くしっかり大地に根差してたっている姿が、確固たるものを感じさせる山です。

 

この御射山神社のある八ヶ岳も、実に裾野が広大な山です。

国常立尊は、神話の中の文字だけで読むと、イメージしずらく難しい神さまに思えますが、実際に祭られている山々の山容を仰ぐと、なるほどトコタチ「常に立つ」ね、などと感心するのでした。

イザナキの先祖が国常立尊ともありますから、古代人は、その神々しい山に地元の偉人を重ね合わせてお祭りしたのかもしれません。

国常立尊は、なんとも由緒の古さを感じさせる神さまです。

 

『古事記』では、当初現れた「別(こと)天つ神」(特別な天つ神)とは別に、神代七代の系譜の始まりの現れたのが国常立尊とします。

国常立尊から七代目が伊邪那岐(いざなき)・伊邪那美(いざなみ)です。

するとイザナキノミコトもまた、先祖は八ヶ岳の方面にあるということでしょうか。

 

諏訪信仰の一つの聖地の御射山神社に、建御名方命とは別の系譜の「国常立尊(くにのとこたちのみこと)が祭られているのです。

御射山祭では諏訪大社上社から、建御名方の神霊が訪れて、御射山の神々にご挨拶する、というのが本来の姿で、それでもともとは国常立尊が常駐していたものと考えられています。

 

諏訪にくると、建御名方の神さえも、後の時代に外からきた新しい神さまになってしまいます。

こちらの神さまの方が古いといわれるところに、なんとも諏訪信仰の悠遠さを感じます。

 

御射山神社の祭事の「御狩(みかり)」という行為が、弥生時代の水田農耕以前の、縄文・石器時代にさかのぼる狩猟採集の時代を想起します。

その古代人がお祭りした「国常立尊」です。

そしてそれを祖先神とするのが、神功皇后を輩出した息長(おきなが)氏なのです!

息長氏が祭る国常立尊(くにのとこたちのみこと)と神功皇后

息長氏もまた八ヶ岳の方に先祖がおられたのでしょうか。

滋賀県米原市の山津照(やまつてる)神社は、息長氏の氏神ですが、国常立尊をお祭りします。

 

息長氏については、大陸との交易を担い、大陸文化を受容したことから、息長氏自体が渡来人、という説があります。

これはちょっと見方が浅いのではないかと思います。

進取の気性に富んで、積極的に海外との交流を行う人々が、外国の文化を受容して身に着けるのは自然の流れです。

 

ですが「渡来人」かどうかは別です。

息長氏は、神功皇后の出身氏族とされ、継体天皇、舒明天皇・斉明天皇・天智天皇と関わりの深い氏族です。

その息長氏がお祭りするのが「国常立尊」というところに、むしろこの氏族の由緒の古さを感じるのです。

 

御射山神社の本殿には、御射山の神(建御名方命)、と国常立尊が祭られています。

そして玉籬で囲まれた磐座(いわくら)の四つのうちの一つに神功皇后をお祭りしていたのです!

諏訪信仰の聖地で、神功皇后とは、全くの予想外でした(大汗)

 

……ですが、本殿二柱の祭神の一柱が、国常立尊というので、それも納得です。

沼河姫は建御名方の母として、そして母方の沼河一族の代表としてお祭りされたのでしょう。

そして神功皇后は、息長氏一族を代表する人物としてお祭りされたとみられます。

 

女性を大切にお祭りするのが目立つのは、「縄文のヴィーナス」などの土偶の流れでしょうか。


茅野市尖石博物館にて※許可を得て掲載しています

神社の祭神には、祭られるだけの由緒があり、それを探究するところこそ歴史を知るヒントと面白さがある、という思いを深くします。

頼朝が尋ねた阿蘇の巻き狩り

大四御盧社(おおよつみほしゃ)と穂屋の間のささやかな祠(ほこら)に大山祇神(おおやまつみのかみ)が祭られていました。

磯並(いそなみ)社と呼ばれています。

大山祇神は、瀬戸内海の要衝に君臨する神之山を祭る、愛媛県今治市の大山祇神社が、総本社として名高いですが、この八ヶ岳山麓で大山祇の神を祭る神社をしばしば見かけます。

はるか石器時代に遡る八ヶ岳山麓の歴史の中で、山の神さまがお祭りされるのは、自然です。

 

「神野(こうや)」は、鹿などの狩猟の動物から、キノコや木の実などの山菜、家の材になる草、燃料用の薪など自然の恵みを与えてくれるありがたい土地だったのです。

 

今の境内は森林の深い香りがなんとも心地よく、天を仰ぐ木立の合間の青空と、木立の向こうに見渡す明るい野原が気持ちを清澄にしてくれます。

「矢場」と書かれた矢印の方へ足を運ぶと、川のせせらぎが高くなり、野原がぽっかり広がりました。

林の合間に開かれた水田のわきを清流が流れていきます。

古代においては、生き物たちがこうした山合の野原に水を求めて集まって来たのでしょうか。

 

源頼朝(1147~1199)は、富士の巻き狩りを行うにあたり、熊本県の阿蘇神社まで、腹心の梶原景時(1140~1200)を派遣して、古式の巻き狩りの作法を学ばさせたといわれます。

巻き狩りとは・・・狩り場をまわり全部から取り囲み、中の獲物を追い込んで捕らえる狩り。
長野県諏訪神社や、熊本県阿蘇神社には祭儀としての巻き狩りが残るので、本来は山の神の意思をうかがうための神事であったとみられている。


縄文時代の弓 井戸尻考古館にて※許可を得て掲載しています


縄文時代の弓矢 井戸尻考古館にて

ここでもまた諏訪と阿蘇がでてきて、リンクしてきます。

阿蘇山の外輪山も広大で、東の端は、瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)が天孫降臨した「高千穂」ともつながっています。

高千穂もまた旧石器時代から、縄文~弥生と遺跡の連なるところで、原始・古代文化の一つの中心地を形成していた、とする見解があります。

 

古代の人々にかぎらず、中世の人々もまた「阿蘇」と「諏訪」という、はるか離れた土地をものともせず、狩りの勉強のために往復するのでした。

こうして縄文時代から石器時代にまで、なんとも日本の歴史の広大で悠遠さに思いを深くする、八ヶ岳の山麓の御射山神社です。

……

諏訪信仰と密接にもかかわるのが「古代出雲」です。

建御名方命は大国主命の子として出雲の国を守ろうと、高天の原勢力に最後まで抵抗しました。

諏訪の地にくると、建御名方とともに入ってきたとみられる、大国主命、素戔嗚尊(すさのおのみこと)など出雲の神々への信仰が目立ちます。

 

古代史日和勉強会では、「博多で素戔嗚尊をまつる“熊野神社”が多いのですが?」と、九州方面と出雲の係わりを問う質問もでました。

出雲と熊野と奴国と狗奴国も、関係がありそうに思えてきませんか?

5月13日の古代史日和勉強会では、えみ子先生が「古代出雲王国」についてお話ししてくださいます。

出雲について知りたい方、関心のある方はぜひお越しくださいね。お待ちしています。
→この勉強会は終了しました。

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